第11話

 各地を渡り歩き、テキ屋の仕事にもずいぶん慣れた。


 次の仕事先である島根県松江市に入ったのが八月初旬、ここでは水郷際という比較的大きな祭りが行われていた。


 岡田を中心とした一行は祭りの前日からから松江に入り、宍道湖で二日間にわたり数千発の花火が打ち上げられるクライマックスの日までヘトヘトになってバイに励んだ。


 ベテランのテキヤ衆に混じってまったくの新人だった僕は、それでも皆に馬鹿にされないように精一杯頑張った。


 そして次の仕事先である四国の松山へ向かうまで、数日の休みとなった。

 岡田について行って一ヶ月近くになるが、これが初めての休みといってよかった。


 夜になってから岡田に連れられて松江市内の歓楽街へ出た。

 岡田は松江にも度々きているらしく、二軒目のバーでは顔なじみのようだった。


「ママさんよ、このアンちゃんは学生さんでな、法律を勉強しとるんや。将来はいざという時に俺らを助けてくれるんや。なあ小野寺、頼りにしてるで」


 岡田は気持ち良さそうに酔っていた。店には四十歳位のママと若い女の子がふたり、カウンターの中にいた。


 小さなバーだが、ママが人気テレビドラマの女優に似ている美人だからか、常連を中心に繁盛している様子だった。


「岡田さん、大学で法律を学んでいるっていっても、卒業したらたいていは普通のサラリーマンになるんですよ。裁判官とか弁護士になるには難しい試験があるんです。僕なんかには無理ですよ」


 せっかく入った大学生活が四苦八苦している状態なので、岡田のさりげない褒め言葉に敏感に反応してしまう自分を恥ずかしいと思うばかりだった。


「松江にはいつまでいらっしゃるのですか?」


 僕の席に近いカウンターの中にいた女の子が不意に話しかけてきた。


「明後日までここにいて、そのあと松山に行くんだ」


「松山か、いいなあ、私も行ってみたい。小野寺さんって学生さんだから夏休みだけバイトで回っているのね?」


「露店の仕事って祭りの季節が忙しいだろ。だから僕みたいな学生を雇ってくれるのは夏祭りの季節や大晦日と正月位だよ。

 割のいいバイトだからいつでもあればいいんだけどね。でも大学があるからそうもいかないけど」


「じゃあ、松山の仕事が終われば大阪に戻るのね」


 女の子は江美と言った。


 肩までの黒髪がとても魅力的だなと、店に入った時から思っていた。


「私も大阪に行こうかなあ。叔父さんが尼崎っていうところに住んでいるのよ」


 彫りの深い細面の顔に黒髪の彼女は、テレビで人気の沖縄出身の歌手によく似ている美人で、ツンとしたところがなく好感が持てた。


「江美ちゃん、真面目な青年を誘惑してもろうたら困るな。そやけどええ男やろ。いっぺんなら男にしてやってくれても構わんで」


「何を言うんですか、岡田さん。やめてくださいよ、失礼じゃないですか」


 岡田の無責任な言葉に僕は慌てて言った。


「じゃあ男にしてあげようか。でも、自信持って言えるほどじゃないんだけどね」


 岡田と同じように軽口を叩く彼女が本気で言っているわけがないのだが、僕はこういう言葉のやりとりになれていなかったので冷や汗が出た。


 ウイスキーを流し込んで気分を落ち着かせた。

いつの間にか僕は酔った。


 仕事は面白くても休みなしで一ヶ月近くも働き続けた疲れもあって、アルコールの回りが早かったのかも知れなかった。


「ねえ、明日予定がなければお昼一緒に食べない?松江を少し案内してもいいし」


 カウンターの向こうから少し身を乗り出して、僕の耳元で囁くように江美が言った。甘いコロンの香りが微かに漂った。


 店の洋酒棚がグルグルと回っていた。江美の顔が揺れていた。


 僕は「分かった」と彼女に返事をした。何を分かったのかが分からないまま僕は「分かった」と言っていた。


「じゃあ、駅前のシオンという喫茶店で十二時半ね」と耳に入った。

 でもその言葉が誰のものなのか、回り続ける洋酒棚や耳に入る客たちの話し声に思考がかき消された。


 その声はもしかして優里の声だったのかも知れないと、心地良い酔いの中でぼんやりと思っているうちに、僕はこの夜の記憶を失った。

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