第8話
店の外に出たオレは、松田に聞いたさっきのページを開く。やる事は決まっている。課金だ。入金型電子決済サービスのIDを入力し、三時間の契約を結ぶ。三千円を使ってオレは隣の席の女に”盛った”ペルソナを見せる為にチェックボックスをタップしていく。エロやギャンブルや子供っぽいペルソナは外していき、上品で頭の良さそうな
女の前には絞ったライムが沈んだカクテルがある。つまらなそうにタバコをくゆらせている女のその煙には着飾ったモデルがポーズを決めているホログラムが浮かんでいる。そうか。この女はオシャレに興味があるのだな。
店の外で手早く済ませた陰謀の下準備は万端だ。彼女にはオレの偽りのペルソナを見てもらおう。釣り針の先のそれに、たとえ彼女が食いつかなかったとしても、エロを見せない為にタバコを我慢する事もない。ハードボイルドな中年を演出しながら酒とタバコを楽しむ為の投資として三千円は安いものだ。
オレはバーテンにジンをもう一杯注文し、新しいタバコに火を点ける。吐き出したタバコの煙に浮かぶのは、裸の女ではなく、高級腕時計の広告。ナイスだ。オレにはそんなものを買う趣味も予定も経済的余裕もない。だが、隣の女へのアピールならば、コレは金に余裕のある男というペルソナになるはずだ。いい仕事をしてるじゃないか、松田。
「ジャズ、お好きなんですか?」
唐突に女がオレに話しかけてきた。おぉ、入店時の第一印象が強かったのか、彼女はジャズの話を振ってきた。
「えぇ。まぁ。いつも聞き流してばかりで、まるで詳しくはないんですが」
オレはボロが出ないよう、当たり障りのない返答をする。
「あ、失礼しました。今の時代、他人の煙の中の広告について触れるのははしたない事でしたね。でも、酒場の煙の中に浮かぶ広告には下品なものが多くって……。そんな中で、お兄さんの煙に浮かぶホログラムはステキだなって思っちゃって」
彼女がオレに向けた笑みはとても好ましいものだった。好意と尊敬をオレに向けている。年の頃は二十代半ばといったところか。美しい顔が笑顔を浮かべると、そこには幼さと純真さを思わせる表情が見てとれる。
「お兄さんはやめてくださいよ。私なんぞはオジサンで十分。あなたの様な美しい方に声をかけて貰えたのは光栄ですが、私がひと時の酒のお供になれるのであれば、どうか、オジサンと呼んでください」
目の前の煙の中に浮かんでいるのが裸の女であったなら言えないだろう、オレの中のハードボイルドを口にする。
「うふふ。やだなぁ。自分でオジサンだなんて。カッコいいですよ、お兄さん」
そう言いながら体勢を整えた彼女は、オレとの距離を数センチ縮めたように見えた。
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