勇者のレシピ ~世界を滅ぼせなかった魔王の異世界食堂~

shinobu | 偲 凪生

第一話 いろんなハンバーグ

1‐1 玉ねぎは炒めなくても

   ◆




 勇者が死んだ。老衰だった。




   ◆




 空は灰色に覆われて薄暗く、しとしとと雨が降り続いている。

 女神もまた勇者の喪失を悲しんでいるのだと、人々は口を揃えて言う。


 町はずれの食堂の軒先。

 店主が扉に黒い造花を飾ろうとしていたところに、小太りの男性が通りがかった。


「残念。ユッカさんのところも休みかぁ」


 ユッカと呼ばれた長身の女性は、手を止めて振り返る。

 そして、どこか愁いのある微笑みを浮かべた。


「こんにちは」


 短い髪の毛も瞳も漆黒なのは、この町では彼女だけ。

 さらに黒で統一された長袖と丈の長いスカートは、彼女のトレードマークだ。


「しかたありません。喪に服すようにという王命ですから」 

「困ったなぁ。今晩はどこで飯を食えばいいのやら」


 常連客が眉尻を下げて、腹をさすった。


「勇者様が亡くなったのは確かに悲しいが、腹は減るものだし」


 ユッカはわずかに首を傾げてから口を開く。


「少し待っててください」


 一旦店に入ると、手に陶器の白い器を抱えて持ってきた。


「ビーフシチューです。鍋に移して、温めてから召し上がってください」

「いいのか?」

「はい。お代をいただかなければ商売にはなりませんから」

「助かった……。営業再開したら一番に寄らせてもらうよ」

「えぇ、お待ちしています」


 常連客は何度も頭を下げながら去って行った。


 ユッカは空を見上げた。

 傘は差さなくても歩ける程度の雨は、まだ止みそうにない。


 黒の造花をしっかりと扉のフックにくくりつけると、店内へ入った。薄暗いのは外が暗いからと、照明を点していないから。

 カウンターが三席とテーブルが四つの小さな食堂を営んで、もう何年になるだろうか。


 壁際に飾ってあった一冊の本を手に取って、カウンター席に座った。

 豪華な装丁の表紙には金文字で『勇者のレシピ』と書かれている。勇者という文字を、ユッカは指でなぞった。


(本当に、死んだんですか?)


