第3話 絶望

「――大雅たいが! 遅い、ぞ……って、お前、大丈夫か⁉ めっちゃ血、出てるぞ!」

「……はあ、はあ、はあ……」

 病院に着き救急外来の待合室に行くとソファーに腰を掛けていたまもるが駆け寄ってきた。

「……はあ……だ、大丈夫。それより、み、みなみ、は……」

 大雅がそう言うと同時に処置室の扉が開き、白衣に身を包んだ人が出てきた。

 それを見るや否や、守は大雅の言葉を最後まで聞かずその人の元に駆け寄る。

「せ、先生! 美波みなみちゃんは大丈夫なんですか⁉ 生きてるんですか⁉」

 守が胸倉を掴みながら叫ぶ。

「急になんだね、きみ! とりあえず落ち着きたまえ!」

 先生が守の手を振り解き、白衣を直す。

 大雅は膝に手をつきながら、守と先生を見る。

 興奮した様子の守と額に大粒の汗を浮かべる先生。

 その先生は目をきょろきょろと動かしては周りを伺いながら下唇を噛み、なぜか右手の人差し指だけをせわしなく動かしている。

 それはまるで何かを待っているかのようであった。

 深夜に緊急の処置をしており、まだその最中で予断を許さない状態であれば、当たり前と言えば当たり前なのだが、大雅はその所作に若干のひっかかりを覚える。

――……でも、まあ、無理もないか。

 そう思い、大雅はひとつ深呼吸をして呼吸を整え、先生のもとに行く。


〝精神科医 斎藤一馬さいとうかずま


 首から下げられた名札にはそう書かれてあった。

――精神科医でも当直はするんだな。

 そんなどうでもいいことをこの状況で思いながら改めて斎藤先生を見る。

 身長は百七十前後の大雅よりも幾分低く、下腹部はどっぷりと出ている。年季の入った銀縁眼鏡に乾燥し荒れた肌、側面に申し訳程度に生えてはいるが、額から頭頂部、後頭部にかけて髪は一本も生えておらず、協調するように光っている。

 お世辞にも清潔感があるとは言えない相貌と陰気な雰囲気に不信感を覚える。さらに若干匂ったアルコールが一瞬疑念を生じさせたが、それは恐らく麻酔か何かの処置でそういったものを使ったのだろうと推測した。

――……って、今はそんなことよりも美波だ!

 大雅は一度小さく首を振る。

 何よりも今一番大事なのは美波の安否だった。

 斎藤先生は、こほん、とひとつ咳払いをして続ける。

「君達は、桜井美波さくらいみなみさんのご家族……では、なさそうだね」

 眼鏡のブリッジを中指でくいっと一度持ち上げ大雅と守を見る。

「はい。僕達は美波……いえ、桜井美波の友人です」

 その言葉に守が反論する。

「大雅、お前は婚約者だろ! だったら」

「いや、実はまだ籍は入れていない。明日一緒に出しに行くつもりだったんだ。だから、一緒に住んではいるが、まだ仲の良い友人でしかない」

 大雅が唇を噛み俯く。

「そりゃ、そうかもだけどよ……」

 守はそう言い、言い澱む。

 そのやり取りを見ていた斎藤先生が目を大きくさせ、口をはさむ。

「もしかして、君があの北条大雅君かね⁉」

 斎藤先生が大雅の両肩を掴む。

「は、はい。そうですが……どうして知ってるんですか?」

 突然詰め寄られた圧に大雅は気圧されながら答える。

「うむ、そうか。君があの……なるほど……」

 大雅の問いに対し斎藤先生は答えることなく、何かに納得したように顎を触り頷きながら口を開く。

「君達が彼女と懇意の仲であることは知っていたし、大雅君と美波君が結婚を約束した仲であることも聞いているよ。しかし……」

 そう言って、うーむ、と唸りながら目を瞑る。

 何かを考えているようだったが、すぐに目を開け、あっ、と声を上げる。

「……そうか。そういうことなんだな……それならば……」

 顎に手を当て軽く頷きながら、またもや何かを納得する。

 それが大雅には全く分からなかった。

 ――百歩譲ってこの医師のことを少しでも知っていたら推測を立てることくらいは出来たかもしれない。しかし、会ったことも聞いたこともない人なのだ。何をどう察することが出来ようというのか……。

 大雅が心の中で文句を言っている間に、おもむろに斎藤先生が告げる。


「桜井美波さんが今さっき、息を引き取った」


 その言葉を聞いた時、大雅の時間が止まった。

 目の前から色が消えていく。

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