第17話 邂逅


 ――ガラガラガラガラ。


 規則正しい車輪の回転音と一定のリズムを繰り返す振動。単調な刺激が続くとどうしても眠気がこみ上げてくる。


 馬車の旅は、あまり好きにはなれない。


 ユージン・オーキッドは、なんでこうなったのかと自問してみる。


 馬車の旅と表現してみたが、ユージンが乗っているのは普通の馬車ではなかった。荷台には頑丈な鉄枠で囲われており、乗り込んだ人間の安全を大いに保証している。


 ただ、残念ながらこれを設置した人間の意図としては、むしろ逃げ出さないという気持ちの方が強いようだった。


 何故なら、荷台の後方、乗り降りするための場所に設けられた頑丈な格子の扉には、ご丁寧にも外から錠がかけられており乗客は自由に出入りできない状態になっている。


(ひどいおもてなしもあったもんだな……)


 誰に聞かせるわけでもない皮肉を胸中でこねくり回す。


 シェルの街で目覚めたいつもの朝。


 すっかり長居してしまった宿で目覚めたら、いきなり兵士らしい男達が乗り込んできてユージンは捕らえられてしまったのだ。


 相談者として、この地の人間からすると胡散臭い活動をしていたのが誰かに密告されたのかとも勘ぐったが、どうやらそうではなかったらしい。


 何故なら、おそらくは護送用の馬車とおぼしきこの荷台に乗せられているのはユージン一人ではなかったのだ。


「ま、諦めなよ兄ちゃん。俺たちは、さる高貴な女主人ミストレスに囲っていただくことになるんだよ」


 ユージンの傍に座り込んでいた男が話しかけてきた。


 以前、エスターシアへやってくる馬車で話しかけられたような商人風の男ではなく、筋骨隆々とした肉体労働者らしき男だ。


「囲う、ねぇ……」


 金持ちや貴族の婦人が、金に飽かせて若いツバメを囲うというのはどこの世界でも聞く話だ。


 特にこういう、社会の倫理が曖昧な集合体だと人間の欲がストレートに幅を利かせているのも珍しくはないだろう。


(それにしては……)


 と、ユージンは護送車内の面々を観察していく。


 横にいた男だけではなく、誰も彼もが厳つい男達ばかりだった。薄手のシャツは隆起した筋肉で盛り上がっている。


 顔に派手な刀傷を負っている者もおり、どう見ても堅気ではない雰囲気を漂わせていた。。


 性癖はそれぞれだが、若いツバメというと普通は華奢で穏やかな雰囲気の美少年を思い浮かべる。


 ユージンとて、美少年という風貌ではないが、それでもこの中では一番浮いているぐらいだ。


「ご主人様はきっと性欲旺盛な人だぜ。あっちが強い男をご所望ってこったな。お前も、音を上げるぐらい楽しむ準備をしておいた方がいいんじゃねぇか?」


 男はこんな厄介な状況にも悲観する様子もなく、むしろ磊落に笑い飛ばしていた。


「やれやれ……」


 ユージンは、男ほど楽観的に構えてはいないが、それでもとりあえずは成り行きを見守るしかないと座り心地の悪い長椅子に身を預けるのだった。


               ◆◆◆


 ユージン達が連れ込まれたのは、シェルの街から馬車で数時間ほど進んだところにある大きな屋敷だった。


 見晴らしのいい丘の上という立地である。


 あたりに他の屋敷はない。


 この一軒の屋敷だけが独立して建っているのだ。


 家屋の造りは詳しく見えない。それは、さすがに一軒だけで建っているせいか、周囲が頑丈な壁で覆われているからだ。


(こんな所に隠遁してるんだから、よっぽど偏屈なおばさんか……)


 女主人ミストレスと呼ばれていた人物は、情報が足りないのでどんな姿形かわからないが、こんな方法で人を招くなどどれだけ努力しても、好意的に想像図は浮かんでこなかった。


