『正しい国』のものがたり

東雲 早立

『正しい国』のものがたり


 あるところに、ちいさなちいさな王国がありました。

 その王国には可愛らしいお姫様、生真面目な宰相、勇敢な騎士、変わり者の錬金術師、それから美術品を愛する彫刻家がおりました。

 その国は穏やかで平穏で、時に小さな諍いはあれど、皆が笑顔で楽しく暮らしておりました。

 ある時にやって来た語り部がこの国に住みたいと申し出てきました。

 可愛らしいお姫様は、語り部の申し出を快く受け入れ、楽しく穏やかな日々は過ぎてゆきます。

 そしてまたある時、それぞれに旅をしていた吟遊詩人と、『正義の剣』を持った勇者が王国にやって来て、滞在を申し出ました。お姫様はその二人の滞在も快く許可しました。

 そうして日々は更に過ぎてゆきます。


 お姫様は病弱故に城から出る事は叶いませんでしたが、それでも可愛らしいお姫様に会いに、城には絶えず誰かが訪れ、いつも賑やかでした。

 生真面目な宰相は生真面目故に厳しい事も言いますが、皆の事を想っての事だと誰もが知っていました。

 騎士は遠征の為に他所の国へ行くことも多く、あまり国に帰っては来ませんでしたが、皆騎士の帰りをいつも心待ちにしていました。

 変わり者の錬金術師は最も年若く、研究の為に引きこもる事も多くありましたが、それでも皆がその特異な性質を気に入っていました。

 美術品を愛する彫刻家は、美術品の収集の為に浪費を繰り返すところがありましたが、芸術について楽しげに語る姿には情熱と愛嬌があり、そんな所を皆気に入っていました。

 語り部は無知で語りたい話しか語れない未熟者でしたが、それでも皆は語り部の話を聞いてくれました。

 吟遊詩人はあちこちを旅していた為、少しばかりズレた所のある人物でしたが、吟遊詩人の唄を皆で聞いて笑い合うのが皆好きでした。

 『正義の剣』を持つ勇者は正しき言葉で皆を導き、誰もがその強さを眩く思っていました。

 そうして全員揃うのは難しくとも、誰ともなく王城の談話室に集まり、毎夜話をしていました。

 

 けれど、ある時からお姫様と宰相、そして勇者の三人は、元々好きだったという魔術の話に傾倒していきました。

 折り悪く騎士は遠征へ、錬金術師は研究の為に、彫刻家は仕事が立て込んで、吟遊詩人は近隣の国々を巡る旅へと出掛けるようになり、ほとんどの者たちがあまり王城の談話室へと行けなくなってしまいました。語り部は夜の酒場で物語を語っては日銭を稼いでおりましたので、それから王城へと行っては誰も居ない談話室に書き置きを残したり、たまに三人と共に語り合う事もありました。

 けれど、語り部は無知ゆえに、魔術の話が分かりません。

 ある時、勇者が言いました。

 『キミはきっと、こういうのが好きだろう』

 そう言って差し出された海の絵が描かれた、一枚の絵画。語り部は海を見た事がありませんでしたが、以前空の青さが好きだと言ったことを覚えていてくれたのだと嬉しくなり、喜んでその絵画を受け取りました。

 けれども勇者は続けて言います。

 『自分は鎧や剣が潮風で錆びてしまうから、海は好きではないけれど』

 その言葉に、語り部は少しだけ悲しくなりましたが、あまり好きでは無いものの絵を、わざわざ持ってきてくれたのだというのが嬉しくて、黙っていました。

 そうするうちに、日に日に会話は少なくなっていきました。語り部の話す物語も、少しずつ、陰鬱なものが増えてきました。

 宰相が言います。

 『語り部さん、私は陰鬱な話を聞くと陰鬱な気分になってしまうから、やめてくれないか』

 語り部は申し訳なくなり、黙ります。

 けれど、語りたい物語しか語れない語り部は、また何度も陰鬱な話を語っては注意を受けます。未熟者故に、その時の気分に沿った物語しか語れないのです。楽しい時には楽しい物語を、悲しい時には悲しい物語を。陰鬱な時には、陰鬱な物語を。それだけしか、語れないのです。

 悲しくなった語り部は、談話室へやってきても、黙って三人が話しているのを聞くだけになっていきました。

 そうして、語り部は言います。

 『私に魔術の話は分からないけれど、それが分からなくて悲しくなる自分がとても嫌なのです。だから、無理に話そうとしなくても構いません。私は、あなたたちが楽しそうに話しているのを聞くだけで充分なのです』

 語り部が語る物語は陰鬱になって宰相に再三の注意を受け、好きな物の話をしても、その度に勇者に『自分は好きではない』と言われる事に、疲れてしまっていたのでした。

 魔術の本を読んでみたいから、本を読ませてくれないかと聞いても、難しい本が苦手な君は読まない方がいい、疲れている時はやめた方がいい、と、本を貸してもらえる事も、ついぞありませんでした。

 それでも語り部は、談話室へやってくるのをやめませんでした。一人は寂しく、三人の事が好きだったから。

 たまに、しばらく談話室へ行くのをやめてしまおうかとも思いましたが、黙って行かなくなるのは流石にあまりに不作法だろうと思うと、中々踏ん切りがつかず、やはり談話室へと通うのでした。

 

