エピローグ:黒ノ翼が降り立つ場所

「結局、振られちゃったわけだねぇ透夜君は」


 レクリエーションルームの丸テーブル。

 向かい合って座る世那が、心の底から面白いという感情を隠そうともせずに、そんなことを言う。


「手ひどくやられましたよ。なんだろうこの気持ちは。子どもが自立した親の気分と言うか……」

「失恋でもあり子どもの親離れでもあり……心にぽっかり穴が空いてしまったことに変わりないだろ。ま、アールグレイでも飲んでリラックスしなよ」


 勧められるがままにカップの中身を一口舐めて、深く息を吸い込んで、吐く。

 やはりこの香りは落ち着く。今回の件の不満もすべて解消……というわけにはいかないが、嵐の後のように散らかった頭の中を整理するきっかけにはなった。

 あれからクロハが戻ってくることはなかった。

 涼佳や彩音の能力、機関の技術を合わせて、少なくとも日本国内からは出ていることが分かっている。他国のアーク支部の報告次第では正確な位置が分かるかもしれないが、しばらくは彼女に対してアクションを起こすことはできない。


「正確なところは分からないが、彼女の本当の異能はおそらく人格創造アルターエゴだよ。ただの多重人格とは違う。人格を分離させたうえで、その一つ一つに異能を宿らせることができる。世界でわずか数件だが、同様のケースが確認されていて、透夜君の話からもクロハちゃんがその能力の所有者である可能性は高い」


 アルターエゴ。

 最初に学校の屋上で出会った臆病なクロハ。

 そんなクロハを守るために翼となり爪となった、黒羽。

 そして、最後に出会った‘クロハ’。おそらく彼女がホスト人格なのだろう。


「アルターエゴのホスト人格は別人格を作ると、休眠状態に入る。人格を作る理由は通常の多重人格者と同じ。ホスト人格だけでは受け止めきれない辛い何かがあったから。透夜君が対面する直前に、彼女の中で何か変化があったのだろうね。偶然にもその時Mirrorの監視者はいなかった。彼女が何から心を閉ざし、どうやって乗り越えたのかは謎のままってわけだ」


 苦しみは、最初に出会った彼女の表情と言葉で読み取れた。

 世界への絶望と恐怖。

 だから透夜は彼女を絶望させ切って、悪魔足り得る黒羽だけを残そうとした。

 ホスト人格が戻って来たということは、つまりその逆ということだ。

 彼女は、こんな世界に希望でも見出したというのか。


「はっ、何を見たんでしょうね彼女は。希望の光でしょうか。どうせそんなもの、Mirrorの中で見る星空と同じですよ」

「ひねくれてるねぇ、相変わらず」

「事実を言ったまでです」


 そう、この世界は作られた偽物だ。

 誰かの都合の良いように線が引かれ、その外にいる人たちは否定され、抹消される。

 今は機関の側に居て役割を全うするしかないが、いずれは実現させてみせる。

 すべての人が同じ方向を向いて歩を進められる‘正しさ’を。

 哀川の、黒羽の言葉に垣間見た力強い光。

 あの不明瞭な光をこの手に掴むことが、魔法使いとして、‘異端者’としてこの世界に生まれた自分の使命だと信じている。



*****



 どこかで泣き声が聞こえた。

 聞き覚えのある、助けを求める声。

 頼る人も術も、まるで見当つかずにあてずっぽうに絞り出した嗚咽。

 あぁ、分かった。

 すぐに飛んでいくから。

 そこは暗い洞窟だった。

 人への気遣いなんてまるで無い、でこぼこした岩と無数の虫たちの住処。

 比較的平たい岩の上で、ボロボロの布を羽織った男の子が泣いていた。

 ばさり。

 翼を折りたたむ音とともに、その黒い欠片が数枚洞窟内に入る。

 その姿を見た男の子は、ぴたりと泣き止んで今度は震えだす。


「悪魔……なの?」


 身体の振動を直に受けたそんな言葉に、私は吹き出しそうになる。


「悪魔にしようとした人ならいた。でもね、今の私は天使にだってなれるの」


 分からない、というふうに首を傾げる男の子。

 そうだよね、私も自分が何を言っているか分からない。

 でも今の世界、私たちは何にだってなれるんだ。


「ねぇ、何になりたい? 何が欲しい? 早く決めないと、置いてかれちゃうよ?」


 私は彼の手を引いて、抱きしめて、光のある方へ走る。

 飛ぼう。

 ただし彼が振り下ろされないくらいのスピードで。


 泣いている誰かが、いつか自分の翼で飛べるようになるまで。

 いつかの夕陽を再現できた、あの喜びが分かるようになるまで。

 私が傍にいて一緒に飛んであげよう。

 それが、私が決めた、たった一つの目的地だ。




Fin.

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黒ノ翼 黒崎蓮 @kurosaki_0

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