第5話 実は危険な女であった

 エスターシア独自の制度で、案内人となるマヤと顔合わせを終えたユージンは、ひとまず関所を後にした。


 左右を雑木林に囲まれた道を、さっき出会ったばかりの女性を引き連れて歩く。石畳が敷かれた大きな道だ。


(とりあえず、まずは宿か)


 しかし鎖国状態のこの国で、旅人相手の宿場町を望むのも無理があるような気がする。


 来る前は、宿がなければ野宿でも簡単に考えていたのだが、初対面の女性を連れて野宿というのはさすがに厳しいだろう。


(やれやれ、どうしたものか……)


 やはり一人の方が気楽で良かったと思いながら進むユージンだったが、ほどなく視界が開けてくると、そこには予想していなかったものが広がっていた。


「こんな所に、街があるのか……?」


 そこには人が行き交う、活気ある街並みが広がっていたのだ。旅装の者も多く見かけるので、宿場町と言ったところか。


 関所の外には間近まで魂喰領域こんじきりょういきが迫っている。


 事実、城壁の手前までは死の世界を恐れてか無人の草原が広がるだけだった。いくら国境をまたいだとはいえ、それがいきなり変わるとは思っていなかったのである。


 そもそも、国境の街が賑わう理由は他国との交易目的であることが多いのだが、近くに他の集落の気配はない。


 エスターシア国内にある集落の位置関係など知りはしないが、国内の交通の要衝として賑わう街ならもっと奥地にあるものではないだろうか。


 少なくとも、危険な魂喰領域にあえて近づく理由はないはずだ。他にもいくつか不思議な点がある。


 ある種の違和感と言い換えてもいいかもしれない。


「そこは、魔法城壁への信頼感って奴ですね」


 ユージンの疑問に気づいたのか、すかさずマヤが解説してくれた。


 同じような質問を受ける機会が多いのかもしれない。


「信頼感、か……」


「です。少なくとも魂喰領域の浸食が進んでも、城壁の魔法は内側にも働いていますから、山から回り込まれてもこの街は守られるんですよ」


「ああ、なるほど」


 街に足を踏み入れた際の違和感についても、やっと正体が理解できた。


 街ゆく人々の表情は明るい。乗合馬車の中で、他の乗客が見せていた緊張の表情とはまるで違うものなのだ。


 この城壁のすぐそこに魂喰領域が迫っている。いくら城壁があるとはいえ、死が隣にある状況にしては無防備過ぎはしないかと思ったのである。


 それは魔法に対する信頼感からきているのだろう。


 他の地域でも魔法は利用されているが、この国では文字通り「なくてはならない」存在なのだ。


 なるほど、入国審査所でユージンが魔法を使えないと言ったときの反応も理解できる。


 周辺は煉瓦を積んで、その表面を漆喰で固めた建物が多く、木造建築の家屋はここから見た限りではほとんど存在しないようだ。


 国境の街である以上、国の中心地からは遠いはずだが意外なほど人通りは多く、賑わいを見せていた。


「あとは、鎖国していると言っても、それなりに物の行き来はあって、この街までは外の商人さんも入ってきやすいんですよね」


「それでこの国の商人が品物を受け取って国内へと運んでいく、そういう拠点なわけだ」


「その通りです」


 見て来た通り、エスターシアの外側にはしばらく集落らしきものは見当たらなかった。


 拠点としての利益はこの街が一人勝ちで手にしているというわけだ。


(そりゃ、街の一つや二つ、出来ても当然か……)


 マヤはうんうん、と頷いている。理解が早くて助かります、ということなのだろうか。


「そういうわけで、シェルの街へようこそ!」


「歓迎どうも」


 ユージンは気のない返事をする。


 さきほどは単に温度差があると感じただけだったが、この国おいて魔法がどれほど高い価値を持っているのかを理解すると、マヤの態度の方が不思議なものに思えてくる。


 彼女には、魔法が使えない人間に対して差別意識がないのだろうか。


 あるいは、彼女もまた外から移住してきた人間なのか。


 そんな風に目の前の人物を推し量っていたが、当の本人は構わず明るい調子で続ける。


「それで、ユージンさんの目的を聞かせていただけますか?」


 関所で渡された入国許可証は見せたので、人捜しという目的は伝わっているはずである。もっと詳しい事情を聞かせて欲しいということなのだろう。


 だが、ユージンのは、気楽に打ち明けられる類いのものではない。


「目的、か……。とりあえずどこかで飯が食いたいな」


 案内人は強制らしいので、断ることはできないだろうが、正直なところ予定外の状況だった。


 事情を知らない他人が側にいると色々とやりづらくなってしまう。


 仕方なく煙に巻くような返答をしたが、マヤは特に気を悪くした様子もなく「では、おすすめのお店にご案内しましょう!」と請け負ってくれた。


「しかし、この国の制度のことには詳しくないが、旅人の一人一人に人をつけるなんて手間じゃないか?」


 歩きながらユージンはマヤを改めて見る。


「それはそうなんですが、本来この国は他国からの入国を受け入れていないのが前提ですので、そこで折り合いをつけている感じです。そもそも一日で数えるほどしかいらっしゃいませんから」


