第10話
大学が夏休みに入った七月半ば、僕は岡田と数人のテキ屋衆とで北陸山城温泉へ最初の仕事に向かった。
「やましろ七夕祭」は温泉街の夏祭りで、商店街などに飾られた笹の木へ願い事を書いた短冊をつける。
祭りは七月初旬から長い期間行われ、地元の人や観光客などで賑わう。
僕は岡田の指示のもと「天津甘栗」や「たこ焼き」などを売った。
甘栗は根強い人気があって、昨年末年始の伏見稲荷神社のときと同様に安定して売れた。
たこ焼きも大阪の味を出す隠し味があって、これは僕のような素人が作っても美味しく出来上がり、飛ぶように売れた。
たこ焼きの手法もすぐに憶えて、仕事が面白くて時間の経過を忘れるほどだった。
岡田は店に立つことはほとんどなかった。
バイネタ(商品)の仕入れや地元の庭場の親方衆との打ち合わせなどに忙しい様子だったが、毎日必ず様子を見に来ては別の露店の場所を回っていた。
深夜、露店を閉めて宿に帰り、風呂を浴びて部屋に戻ると岡田と他のテキ屋衆たちが数人来ていて、それから酒盛りがはじまるのだ。
酒が進むと部屋の隅で花札をはじめる男たちもいた。
年末年始の祭事ではないので朝はゆっくりだ。
彼らは明け方まで飲んで、仕事の話や昔話、故郷の話などに花を咲かせていた。
僕は彼らの話を聞いているだけだったが、ヤクザ稼業での失敗談や若いころの無茶な話など、知らない世界のことばかりで興味深く、それぞれの話を聞き漏らさないように耳を傾けた。
「兄さんは学生さんかい?」
集まっていたテキ屋衆のひとりで、鋭い目つきの中年の男が訊いてきた。
彼は片方の小指の真ん中あたりから先が欠落していた。
僕はその指から目をそらしてうなずいた。
「バイトで来てくれるのはワシらも助かるが、学生さんにはこんな仕事はあまり勧められんな。悪い奴らもいるからのう。そいつらの誘いには乗らんようにな」
僕は「はい」と言ったあと言葉が出てこなかった。
岡田がすかさず助け舟を出した。
「まあよろしいですやん、山本さん。小野寺君は苦学生でしてね、事情があって金になる仕事をしたいと言うとりますんや。ホンマによう仕事してくれるんで助かってるんですわ」
「それは分かっている。そやからせっかく稼いだ金を悪い奴らの誘いに乗って無くさんように忠告しとるんや。カンさんや石やんのような詐欺師みたいなのがおるよってな」
カンさんというのはもう六十前後の年配者で、石やんというのはカンさんよりもひとまわりくらい年下だが、すっかり頭髪が禿げ上がっていて、いずれもひと癖ありそうな人物だった。
博打好きで、素人を誘い込んでサイコロや花札博打で有り金を巻き上げてしまうらしいのだ。
さっきからこのふたりを交えて四人の男が花札に興じていた。
「山さんにかかったらかなわんな。俺らは犯罪者と違いまっせ」
カンさんこと神崎は笑いながら酒をあおって言った。
テキ屋衆の中でも山本という中年の男には岡田も他の男も一目置いている雰囲気があった。
岡田と山本、そしてこの悪名高い二人とは、このあとも山口県下関市、島根県の松江から愛媛の松山などへの移動は一緒だった。
僕は死ぬほど働いて宿に戻って皆と一緒に酒を飲み、また翌日働くという日々で、岡田からは週に一度賃金を受け取っていたが金を使う暇がなかった。
それに宿代や食事代も負担しなくてよいので、驚くほど金が貯まった。
僕は各地から優里へ手紙を送った。
祭事場所からいつ移動するか分からないから、滞在先への手紙の返事は出さないように優里には伝えていた。
宿に帰って一息ついて、ときどき仲間の目を避けて宿の近くの公衆電話から優里の寮へ電話をかけた。
受話器から届く優里の声はいつも寂しそうだった。
ただ仕事の話になると少し元気になるので、仕事と看護学校が充実しているのだろうと僕は安心した。
大学二回生の夏休みは、普通の大学生が経験し得ないであろうことの連続に驚きながらも、優里のことはひとときも忘れなかった。
そんなふうにして七月が過ぎ八月になった。
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