               ◆◆◆


 到着した男達は屋敷内に招き入れられたのだが、何故かユージン一人だけが別の場所へと案内された。


「お、早速おつとめかぁ?」


 などと誰かが冷やかしたが特に取り合うこともなく、言われるがままに奥へと進む。


 当然のことながら、ミストルティンは取り上げられ丸腰だ。


 どうやって逃げ出すかと考えを巡らせるユージンが通されたのは、一際大きな広間だった。


 床も壁も磨き抜かれた石材で造られており、踏むと足が沈み込むほど毛足の長い絨毯が敷かれている。


 天井には凝った造りのシャンデリア。


 窓も大きく、外から充分取り入れられた陽光で、室内は柔らかな明かりで照らされていた。


 これだけ広いというのにテーブルや椅子の類いは置かれていない。


(ダンスホールか何かか……?)


 元の世界ではそういう文化とは縁がなかったが、これだけの屋敷を持つ金持ちならありそうだ。


 広間には既に面会相手が待っていた。


 人数は二人。


 一人は燃えるような赤毛の女だった。


 肩に届く長さの緩くウェーブした髪。少しつり目気味で気の強い印象がある。細身だがすらりとした長身で、立ち姿が絵になる美人だ。


 服装はきっちりとしたシャツとパンツスタイルで、男装の麗人と言われても違和感がない。


 年頃は二十代半ば。


(思っていたより若いな……)


 もっと、富豪の中年女性が金に飽かせて若い男を買いあさっているのだとばかり思っていたのだが。


 そしてもう一人。


 こちらは細かい描写を、腹立ち紛れにすっ飛ばしてやった。


 何故なら、元の世界の表現を借りるなら「テヘペロ」とでもいうような表情で立っていたのはマヤだったからだ。


(細かい事情は知らんが、こいつだ。絶対こいつがなんかやりやがった!)


 と当たりをつけて軽く睨むが、マヤはすっとぼけてそっぽを向いた。


「ようこそ歓迎するよ。ユージン・オーキッド君。私はこのルティキア別邸を管理している、レヴェンナ・ユニス・ハタ・メルガロジアという」


 さてどう応じたものかと一瞬考えるが、レヴェンナに合わせようにも、合わせるほど相手のことを知らないのですぐに諦めた。


「あんたが、厳つい男を山ほど囲いたいってご主人様か?」


「ふふふ、こんな状況でも強気を崩さないその胆力はいいわねぇ」


「お気に召したようで何より」


 ユージンの嫌味にも動じず、レヴェンナは小さく肩をすくめた。


「あいにくと、あなたのお相手は私じゃなくて、この国の女王様よ」


「女王……?」


「正確には、元・女王か」


 正直に言えば、今の立場がどうかはどちらでもいい。


 レヴェンナの言葉が示した相手は、ここに来るまで何度も悪評を聞いてきた悪辣な暗君のことではないか。


「……なんだ、旅人だって聞いたのに、我が国の醜聞はもう耳に入っているのかしら?」


「まぁ、少しは」


 レヴェンナは面白そうに笑みを浮かべた。


(完全に楽しんでるな……。面倒くさいことになってきた)


 そろそろ脱出の方法を考えはじめるべきかと思いはじめたユージンだったが、左右を屈強な兵士に支えられ無理矢理連行されてしまう。


(こいつら、正式な兵士だな。となると、レヴェンナって女も軍関係の人間か……)


