第一章 魔女と忍、未知との遭遇
第3話 忍びか剣士か桜の精か? 蠱惑の狐姫は常世の花として戦さ場を乱れ舞う
羅志亜の里は春になると一面、梅と桜が満開に咲き誇る。ソメイヨシノが戦国から100年以上あとの時代に産まれるまでは、山桜、豆桜などが愛された。但し名だたる武将達は花を愛でる者が大勢いたのにもかかわず桜を家紋にする者はいない。
そして桜が好きな武将といえば花の御所で有名な三代将軍、足利義満。そしてその子孫……それは小狐が仕える相手だと確信していた容姿端麗な青年。いや、君主がお忍びで花見に羅志亜の里にやってきていた時。
その青年、若年ながら、将軍として日本を平定、天下太平を築かんと日夜奮闘していた。
家臣の二人が遠くから見守る中、幼少の頃の小狐は彼を呼ぶ。
「義輝様、こっちだ! こっち!」
「ははっ! 小狐は足が速いですね? 背も随分おおきゅうなった」
そう、小狐が懐き甘えていたのは、将軍足利義輝。剣の鬼、塚原卜伝に剣聖とまで言われた当時、最強の剣豪を謳われる日の本の政の頂点。その義輝の容姿もさることながら、一度。羅志亜の里で披露してくれた義輝の剣技に見惚れ、小狐は剣の道を、侍という者に憧れを抱く。
それは一重に、幼き淡い恋心だったのだろう。
「まだ背は四尺くらいしかない。乳だってそうだ。平たい洗濯板のようじゃ」
自分のペタンとした平たい子供の胸を触って残念そうにするので、義輝はクスクスと笑う。
「小狐は、頑張り屋さんですね? そんな忍が味方をしてくれるのであれば私は、そして私の世は安泰です」
「義輝様、
「どうしてです?今の忍頭は奈々か小狐が次の忍頭だろうと褒めていましたよ?」
義輝に頭を撫でられながらも小狐は少しだけしゅんとする。いつもあれほど元気な小狐がこんな風になるなど余程の事があるのかと義輝は察すると小狐を自分の膝の上に乗せて見つめる。本来、里の娘が将軍を独り占めし、甘えるなど言語道断。されど、義輝にとっても小狐と共にいる時間は心安まるものだった。
「小狐、私に話してはくれませんか?」
「……駆け比べも同じくらい。手裏剣も組み術も、姉上や雪の方が上手だ。
少しだけ義輝が難しい顔をする。そして小狐を抱きしめる。小さい子供、歳の離れた妹を愛でるように……義輝もまた小狐に、自分を守る忍びの里にいる子供以上の感情を持っていたのかもしれない。
「私にも一つ違いの弟がいます」
「千歳丸様」
「ははっ、もう義昭と呼んでお上げなさい。弟は優秀な子ですが、私と比べられ、辛い思いもしてきたでしょう。ですから、私は小狐の気持ちよりも奈々の気持ちがよくわかります。私は自分がいなければ良かったと思う時がたまにあるのですよ?」
義輝は優しい瞳で、そして少しばかり寂しそうにそう言う。
風が出てきたようだった。小狐は忍の里の子供。風の匂いで雨が降るかどうかくらいはわかる。この風は一時的なものだったが、小狐の心は一時の激情に駆られた。
「義輝さまぁ! そのような事を申すでない!」
突然叫んだ小狐に遠くで見ていた家臣の幽斎と晴員は刀を抜こうとする。子供といえど忍の子。何が起きるか分からない。そんな二人に義輝は言う。
「二人とも私の身を案じてくれた事。礼を言います。ですが、小狐もまた貴方達と同じ、私の身を案じ、私の代わりに怒ってくれたのです」
「
小狐は泣いた。わんわんとそんな小狐を抱きしめて背中を優しく叩く。そして義輝は小狐に謝った。
「私が悪かったです。小狐。泣き止んでおくれ? お前の可愛い顔を私に見せてください」
義輝は聞いていた。
元々小狐は羅志亜の里の子供ではない。羅志亜の里の女達が嵐の翌日、浜辺に貝や魚を拾いに行った時、小狐は見たこともない玩具と共に包まれて浜辺に流れてきていた。
息もとまりおそらくダメだろうと思ったが、蘇生を試みて、奇跡的に小狐は息を吹き返した。背中の下部に火を纏う狐の刺青がなされていた事から小狐と名付けられ、忍頭の娘、奈々の妹として育てられる。
奈々と小狐は共に器量よし、素質よし、されど小狐は元々忍びの一族ではなかった事と奈々に一日の長がある事。平たく言えば、忍としての素質は奈々に迫るほどではなかった。
されど、生まれ持った体幹の良さ、道具を使う器用さ、それは新たな羅志亜の忍の姿でもあると皆が期待していた。
他の皆と同じ黒髪。
しかし、目鼻立ちが他とは少し違う。幼少からすでに化粧をせずとも色を感じる小狐。義輝の家臣の何人かは小狐を身請けできないかと義輝に相談したくらいだった。
「小狐。お前が私の刃となってくれれば安心ですね」
「任せろ義輝様! 全ての敵を
「とてもありがたいですが羅志亜の力は鬼人の力、無闇矢鱈に使ってはならんと忍頭に言われませんでしたか?」
ことある事に小狐は忍の技を使っては忍頭。
要するに父親にぶん殴られてきた。その度に大泣きしてその度に奈々やその弟の雪に守ってもらう。
「親父殿は、小狐が嫌いだからあーいうのだ。すぐにゲンコツするしな」
「奈々樹丸殿は小狐の事が大事だから、折檻するのですよ?」
「どうして?」
「羅志亜の忍は戦闘に特化した力を持っています。その技や奥義を誰だって欲しがる。強い力は持っているだけでいいんです。それを使えば、誰だってその力を使いたくなる。だからこそ、力は倒すためではなく守るために使いなさい。いいですね? 私を守ってください」
そう言って撫でられ、小狐は何度もうなづく。大好きだった将軍。自分が仕えるただ唯一の人。
そしてまだ幼児だった小狐が身も心も捧げてもいいと思えた人。
愛した人。
だが、羅志亜の里にすぐに信じられない知らせが入る。松永秀久、家臣の凶刃の前に剣の鬼、足利義輝は倒れた。
それは全ての羅志亜の民に伝わった。弔い合戦だと里の忍達は猛々しく立ち上がったが……義輝の最期の遺言は、どのような力にも羅志亜の民は力を貸してはならないと、それを聞いた忍頭は足利義昭の助力、また織田信長、武田信玄、今川義元等が軍門に降るように通達を出してきた全てを跳ね除けた。
それより羅志亜の忍は仕える者を失ったはぐれの忍びと化す。そして小狐は羅志亜の里にあるなまくらの刀一本盗んでしばらく旅に出る事にした。あらゆる戦場を駆けめぐり、戦の愚かさを知る。
生きている人間の手足、時には首が飛び、本来みる事もない臓物を撒き散らし、糞尿を流しながら絶命する。
そして一度戦が終われば、死体を漁る乞食に落ちた雇われ農夫侍達の姿。
足利義輝亡き今、世は地獄のような戦国時代が始まった螺貝の音が響く。
「義輝様、これが義輝様が守りたかった世界か?
