第13話


「それでは遠くからお越しになった小野寺様、松江城の築城にまつわる悲しいお話を少しいたしましょう。

 松江城は関が原の合戦のあと初代城主の堀尾吉晴という人が五年をかけて築城したのだけど、すんなり完成しなかったのです。本丸の石垣と天守閣の土台が何度も崩れ落ちて、なかなか工事が進まなかったのです。

 原因を調べてみたらその場所に槍が貫通した頭蓋骨が出てきました。これが原因だと判り、城主様の指示により急いで祀ったのです。

 それから今度は松平直政氏の代になってからの出来事で、天守閣の最上階に「天狗の間」というのがあるのですが、そこに若い女性の亡霊が出たのです。

 いろいろ調べさせたところ、この女性は前に崩壊した石垣の場所に人柱として埋められたことが判ったのです。盆踊りの最中にさらわれて人柱として埋められてしまった可哀相な女性だったわけです。

 昔はひどいことをしていたのですね。このときも松平氏が宍道湖のコノシロを供えたらもう亡霊は出なくなったとのことです。いかがですか、小野寺様。興味深かったでしょうか?」


「すごいね、暗記してるんだ。もし野口さんがさらわれたら僕が命がけで助けに行くよ」


「野口さんはやめてって言っているでしょ。じゃ、こんな松江でひとり寂しく暮らしている私をどこかにさらってちょうだい。小野寺君にできる?」


 天守閣に見入っている僕に江美はからかうように言った。


 僕たちは日陰を求めて急いで天守閣に入った。

 内部はヒンヤリとしていて、流れ出ていた汗が少し引いた。


 急な傾斜の階段を上がる時は僕が先に立ち、自然に江美に手を差し出した。

 江美も躊躇なく僕の手を取った。


 心臓が脈を打つ音が僕の手から江美に伝わっていないかと気になった。

 江美とは昨夜知り合ったばかりで何も分からないのだが、優里にはない大人の雰囲気を感じていた。


 最上階の望楼に上がり南方向を眺めると、美しい宍道湖がすぐそこに見えた。

 真夏の強い陽射しで、まるで魚の鱗のように湖面はギラギラと輝いていた。


「綺麗でしょ」


 ずっと景色を眺めている僕の横に江美が立ち、僕の右腕を胸に抱くようにしてきた。


 右肩の辺りに江美の顔があった。


 甘いような、それでいてレモンのような酸っぱさが混ざった香りが彼女の首筋あたりから漂ってきた。


「宍道湖って、すごく綺麗だな。来てみた甲斐があったよ」


「本当にそう思う?」


  江美の胸のふくらみが右腕から伝わってきた。

 彼女のさりげない仕草に戸惑った。


「もちろん本当にそう思っているよ」


「宍道湖で獲れる白魚は有名なの。そのまま食べてももちろん良いし、天ぷらにしても美味しいのよ。でも残念ながら今の季節は獲れないけど」


 江美がどういうつもりなのか分からないが、僕たちはずっと手をつないだまま天守閣を降りて松江城とその周辺を散策した。


 僕は明日の朝、松江を発って四国の松山へ向かう。

 江美とはこのまま別れてしまえばもう会うこともないかも知れないと思うと、少し残念な気がした。


 昨夜知り合ったばかりなのに、どうしてこんな気持ちになるのかが不思議だった。


 優里のことが好きなのは間違いないのに、まるでこころにもう一つ引き出しがあるかのような自分の気持ちが分からなかった。

 だが、僕はもう少し江美と一緒にいたいと思った。


「小野寺君、明日の朝早いのかな?」


 江美は小さな声で訊いた。


「松山まで特急を乗り継いで行けば六時間もかからないはずだから、そんなに朝早くは発たないと思うけど。なぜ?」


「明日の朝そんなに早くなければ・・・今日少しだけ、うちに来ない?早く帰らないといけないなら無理にとは言わないのよ。何か作ってあげようと思っただけだから」


 ドキドキした。カチン!と音がしたようにふたりの気持が合致した。


「いいよ、君のアパートへ行こう」



 二時間後、僕は江美のアパートにいた。目眩めく時間が過ぎた。