 そうしてある時、お姫様がぽつりと言いました。

 『婚約者である隣国の王子が、浮気をしているかもしれない』

 話を聞いた者たちは、皆できちんと話をするべきだ、いっそ婚約を解消する事になっても、きちんとケリをつけたほうがいい、と言いました。

 お姫様は隣国の王子と話をして、王子の不貞が明らかとなり、婚約は解消されてしまいました。

 その日からお姫様は泣いてばかり。

 隣国の噂話を聞いては泣き崩れ、そうでない時は魔術の話ばかり。

 そんな日々がいくばくか過ぎた頃。ようやく仕事の落ち着いた彫刻家や錬金術師が談話室にやって来るようになった頃には、三人ともが談話室へ来なくなりました。

 『もうすぐ国の催事があるから、忙しいのかもしれない』

 『お姫様も、心を整理する時間が必要だもの。病弱なお姫様に無理をさせてはいけないからね』

 『しばらくしたら、また皆で集まれるよね』

 語り部と彫刻家、そして錬金術師の三人は、皆がいつ帰って来てもいいようにと、そう言いあって日々を過ごしました。

 

 けれど、ある時。

 お姫様が言いました。

 

 『お話があります』

 

 嫌な予感がした語り部と彫刻家と錬金術師は、空いている日を聞かれ、指定された時間にいつもの談話室へと行きました。そこには長らく遠征へと行っていた騎士も居ました。

 

 『もう、疲れてしまいました』

 『語り部は何度言っても陰鬱な話をやめない』

 『彫刻家は何度言っても浪費を辞めず、挙句、周囲から責められる辛さに耐え兼ねて逃げ出しては戻るを繰り返す』

 『錬金術師と話す事が無くなって久しい。もう、錬金術師は我が国に必要ない。友人とも思えない』

 『あの吟遊詩人も、旅に出て国に帰ってこない。もう、吟遊詩人も我が国の国民では無い』

 

 『キミたちはそれらの罪を犯した罪人だ。故に、国外追放を言い渡す』

 

 『何か、こちらにも言いたいことがあるのならば、今言うといい。謹んで聞こう』

 

 そう言った勇者の手には『正義の剣』がありました。

 

 ある者は己の罪に嘆き悲しみ、ある者は『あなたたちは正しい。ゆえに語るべき言葉は持ち合わせておりません』と口をつぐみ、ある者は怒りに任せて言葉を叩きつけるように叫びました。

 

 騎士はその法律を決める際に、途中までは会議に参加していたと言います。最初は反省してもらうために、しばらく王城への立ち入りを禁止し、罪を償わせる罰を与えるだけにしようと。そう決まりかけていたのですが、また遠征へと行かねばならず、数日国に居なかった間に『国外追放』へと話が変わっていたのだと。

 

 もしも騎士が最初から最後までその会議に参加していたのならば、結果は違っていたのかもしれません。

 

 けれど、一度決まってしまった法律を覆す事は、できませんでした。

 

 途中で旅から帰ってきた吟遊詩人が談話室をノックしましたが、今は入らない方が良いと止められ、談話室に入ることすら叶いません。

 

 そうして話し合いという名の断罪は終わり、国外追放を言い渡された四人は茫然自失のまま、国の外へと追い出されてしまいます。

 

 翌日にはあの『小さな国』は無くなって、別の新しい国になっていました。新しい国には、誰も入国できません。騎士は変わらず遠征ばかりで国へ唯一出入りできるので、連絡する場合は騎士に頼むことにしよう、ということになったのでした。

 

 彫刻家は『小さな国』から追放されてすぐに、所有していた石材を使って屋敷を立てました。追放された者たちが集まる、あの王城の談話室のような屋敷を。

 

 そこに集まって、吟遊詩人はようやく事の顛末を知ります。

 追放された四人も、そして騎士も、その屋敷に集まって話すようになりました。以前の、平和で平穏だった頃の談話室でそうしていたように。

 相変わらず騎士は遠征ばかりであまり来られず、語り部は他の国の酒場で物語を語って日銭を稼ぎ、錬金術師は研究に没頭するとあまり出てこなくなり、吟遊詩人は旅に出て戻ってこない事も多くありましたが、それでも、時間の合う時は好きに語り合い、笑って過ごせるようになりました。

 

 彫刻家と語り部の持ち出した荷物の中には水晶玉がいつの間にか入っており、お姫様の手紙が付いていました。そこには『私はあなたたちと完全に別れたくは無い。気持ちが落ち着いたら、また以前のように話をしたい。あなたたちに魔術の心得は無いけれど、私が魔術を使えば、その水晶玉で私と話が出来るから、どうかその水晶玉を持っていてください』

 その手紙を読んだ彫刻家と語り部は情に絆され易く、お姫様の事も好きだった為に安堵しましたが、宰相と勇者からは完全に嫌われたのだな、と悲しくもありました。

 

 そうしてかつての平穏を取り戻した新たな『談話室』は、今日も誰かの声が聞こえるのでした。

 

 

 

 

 ……新しい王国が、どうなったか?

 私は一介の語り部に過ぎませんので、国の事など分かりません。それ故に『語るべき言葉を持ち合わせておりません』よ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーそう言った語り部が、水晶玉と海の絵画に目隠しの布を掛けたのは、果たして演出なのか、それとも。聴衆でしかない自分には、判断することは出来なかった。

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『正しい国』のものがたり 東雲 早立 @shinonome_hayatate

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