馬に乗った侍の横を歩く小狐。
その名のある侍に大柄の侍が大きな槍を持って名乗る。
「我は、飛騨の国は」
「うるせぇ!」
小狐は刀で一刀両断。その姿を見て小狐の隣にいる男は手を叩く。
「見事なり小狐。そのなりで、その美しい容姿で、信じられぬ技量と力よ」
「
無礼な事を言う小狐にその侍の家臣が物申すが、侍はにぃと笑う。戦国の世において小狐程度の歌舞伎者など五万といる。されど、小狐ほど美しい者は他にはそういない。伝説上の巴御前のごとき小狐の働き。
「小狐、十倍払おう。今宵、麻呂と」
戦働きをしているにしては小狐の体は綺麗だった。手足に擦り傷程度はあるものの、矢の傷も剣の傷もない。小狐には攻撃という攻撃が当たらない。その身のこなしから恐らくは忍の類であろうと雇っている男も気づいていた。
戦さ場に女がいれば、それも美しい者がいればどうなるか?
慰み者にしたいと思うのは世の定め。侍の小姓は嫉妬する。だが、そんな言葉に小狐は睨んだ。
「言ったはずだ。
血切りをすると鞘に刀を戻す。小狐の事は段々と有名になる。戦場に咲く一輪の花。
そう、会えば三途の川を渡る事になる常世の花。
「矢だ! 矢で射れい! 常世の花が出た!」
弓矢で狙うのが追いつかない。小狐が駆ける速度に誰もついてこれないのだ。そして敵陣に向かうと斬り込む。腰に挿した刀を抜き、斬り裂く。斬り裂いた相手の腰に刺さった刀を抜いてさらに斬り裂く。
二刀流、一刀流。刀が使えなくなればそれを捨てて懐の中から小刀を投げる。そして死体から刀を奪うとそれを使う。
殺して、殺して殺し続けた。一体誰が望んだ戦なのか?
どうすれば終わるのか? それを教えてくれる人はどこにもいない。
「義輝様、
嘆き、修羅の悟りにすら達そうとしているそんな小狐が初めて見る戦道具。
バキュン!
反応が遅れた。真横にいる甲冑を着た侍が絶命する。矢? 手裏剣? 違う……鉄の玉を高速で打ち出す何か……
「種子島じゃ! 皆、撤退! 撤退じゃあ! 戦場の死神・雑賀衆じゃあ!」
ダン! ダダン! ダダダダン!
火薬の匂い、耳をつく音、そして音と共に奪われる命。小狐も見たことのないそれらに慄く。
「なんだあれは……てつはう……蒙古が使ったというやつか?」
だからなんだと言うのか? 自分には関係ない。自分は義輝なき今。求めている場所は死地。それが今だと言うならそれもいい。刀を拾い、小狐は駆ける。恐ろしく速い弾丸だが……
「見えぬわけでもなし!」
ガキィン!
火縄の弾丸を小狐は斬って見せた。それに火縄銃を使う一人は大きく口を開けて唖然とする。
もちろん、小狐にそんな隙を見せれば命を奪われるのは自明。一人が殺害され、標的を小狐に向けようとした時、大きな声が響く。
「撃ち方、やメェい!」
馬に乗って甲冑を来た男。それが手に持つ物、それこそがおそらくは種子島。それを持って小狐に近づいてくる。
「そのなりで、その年で、そして女で見事だ。俺は、雑賀孫市、雑賀衆を纏める者」
「
もはや死んだ者の名前を呼ぶ小狐を見て、孫市は察する。彼女は死地を求め、戦場にいる。
命を捨てて向かってくる者の強さ。
「その技、侍の剣技にあらず。甲賀か? 伊賀か? 根来か? 忍の技であろう? 身のこなし、尋常にあらず」
小狐は目を瞑る。
目の前の者は剛の者。もしかすると自分はここで死ぬかもしれない。だからこそ名乗った。
「羅志亜忍軍。忍副頭、侍の小狐だ」
鬼人・羅志亜忍軍。
戦場にいれば伝説として聞いたことがある。一騎当千の力を有し、仕えるものは永劫の勝利を得ると、それに孫市は笑う。
「鬼人か、面白い。それが誠ならその伝説はここで終わる」
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