 今日はこんなふうになるとは思いもよらなかった。


 僕はたった一日、わずか数時間で心に火がついた自分が分からなかった。

 優里がいながらも、いとも簡単に江美の誘いを受け入れてしまった。

 僕は自分の脆弱な気持ちを踏ん張れなかった。


「初めてだったのね。ごめんね、私が最初の女なんて。後悔しているでしょ。でも誰とでもこんなことするわけじゃないのよ。信じてもらえなくてもかまわないんだけど」


 僕は布団にの上に仰向けにになったまま、しばらく放心状態になっていた。


「そんなふうには思っていないよ」


 松江城を出てから江美のアパートに着いて、玄関のドアを閉めると彼女はいきなり僕にキスをしてきた。

 そのあとのことはよく覚えていない。


 僕は裸で女性と抱き合うのは初めてだった。

 成人映画などで得た知識で江美の中に入っていこうとしたが、スムーズにいかなかった。


 江美はバージンではなかったが、男女の営みにはまったく慣れていなくて、ふたりで協力して一つになった感じだった。

 お互いのぎこちなさが可笑しくて、僕と江美は苦笑いしながら抱き合った。


 江美の甘い香りと吐息に包まれたとき、閉じた瞼の奥で優里の不安そうな顔がよぎった。


「許してくれ」と僕は心の中で叫んだ。


「小野寺君って不思議な雰囲気を持っているのよね」


「何が不思議なの?」


「言葉では言えない何かなのよね。ともかくお腹が空いたでしょ、何か作るね」


 それから江美は狭いキッチンに立って料理しはじめた。

 何かを揚げる香ばしい匂いが漂ってきた。


 江美が作ってくれたのは、鶏のから揚げとスパゲティナポリタンだった。


 僕は鶏のから揚げというものを、このとき生まれて初めて食べた。

 世の中にこんな美味しい食べ物があるとは、このときまで僕は知らなかった。


 冷蔵庫には瓶ビールが冷えていて、江美が僕に対していろいろと用意をしてくれていたのだと思うと、ますますこのまま別れてしまうのが惜しかった。

 でも僕は明日の朝早く松江を発つ。



 翌日、僕は岡田たちと一緒に松山へ向かった。

 途中、岡山で乗り換えて、特急列車で六時間あまりを要した。


 僕の座席と通路を挟んだ反対側の四人席で、テキ屋衆たちがサイコロ博打に興じていた。

 丼鉢にサイコロを三つ振る簡単なもので、三つの出目の合計数を競うのだ。


 ゾロ目が出れば、それを振った者が他の者からそれぞれ三倍の賭け金を受け取る。

 四と五と一が出れば「シゴイチ」といって、全員から賭け金の五倍の金を受け取れるのだ。


 最初は百円の賭け金からはじまるが、場が白熱して負けが込んだ者が出てくると、一回の賭け金が二百円、三百円と跳ね上がってくる。


「ホラ見てみい、ゾロ目や!」「シゴイチ~!」などと、ちょっと筋の悪そうな男たちが大声でサイコロに興じていると、近くの乗客たちは当然あからさまに嫌な顔をした。


 僕は彼らの遠慮のない賭博行為を嫌な思いで見ていた。


 車掌も見て見ぬ振りをして、乗客から苦情が出たときだけ「すみませんが、他のお客様のご迷惑にもなりますから、もう少し静かにやっていただけませんか」と言ってすぐにその場を離れてしまうのだった。


 岡田は一つ後ろの席にポツンと座っていて、長旅の疲れからかそれとも気苦労からか、窓側に身体を寄せて寝ていた。


 僕の四人席には山本ともうひとりの若い衆がいて、賭博には参加せず、山本は朝からその若い衆を相手に酒を飲んでいた。


 山本はカンさんらの賭博の嬌声に「もっと静かにせんかな。お客さんたちが迷惑がっているだろうよ」とときどき窘めていた。


 彼らと一緒に祭事のバイで移動していると、毎日が驚かされることばかりだった。


 僕は車窓の景色を眺めながらため息を吐き、優里のことを思った。

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