 無言のまま、ページをめくっていく。

 先ほど常連客へ渡したビーフシチューに始まり、ハンバーグ、オムライス、カレーなどのレシピが事細かに記されていた。


 著者はタイトル通り、異世界から召喚された勇者だ。

 魔王討伐後に、故郷の味を思い出して書いたというベストセラー。

 今まで食用とされてこなかったものを食材にすることで調理の幅が広がり、この六十年ほどで王国は食の大国に成長した。


 そんな経緯もあり、勇者への弔意を表すため、国王は飲食店に対して休業を命じたのだった。


 ぎぃ、と音がして、ユッカは店の入り口へ視線を遣った。


「すみません。今日はお休みで、」


 言いかけてユッカは表情をこわばらせた。

 全身をぼろ布で覆った何者かが、開かれた扉の外に立っていた。


 ばっ、と頭に被せた布を外すと、少年の面影を残した青年だと判る。

 腰まで伸びた髪の色は、淡い金。うなじの辺りでひとつにくくっている。

 瞳は大海原のようなエメラルドグリーン。


「六十年ぶりだね、ユッカ」


 人懐っこいと表現するのがぴったりな笑顔で、彼はユッカへ笑いかけた。


「……イトウ?」


 ユッカは唇を震わせた。


「その名前で呼ばれるのも六十年ぶりだ。ははっ」

「え、待ってください。本当に、あなたは、勇者なんですか」


 ユッカの震えは唇から全身へと広がり、慌てるようにして立ち上がったので音を立てて椅子は床に倒れた。

 青年の前に立つ。身長差は頭二つ分。ユッカの方が、背が高い。


「……死んだと聞いていましたが」

「うん。死んだ死んだ。大勢の人たちに看取られて、大往生だった!」


 そして、とイトウは言葉を区切った。


「気がついたら真っ暗な土の中にいた。這い出たとき、この世界に召喚されたときの姿に戻っていたんだ」

「そんなことって」


 イトウがくつくつと笑う。

 まるで、悪戯が成功して、喜ぶ子どものように。


「約束を果たしに来た。君の料理を食べに来たよ、


 ユッカは肩をこわばらせた。

 元魔王。

 ユッカも、かつて勇者と同じように異世界から召喚されて役割を与えられた者、だった。




   ◆




 照明がつくと、店内はわずかに明るくなった。


 イトウのぼろ布の下はまるで初級冒険者のような装いだった。

 カウンター席に腰かけて、きょろきょろと視線を動かす。


「年季入ってるね。いつから?」

「この町では十年くらいでしょうか」


 ユッカはカウンター奥のキッチンに立っていた。衣服と違って、ロングエプロンは真っ白だ。


「もうすぐ次の町へ移ろうと思っているところです」

「そうやって転々としてきたの?」


 はい、とユッカは首肯した。


「そうしないと怪しまれますから。ところで」


 ユッカは、空になった鍋の底を見せる。


「お昼に食べようと思っていたビーフシチューはお客さんへあげてしまいました。今、すぐに出せるものがありません」

「それは困った。すごくお腹が空いているんだ」

「あなたの死を悼んで、国じゅうの飲食店が休業中なんですよ」

「それはありがたいことだね。だけど」


 ぐぅ、とイトウの腹が鳴った。

 ひと呼吸置いてイトウは手を挙げる。


「……ハンバーグが食べたい」

「え?」

「ハンバーグだよ。この店の名物メニューみたいだから」


 イトウが木版のメニューを持ち上げて指差した。


「分かりました」


 しゃっ、しゃっ。

 ユッカは固くなったパンを削って、パン粉を作った。


 それから、足元の保存庫から玉ねぎを取り出して、ぺりぺりと皮を剥きはじめる。

 軽く水洗いしてから手際よくみじん切りにしていくと、次に冷蔵庫から取り出したのは豚と牛の合いびき肉だ。

 金属製のボウルに合いびき肉を入れて、塩を振り、素手でこねる。


 ねちゃ、ねちゃ。ねちゃ、ねちゃ。


 ボウルの内側に融けた脂が白くこすりつけられてきたところで、パン粉、玉ねぎ、あらびき黒こしょう、ナツメグパウダーを加える。さらに、こねる。

 その様子を、イトウは、期待に満ちた眼差しで見つめる。


「時短のために玉ねぎは炒めませんよ?」

「どっちも好きだから問題ないさ」

「あなたのレシピでは、玉ねぎにこだわりがあるように見えましたが」


 ユッカは皮肉めいた笑みを浮かべたが、イトウにとっては些細なことのようだった。


 卵も割り入れてさらにこねていく。

 ねちゃという水っぽい音から、ぐちゃ、という重たい音に変わってきた。

 段々とムラがなくなってきたところで一度平らにならすと、ユッカは、指で六等分になるように印をつけた。

 それを丸めて、右手と左手に交互に叩きつけて空気を抜く。


 ぺちぺち。ぱっぱっ。


 さらに中央にくぼみをつけると、鉄のフライパンに均等に並べた。

 じゅっ! 肉の焼ける音と香りがたちまち店内に広がる。


「これこれ、ハンバーグはこうでなくちゃ。やっぱり僕のレシピを再現できるのは、この世界で君しかいない!」

「生玉ねぎでも?」

「生玉ねぎでも、だよ」


 イトウは大きく頷いた。


「やっぱり、この世界の人たちの作る料理は、どこか違うというか物足りないんだ。決して不味い訳ではないけれど……。だから、君の料理をいつか食べに行きたかった。まさか叶うなんて」

