第12話


「おい小野寺、朝めし食わんのか?」


 翌朝、岡田の声に目が覚めた。


 時計を見ると八時を過ぎたところだった。耳元でバケツをガンガン叩かれているように頭が痛い。

 明らかに二日酔いだ。


「食事はいいです。もう少し寝かせてください」


「そうか、俺はちょっと近くの喫茶店でコーヒーを飲んでいるからな。ゆっくり寝とけ」


 岡田は昨夜かなり飲んだはずだ。

 しかも酔いつぶれた僕を宿まで担ぐようにして帰ったというのに、普段と全く変わった様子がなかった。


「元気な人だ」と二度寝の眠りの中で思った。


 次に目が覚めると時刻はすでに十一時を少し過ぎていた。

 慌てて洗面を済ませて階下へ降りると岡田がロビーで仲間衆と一緒にいた。


「よう、色男。デートに遅れるなよ」


「デートなんかじゃないですよ。ランチをおごってくれると言うから行くだけです」


 相変わらず軽口を言う岡田にムッとして待ち合わせ場所へ急いだ。

 約束の時刻は十二時半だった。頭がまだ木槌で叩かれているように響いていた。


 松江駅に着いて周りを眺めてみると、駅ビルとの並びのテナントビルの一階に「純喫茶・シオン」という店が目に入った。


 僕は昨夜の誘いは冗談じゃないのかという不安を抱えたまま店に入った。


 約束の時刻より少し早かったが入口から見える位置に江美はすでに来ていた。

 こちら側を向いて座っていたが目は膝元に注がれていた。


「本当の話だったんですね」


 江美の正面に座って僕は言った。


 江美は僕が声をかけるまで気付かずに膝の上の本を読んでいた。

 半袖の淡いピンクのサマーセーターにジーンズ姿がとてもよく似合っていて、昨夜とはずいぶん違った雰囲気だった。


「えっ、何が?」


「今日のランチの話」


「どういうこと?」


「いや、その・・・からかわれているんだろうと思っていたものだから」


「何言っているのよ、冗談で言うはずないじゃない。それよりコーヒー飲む?」


 江美はやや不機嫌な表情になって、読んでいた本をパタリと閉じながら言った。


「そうなんですか、すみません。女性に誘われるなんてこれまでなかったものだから。ところでここでランチを食べるのですか?」


「違うわよ、駅の反対側に美味しいレストランがあるの。じゃ、出よう」


 僕は江美のテキパキとした言葉の勢いに圧倒されていた。


 江美に続いて喫茶店を出て、松江駅の南側にある比較的新しいビルの地下に降りて行った。


「ここよ、びっくりするくらい美味しいから」


 店の扉には「ビストロ・マルコ」と書かれていた。

 店内はちょうどランチタイムで混雑していた。


 江美はこの店に度々訪れているようで、勝手知った感じで奥の方に僕を誘導した。

 すぐに店の女性スタッフがメニューを持ってきた。


「ここのビーフシチューはすごく美味しいのよ」


 僕にメニューを手渡しながら江美は言った。


「おまかせしていいですか。僕はあまり食べ物のことは分からないから」


「分かった。じゃあ私が勝手に注文するね」


 スタッフを再び呼んで、彼女は前菜三種盛りとビーフシチューとビフカツ、それにシェフの気まぐれサラダなんてメニューを注文した。


「ビーフばかりだけど、分けて食べよう」


 江美はウフッと笑って言った。


 僕は彼女の間髪を入れずに出る言葉や、次々と変わる種類の異なる笑顔にドキッとし、そして混乱した。


「私、野口江美よ、江美って呼んで。夜のお店はバイトね。今日は昼間の勤めは休みだけど、いつもは松江市の観光案内所で働いているの」


 料理が運ばれてくるまで江美は自分について話をはじめた。


 島根県安来市の生まれで、地元の高校を卒業後、関西が地盤の大手スーパーに勤務した。

 そのころは兵庫県尼崎市の叔父宅に世話になったが、二年ほどで辞めて実家に戻った。


 実家のある安来には特に仕事がないので、父の口添えで松江の観光案内所に勤めるようになった。

 彼女の実家は農家だが、父の知り合いが島根県庁に勤めていた関係で便宜を図ってもらった。


 目下は松江市内のアパートにひとり暮らしで、今年二十四歳。「私のほうが少しお姉さんね」とニコッと笑って言った。


 僕も簡単な自己紹介をした。


 大学二回生だが、いわゆる普通の大学生活を送っていない「冴えない貧乏学生」であり、テキ屋のバイにあちこち回る大学生らしくない大学生だと説明した。


 もちろん江美が一応年上なので丁寧な言葉遣いで話をした。


「親元は愛媛の今治です。仕送りもありません」


「そんなの当たり前でしょ、何を暗い顔をしているのよ。それよりビールかワインを飲まない?昼間からでもかまわないでしょ」


 江美は返事を待つ間もなく、店の男性に「赤のハーフワインを一本ください!」と店内に響き渡るような声で言った。


「小野寺君、さっきから私に丁寧な話し方をしているけど、お願いだからそれはやめてね。背中のあたりがモゾモゾと痒くなるのよ」


 快活で思ったことをはっきり口にする江美は、優里とはタイプが正反対だった。

 でも会った当初は戸惑っていたが、優里とは違う魅力を僕は感じはじめていた。


 僕たちは運ばれた料理をふたりで分けて食べた。

 江美は食欲旺盛で、最初の料理を食べてしまったあと、さらにハムとピクルスを注文し、ハーフワインをもう一本飲んだ。


 洋食がまだ珍しい時代だったが、江美はなれた感じだった。

 食事中の会話の七割は江美のものだったが不快には思わなかった。


 むしろメリハリのある言葉と話の内容が新鮮で、心地よいランチタイムだった。

 お勘定は江美がすべて払った。


「あなたは学生、私は社会人よ。さっき冴えない貧乏学生ですって言っていたじゃない。それに私が誘ったのだからね」


 僕が払おうとすると、江美はまた違う種類の笑顔で言った。


 外に出るとすでに午後二時半ごろ、最も暑い時間帯なので江美は少し戸惑った様子だった。


「とりあえず松江城・・・行ってみる?」


「松江といえば宍道湖と松江城だよね。じゃ、松江城だけ案内してもらおうかな」


「分かった」と江美は言い、僕たちは駅前からタクシーに乗った。


 雲ひとつない好天で、容赦なく照りつける強い陽射しのためエアコンもあまり効いていなくて車内は暑かった。


僕の右腕に江美の左腕が触れた。暑さのため汗で濡れていた。

 その汗は僕をドキドキさせた。


 タクシーを降りると、アスファルトで反射した蜃気楼で遠くに見える松江城の天守閣が揺れ動いていた。


 水郷際では宍道湖で何千発もの花火が打ち上げられて多くの人出だった松江城も、祭りのあとは観光客も少なかった。


 夏場は夜になるとライトアップされるので、涼しくなってから訪れる人が増えるのかも知れない。


「松江城って思ったより立派だな」


 故郷の今治城のほうが立派な気もしたが、江美の手前、松江城の重厚さを褒めた。


「松江城はね、全国でも立派なお城のひとつなのよ。でも築城にまつわる悲しい話もあるの。少しだけ聞きたい?」


「もちろん聞きたい」


 観光案内所に勤めている江美にとっては、もう話し飽きていることかも知れないが、僕は松江城の悲しい話よりも彼女が説明してくれることに興味を持った。


 江美は松江城にまつわる逸話を語りはじめた。

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