 ますます、ユージンを囲おうとしている相手が女王ヒルデガルトだという言葉に真実味が増す。


「陛下とは、続きの間ですぐにお引き合わせするよ」


「俺は最後でいいんだけどね」


「……そう言わず、楽しんでくれると嬉しいな」


 目の前の扉に連れて行かれるユージンの背中に、レヴェンナが言葉を投げかける。


 その言葉は、それまでの挑戦的な声色とは違って、どこか優しげな空気を感じユージンは思わず肩越しにレヴェンナを見た。


 だがそこにいた彼女は、にっこりと笑って小さく手を振っているだけである。


 気のせいなのかなんなのかと首をひねりながら、ユージンは次の間へと案内されていった。


               ◆◆◆


 レヴェンナと会った広間がダンスホールだという想像が正しければ、続きの間は控え室だろうか。


 思った通り、続きの間は応接スペースのようになっており、重そうな木製のテーブルや革張りのソファなど豪華な家具やいかにも高価そうな美術品が飾られた部屋になっていた。


 具体的に高価な品が見える分、さっきよりも余計に落ち着かない気持ちになってくる。


(貧乏性というかなんというか……)


 おまけに左右を挟む兵士は退室するつもりなのか、ユージンを椅子に座らせると両手と両足に枷をかけていく。


 重そうな金属製の足枷には、ご丁寧にも重りまでついている。


(どんなおばさんが出てくるんだか……。なんとか交渉して解放してもらえないもんかね……)


 手足の枷が簡単には外せないとわかると、ユージンは諦めの境地で背もたれに身を預けた。


 その様子を観察していたわけではないだろうが、程なくユージンが入ってきたのとは別のドアのノブが回り、向こうから誰かが入ってくる。


 さて、どんなおばさんが姿を見せるのかと緊張しながら顔を上げたユージンは、


「あれ……?」


 思わず間の抜けた声を出してしまうのであった。


 世間の噂では、権力に溺れ、自分の気に入らない人間は遊び半分で首をはねる暴君――。


(国庫の財を好き放題に浪費し、酒食の限りを尽くす悪女。見目麗しい相手と見るや同性異性を問わず、見境なく姦淫にふける毒婦なんて噂も聞いたな……)


 およそ考えられる限りの悪評をその身に引き受ける、とてつもない極悪人として知られていた。


 ――だというのに、姿を見せたのはまるで世間の噂とは似ても似つかぬ人物だったのだ。


 予想をしていたより小柄だった。


 肌はどこまでも白い。


 背中まで伸ばした、癖のないつややかな銀の髪にはシンプルなデザインの髪飾りを飾っている。これは王族としては地味と言っていい装飾品だろう。


 衣服も、絹製ではあるらしいがこちらも余計な装飾のない慎ましやかなドレスに淡い緑のケープをまとっている。


 顔立ちや表情からも、噂から想像できるような剣呑な物は感じられず、むしろおっとりとした育ちの良さがうかがえた。


 白百合を思わせる、清純な女性である。


(というよりも……)


 どう見ても、十代後半の少女が姿を見せたのである。


「なにか……?」


 少女は、ユージンの声が気になったのか、問いただす。


「あ、いや。ちょっと意外だったもので」


 こんな少女が自分を含め、あの厳つい男達を囲おうとしているのかと、正直驚いたのである。


「……他人がとやかく口を出すような問題じゃないが、あんたみたいな若い女の子が今から色狂いで男漁りなんて感心しないぞ?」


 相手を逆撫でしていいことなどないとは思うのだが、ユージンはそう言わずにはいられなかった。


「なっ!?」


 思った通り、ヒルデガルトの白い肌は見る間に赤くなる。


「――だ、誰が色狂いですか!?」


「いや、だって、あっちが強い男を山ほど集めてるんだろ?」


 さすがにここまで真正面から指摘されたことはないのか、ヒルデガルトは言葉を失ったまま、パクパクと口を開閉することしかしなかった。


「そんなものは、濡れ衣に決まっているではありませんか!」


「え? 濡れ衣? でも、じゃあ俺はなんであんたに捕まってんだ?」


「そ、それは……。とにかく、わたくしが色狂いだとか、残酷な暗君だとか、すべて根も葉もない濡れ衣なのです」


 これは、なにやら色々と聞いていた話が違っているらしい。

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