「こちらは、ただの口約束にすぎないと思っていました」


 ――君が普通の人間として暮らせるようになったら、食堂を開くといい。

 僕らの世界の料理はきっとその頃にはメジャーになっているよ。

 そしたら、食べに行くから。懐かしい故郷の味を求めて。


 六十年前の言葉を思い出し、ユッカは瞳を閉じた。

 イトウに背を向けて冷蔵庫を開ける。


 冷蔵庫。物質に宿る魔力を変化させて電気のように使えるようにしたのも、勇者の功績だ。


「付け合わせは、ポテトサラダでいいですか?」

「何が入ってるんだい」

「今日はゆで卵、きゅうり、ハムですね」

「最高の組み合わせだよ」


 じゅわ~。


 ハンバーグの片面が焼けてきた。ターナーでひっくり返して、白ワインを軽く振りかけると、じゅっ! と、さらに強い音が店内に響いた。

 蓋をして、静かに蒸し焼きにする。


「ポテトサラダは、マヨネーズを周りが引くほどたっぷり入れたいんだ」

「わたしは酢を入れて、その分マヨネーズを減らしたいです……」

「なんだって。これは議論が必要だな」


 イトウが拳を構える。

 ユッカはさらに苦笑いを浮かべた。


「あなたに力を封印されたわたしが、今さら勝てると思いますか?」

「分からないさ。僕もどうやら生き返ったことで魔力のほとんどを失ったらしい。今は、ただの人間だ」

「……ただの人間は生き返らないと思いますよ……?」


 しゅわー!

 蓋を開けると、ハンバーグが完成を待ちきれないかのように勢いよく熱風を放った。

 串を刺すと透明な汁が出てくる。輝いている。ちょうどいい焼き加減だ。

 ユッカは大きくて丸い木の器へ、ハンバーグを三つ、脇にこんもりとポテトサラダを載せた。

 残りの三つは自分用にとっておく。


 肉汁の残ったフライパンの隅にトマトケチャップを瓶から掬って熱すると、ぱちぱち弾ける。水分が減ってきたところで、肉汁と合わせて、さらにウスターソースとバターもひとかけ加える。

 しゃわしゃわ、と細かな泡の立つ音。

 出来上がったソースを、とろりとハンバーグにかけた。

 パセリも添えれば、ハンバーグプレートの完成だ。


「お待たせしました」

「うわぁっ! いただきます!!」


 ぱんっ、とイトウが両手を合わせて、それから大きく口を開けてハンバーグを頬張った。


「んまいっ! すごくジューシーだ!!」

「お口に合ったようで何よりです」

「どうしたらこんなふっくらに焼けるんだ? ソースもあの作り方からこんな風に濃厚になるなんて……」


 言葉の最後が消えていったのは、咀嚼を再開したからだ。


「ポテトサラダも、この味が食べたかったんだ。ゆで卵が入っているこの味が」

「マヨネーズは控えめですよ」

「降参だよ。僕が食べたかったのはこのポテトサラダだ」

「……大げさですね」


 あっという間に、イトウはすべてを平らげた。


「ごちそうさま」


 ぽろ、と瞳から何かが零れた。

 涙、だった。


「……どうかしましたか」

「死んでも元の世界に戻れないなんて、どうすればいいんだろうな」

「……」


 ユッカには返せる回答がなかった。

 僅かに眉をひそめる。


「……封印してもらったことは、本当に感謝しています」

「ぐすっ。それが、勇者としての使命だったからね」

「あの鎧から解放されて、さて、これからどうやってこの世界で生きていこうかと考えたときはたまらなく不安になったものです。あなたのレシピ本が、心の拠り所でした」


 イトウは顔を上げて、ユッカを見つめた。


「またいつでも食べに来てください。あなたの喪が、明けてから」


 するとイトウはユッカに応えず、両腕を組んで、何かをじっと考え出した。

 そして、満面の笑みで言った。


「そうさせてもらうよ」

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