第20話


 年が明けた。


 僕は大晦日から住吉大社でバイに入っていた。

 岡田の指示で最も売れる粉物の「たこ焼き」を担当した。


 甘栗やカステラに比べると衛生面に気遣いながらのバイだが、息つく暇もないほど飛ぶように売れた。

 僕は右の手首が腱鞘炎になるほど休みなく真面目に働いた。


 大入り手当ても出て、破格のバイト料を手にした。

 他の若いバイトもいたが、明らかに僕とは賃金が異なっていた。

 これだけのバイト料をもらえるのは岡田の配慮に他ならなかった。


 五日に屋台を撤去してあと始末を終えたあと、岡田とテキヤ衆たちとで大国町の事務所近くのホルモン屋で打ち上げのような飲み会があった。


 片方の手の小指のないあの山本の姿も見えて、総勢二十人程度のテキ屋衆が集まった。


「正月のヤマも終わって、皆ご苦労さん。二日間ほど休んでもろうてから、今度は十日戎やさかいにまだ終わったわけやないけど、まあ今夜は飲んでくれ。

 いろいろと厳しいご時勢やが、本年も健康に注意して、われわれ仲間の暮らしを守りながら、皆で力を合わせて一年間頑張っていこう。では乾杯!」


 岡田は皆をねぎらった。


 僕は岡田の言葉がすごくいいなと思った。


 彼はまだ三十歳そこそこなのにテキ屋衆に頼られている。中学しか出ていないと言っていた。


 岡田を見ていると世の中は学歴なんて関係ない。

 その世界で頑張るものが信頼を得ていくのだと思った。


 店はそれほど大きくないので貸切状態となった。


 僕と同年齢くらいの若者から六十歳を過ぎた年配者まで、大勢のテキ屋衆が嬌声を上げながら飲みはじめた。

 店は一気に賑やかになった。しばらくして岡田が僕の席へやってきた。


「小野寺、お前はホンマに真面目によう働く男やな。大学なんか辞めてテキ屋の幹部にならんか。お前の黙々とバイする姿を見て、他の奴らは一目置くようになっとるぞ。たこ焼きの返しは天才的やで」


 岡田は冗談とも本気ともつかない顔で言った。


「いえ、僕は僕なんかいい加減で何もできない女癖の悪いクソ野郎です。岡田さんは僕を買いかぶっていますよ」


 江美とはクリスマスイブの夜に食事をしたあと、年末年始と全く連絡を取っていなかった。


 江美の自宅には電話があるのに、昨年いろんな意味で世話になったお礼も新年のおめでとうも、電話一本さえかけずにいた。


 かけたくなくて連絡しないのではない。このままでは駄目だと思ったからだ。


 優里には大晦日の夜も正月も仕事の合間をみて連絡した。

 優里とは「恋をしている」と実感していた。だが、江美への気持は「恋」とは種類が違っていた。


 江美と僕は「心」の内奥の難解な部分には触れずに関係を続けているような気がした。

 江美への気持ちを表現する言葉が僕には分からなかった。


「小野寺、お前どうしたんや、さっきから。何か心配事でもあるんか?」


 ハッとわれに返ると、岡田が僕のグラスにビールを注いでいた。


「何や、まだ金が足らんのか。話によっては面倒みたるぞ。なにせ将来ある若者やからな」


 岡田の言葉に対して、僕は自分を恥ずかしく思った。

 少し離れたところで相変わらず静かに飲んでいた山本がビール瓶を持ってこちらの席に来た。


「チョイとそこひとり分空けてくれるかな、すまんな。岡田ハン、ここええかな?」


「どうぞどうぞ」と岡田が席をずらせた。


「小野寺君、この繁忙期にまた手伝うてくれたそうやな。ワシらはアンタみたいな真面目な若い人がバイしてくれるのは嬉しいんやで。だけどな、いつだったか・・・夏祭りのころだったかな、ワシはアンタに忠告したのを覚えてるかな?」


 山本は酔っていなかった。


 いつものように鋭い目で周囲を牽制しながら、ゆっくりとした口調で喋った。


 この人はもしかしたら昔、大きな修羅場を何度も潜り抜けてきているのではないか。

 その修羅場がヤクザな世界でのものなのか、或いはそれ以外の人生の経験の中でのものなのか分からないが、それほど彼は独特の雰囲気を持っていた。


「山本さん、覚えています。他にもっとまともなバイトがあるだろうと言われました」


 僕は視線をそらさずに答えた。


「それで何でまたテキ屋の手伝いをするんや、金か?」


「金です」と僕は言った。


「金がないと大学で勉強ができんのか?」


「できませんね」


「そんなら、金がないのに何で大学へ行ったんや?」


「勉強がしたいからですよ」


 当たり前ではないか。山本は何を言っているのだろうと思った。


「勉強したいからって、そやけどお前、金がないんだろうが。金がないなら大学なんか行かないで働いたら解決するやろうが」


「でも大学で勉強したいからですよ、山本さん」


 重ねて僕は言った。


 山本は酔っていない。だが彼の言うことが僕には理解できなかった。


「世の中、二つに一つや。金がないなら稼ぐだけ稼いでから大学へ行けばいい。働きながら大学で勉強するなんてそんな都合の良い話があるか。そんなものうまくいかんに決まっとる。

 小野寺君よ、例えは悪いが、女でもそうや。エエ女ははいくらでもいる。そやが、ひとりだけを大事にするのが渡世の仁義や。複数の女と付き合う奴はどっちつかずでトラブルになるに決まっとるんや。

 ワシはそういうテキ屋衆を何人も見てきとる。金がかかる大学へ金のない者が行くっちゅうのも女と同じ、どっちつかずになるに決まっとるんや」


 山本は近くにあったグラスにビールを注ぎ、それを美味しそうに飲み干してから一気に言った。


 僕はハッとして山本の目を見た。


 多額の金を要する大学へ金のないものが行くのがおかしいという彼の言い分には納得できなかったが、ふたりの女性と付き合うことは渡世の仁義に反するという忠告はその通りだと思った。


 僕は恥ずかしくも、山本から男と女の基本的なルールと今の自分の間違いを指摘されたのだと気づいた。

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