第16話 眩いからこそ

 オリガから同行を打診された次の日。


 ユージンは言われた通り、オリガの教会近くで待ち合わせた。


 直接訪ねていくことはしない。


 オリガには、ユージンが何をしたのか父親にも秘密にしてもらっていた。マヤのせいでもはやグダグダだが、それでも噂が際限なく広まるのは避けたかったのだ。


(これもこの国の案内人なんて制度が……。いや、このバカが悪い)


 深々と溜息をついていると、ユージンをあきれ果てさせている原因は「おや、どうされましたか? ああ、デートにお邪魔虫がいては不都合でした?」などと韜晦したことを言っている。


「デートじゃないって言ってたろ?」


「それはそれ、オリガさんのご都合はともかく、ユージンさんがその気になればその辺の廃屋に連れ込んでいちゃいちゃと……」


 ゴツン、と軽めに頭を叩いた。


「暴力反対ですよぉ」


「だったら黙ってろ」


 わざとらしく頭を押さえるマヤといつものやり取りをしていると、オリガが教会から外に出てくる。


「すみません、お待たせいたしました」


「いや、問題ない。それより、ここからどこかへ移動するのか?」


「はい、少し歩きます」


 そう言って、オリガは先導して歩きはじめるのだった。


               ◆◆◆


 彼女に導かれてたどり着いたのは、普通の住宅だった。


 この街の生活水準からすると、質素な造りに思える。


「ここになにが?」


「もう少しだけ、お静かにお願いします」


 オリガに強く言われ、大人しく口を閉ざす。


 幸い、ここは住宅の裏手にあたり、三人で身を潜めていても余人の目に触れる危険は少ないだろう。


 安全を確認していると、家の中から人が出てくる気配がした。


 オリガが待っていたのはこれかと注視する。中からは男とその娘らしい少女が姿を見せるのだった。


「お父さん、これからはずっと家にいられるんだよね!」


 少しくたびれた姿をした男に、少女は太陽のような眩しい笑顔を向ける。


「ああ、そうだよ。父さん、新しい仕事を見つけたから、ずっとお前と一緒にいられるぞ」


 男は疲れた様子だったが、その笑顔は心から幸せそうなものだった。


「ユージン様、あの方に見覚えはありませんか?」


 声を潜めて話しかけてくるオリガに、ユージンも小声で応じる。


「見覚え……。ああ、何日か前に……」


「はい、あの方は星の杖の不調で元の職を追われ、過酷な鉱山労働に従事されていました。遠くの場所で、あの方は宿舎に寝泊まりして家族とも離ればなれ」


 やつれて見えたのも、慣れない仕事で疲弊したためだろうか。


「ところが、偶然ユージン様の噂を聞きつけ、藁にもすがる思いで相談にいらっしゃったのです」


「それで、杖が直った今、ご家族とも一緒に暮らせるようになって、めでたしめでたしということですか?」


 マヤが言うと、オリガは大きく頷く。


「役に立ったなら問題ない。用はこれだけか?」


 いたずらにここに居続けて気づかれると、あの親子の邪魔になるかもしれない。


(………俺が気にする筋合いじゃないけどな)


 などと、内心で自分を皮肉りながら、この場を離れるために歩き出す。


 オリガは大人しくついてくるが、口は閉ざさなかった。


「……お見せしたかったのはあの方の様子なのですが、私がお伝えしたかったのは、ユージン様に感謝している人がたくさんいるということなのです」


 熱心に訴えるオリガには悪いが、そう言われてもどう受け止めていいか困る。


「別に、俺は自分の都合でやっているだけで、正直に言えばあんた達に興味はない。悪いな」


 気を悪くするかと思ったが、オリガは慈愛に満ちた笑みを浮かべたままだった。


「悪いなどということはありません。ユージン様が人助けのために行われているのではないのも存じております」


「だったら……」


「ですが、ユージン様がどのようなおつもりであろうとも、あなたの行いによって多くの人が幸せになり、感謝しているのだと、あの家族の幸せは確かにあなたによって守られたのだと知って欲しかったのです」


 徐々にオリガの言葉に熱がこもっていく。


「ユージン様が成し遂げられたこと、とてもすばらしい行いなのだとお伝えしたかったのです」


「すばらしい行い、ね……」


「はい、心からの感謝を」


 そう言いながら、オリガは深々と頭を下げる。


 ユージンの心境は複雑だ。


 この国でも、それ以前でも、こうして困っている人にミストルティンを使ってきた。大抵が喜ぶ姿を見せる。


 名前を偽ったり、他者に密告するような輩はごく少数しかいない。


 この世界に自分の居場所はないといっても、ストレートに感謝されれば少しは気持ちが動く。


 それでもユージンは、むしろ心を動かすことに後ろめたさを覚えるかのように拒絶し続けていた。


 目の前のオリガにしても、まるで聖人の偉業を見るかのように目を輝かせている。別にそんなものを欲しているわけではなかった。


 この世界と馴れ合いたいわけではない。


(放っておいてくれればいいんだけどな……)


 敵意は歓迎しないが、さりとて、自分を連れ去り運命を狂わせた世界がすり寄ってきたとしても素直に受け入れられるはずもない。


「それはそれとして、ご無理はなさらないでくださいね」


 オリガはユージンの胸中には気づいていないだろうが、少しだけ気遣わしげな表情になる。


「かなり相談者も増えてきましたし……」


「なるほど、古代魔法の消費効率についてオリガさんは興味を持たれているわけですね」


 それぞれの感想にユージンは苦笑を浮かべるだけに留めておいた。


「効率というか、人数が増えると夜遅くまで対応されてますし、お疲れではないかと」


 雰囲気を演出するために立ってもらっているが、ユージンが何をやっているのかについては何も開示していない。


 二人は相変わらずユージンが星の杖を受け取ると、たちどころに直ってしまう、そんな風にしか見えないだろう。


 この線を譲るつもりはなかった。


「もしよろしければですが、今度からお夜食になにか作ってきましょうか?」


「そこまでしてもらうわけにはいかない。こちらは給金も出してないんだから」


「そんなもの、ユージン様から受けた恩を思えば……あ、それとも、故郷で待っているいい人でもいらっしゃるんですか?」


「いい人? 善良な人ぐらいなら、どこにでも――」


 マヤが吹き出した。


「ユージンさん、何を言ってるんですか。恋人ですよ恋人。オリガさんは、ユージンさんが恋人に遠慮して手料理を食べないのか、と聞いているんです。興味津々なんですよ!」


「マ、マヤさん! そんな直截的な物言いで……」


 あわあわと、絵に描いたような様子で慌て出すオリガに、ユージンは苦笑した。


「そんなものはいない。待ってる人もいない。俺にあるのは目的だけだ」


「そ、そうですか……」


「そもそも、なんで夜食作りと俺に恋人がいるかどうかが関係あるんだ?」


「手料理を作って差し上げると、お邪魔になるかと……」


「おぉ、つまり、それだけ本気の愛情をぶち込んだ愛妻料理を作るつもりだったんですね!」


 さすがにそこまでは考えていないのだろう、オリガは、マヤの指摘を受けて耳まで真っ赤になって慌てて手を振った。


「わわわ、私は! 純粋に! ユージン様の体調を心配しているだけですので!」


 マヤも本気でそんなことを考えたわけではない。完全におもちゃにしているようだった。


「……どっちが助手なのか、わからなくなってくるな」


「む。ですがユージンさん、この国をご案内できるのは案内人資格を持っている私だけですから! そこはお忘れなきように!」


 確かにその通りである。


 エスターシア内を自由に動き回るために、案内人の動向が必須。


 その上で、ある程度、ユージンの能力について知っていて口外しない人間となるとマヤの協力を仰ぐしかなくなるのである。


 正直、決して悪人ではないと思うのだが、彼女のこの自分の欲望に忠実すぎるところはどうにかならないかと思うのだ。


 しかし――、


「まぁ! 案内人資格でしたら私も持ってますので、もしユージン様さえよろしければ案内人を交代するのはいかがでしょう!?」


 と、オリガが意外な事実を口にする。


「なんですってぇっ!」


 ここにきて、形勢逆転である。


 まさかここで自分の唯一のアドバンテージを奪われるとは思っていなかったのか、マヤは初めて本気で慌てだした。


「あの教会で育ったなら、最初から修道女を目指していたんじゃないのか?」


「それはもちろんそうなのですが、国外からいらっしゃった方をお迎えすることもあるかと思ったので」


「国境の街らしい考え方だな……」


「それに、資格自体はそれほど難しいわけではありませんから」


 そういえば、とマヤに目をやる。


 確かに彼女も、そもそも魔法の研究者だったわけで、その片手間に生活費を得るための仕事として案内人をやっているのだ。


「なるほどな……」


 妙なことに感心する。


「教会も、しばらくの間なら父一人で切り盛りするのも難しくはないです!」


 本気でユージンの旅に同行することを考えているのか、オリガは真剣な表情でそう訴える。


「病気だったのでは?」


「はい! ユージン様のおかげで治療を受けられまして、体調はかなり回復しております」


「それはよかったな」


 マヤは「こ、こんなところに強敵が!?」とさらに動揺を深める。


「胸ですか!? やっぱり大きな胸がいいのですか!?」


 そう言いながら、錯乱気味にオリガの胸部を指さして叫びだした。


 そろそろ本気で怒ってもいいと思うのだが、優しいオリガは顔を真っ赤にして自分の胸を隠すだけだった。


「これは、これはピンチです! なんとかしなければ!」


 とはいえ、そう簡単にマヤをクビにするつもりはない。


 癖が強いのは確かだが、悪人ではないし、あけすけな分だけ何を考えているのかわかりやすいのもいい。


 あと、雑に扱っても壊れなさそうなのが特によかった。


 その点、オリガは美人だし、素直だし、性格もいいのだが、この先で厄介ごとに巻き込まれたりしたら申し訳なく思ってしまう。


 魅力的な女性だと思うが、あまりに真っ直ぐすぎて眩しいのだ。


 自分のことを、この世界においてまっとうな立場でないと理解している。


 星の杖というアクシデントで接点は持ったが、それ以外はユージンの横にいるような人間ではないのだ。


(もし、俺の横に誰かがいるようなことがあったとしたら……、その時はもっと日陰に咲く花のような、影のあるヤツに違いない)


 オリガは相応しくないし、マヤは絶対あり得ない。


 意味は違うが、二人には聞かせられない感想を抱きながら、ユージンは歩き続けるのだった。

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