「それにしても、あんたみたいな若い女性がってのは意外だったな」


「え~、なんですか~? セクハラ発言ですか~?」


 言葉面ほど気を悪くした様子はなく、むしろ面白がっている様子だった。


「悪いが、あんたに興味はない」


 冗談らしいとは思いつつも一応セクハラは否定しておく。


「そんなことより、このあたりはよっぽど治安がいいのか?」


「治安、ですか?」


 マヤは質問の意図がわからなかったのか小さく首をかしげた。


「残念ながら野盗は出ますし、行く場所によっては魔獣の類いも出没しますよ」


「思ったよりむしろ危ないな……。あんたみたいな華奢そうな女が案内人で危なくないのかって話なんだけどな」


 女性だからか弱いとは限らない。


 現に、ユージンは生半可な男よりずっと強い女を何人か知っている。


 とはいえマヤは武術の達人という雰囲気はなく、服装もだぼっとしたローブで、何より武器の一つも携行していない。


 あまりややこしそうな場所には出入りできないと思ったのだ。


「ああ、そういうことですか。ふっふっふ、こう見えて――」


 二人が歩きながら話していると、マヤの言葉を遮るように誰かの悲鳴が上がった。


「ひったくりだっ!」


 向こうの通りから、ざわめきがわき起こり、こちらへと近づいてくるようだった。人々は厄介ごとから逃れようと慌てて逃げ惑っている。


「ほら、治安は悪いんですよね~」


 一人、落ち着きを失わないマヤは、懐の中から何かを取り出した。


 手のひらに収まる長方形の、つややかな質感を持った板――端的にはそう表現されるべき物体だった。


 マヤがそれを握り身構えたところに、人の波を押しのけるようにして薄汚れた格好をした男が飛び出してくる。


 あれがひったくりらしい。


 見た目華奢な女性でしかないマヤだが、男がまとっている暴力的な空気に怯むことはなかった。


 悠然と声を張り上げる。


『音声入力』フォネティック・オーダー起動。保有魔法リストに接続アクセス、火炎魔法・初級プライマリ!」


 マヤが声に手中の「板」が反応し、かすかな光が放散される。直後男の目の前に、パン、と軽い音を立て小さな炎が爆ぜた。


「うわっ!?」


 突如の衝撃。


 加えて一瞬とはいえ視覚を奪われた男は、自分がなにをされたのかわからないままバランスを崩して転倒する。


「大人しくしやがれっ!」


 転倒した男を、周囲にいた市民が数人がかりで押さえつけて捕まえる。それからは駆けつけた役人に引き渡されてひったくりは未遂に終わった。


「ふてぇ野郎だ」


「その場で捕まってよかったぜ」


「あの魔法は誰んだ?」


 立役者のマヤを探す声が上がったが、厄介ごとに巻き込まれるのを避けたかったのはユージンだけではなくマヤも同じだったのか二人してそそくさとその場を離れた。


「驚きましたか?」


 少し離れたところまで来たところで足を緩めるとマヤは得意げな笑みを浮かべてそう聞いた。


「ああ、驚いたよ。あんた……、魔法士なんだな?」


 ユージンがはじめて興味を示したことに満足したのか、マヤもうんうん、と頷いていた。


 街を魂喰領域から守っていたような大がかりな設備だけではなく、個人が魔法を使う際にはあのような媒体――杖を用いる。


 ただ、ユージンのような「日本」からやってきた人間にはまた別の印象を持つだろう。つややかな質感を持ったそれは、手前側には浮かび上がるようにして文字が表示されている。


 板、と表現していたがもっと端的に、「スマホみたい」という感想になるだろう。


 なんとも非現実的な光景である。


 元の世界では誰もが持っていた当たり前の電化製品が、この世界では魔法を使うためのデバイスになっているのだ。


 見れば、こうしている今も街の住人の中にはスマホ型の杖――この地の人々は星の杖と呼ぶそれを取り出して魔法を行使している姿が見られた。


 レンガで壁を作っている職人は、魔法を使ってセメントのようなものを練っている。


 露店の店先では、店員が自分の声を拡大して客を呼び込んでいた。


 マヤは音声によって魔法を起動させていたが、これは上級者の使用方法で、普通の人間は呆れたことに本当にスマホのように表面からアプリを選択するようにして魔法を選び、使用する。


 この世界の個人用魔法は、このような形になっているのだ。


 最初に見たときには「嘘だろ……」とあきれ果てたものである。


 胡散臭いというか、嘘くさいというか、滑稽というか。


 しかしそれにも理由があるということを、今では知っていた。


 ユージンの思考を遮るように、マヤの自慢が飛び込んでくる。


「攻撃魔法を操る私にかかれば、野盗だろうと魔獣だろうと安心して旅を楽しんでいただけること請け合いです! まあ、私が使えるのは初級程度ですけどね」


「確かに珍しいし、安心だな」


「近年、魔法は弱体化してしまって、攻撃魔法なんかは使い手も減ってますからね」


「そのへんは、どこも変わらないな。最初は、研究者かなにかかと思っていたけど、これはお見それし――」


「――研究者に見えますか!?」


 ユージンの何気ない感想に対し、マヤは食い気味に、というか完全に食らいつくようにして身を乗り出す。


「ん? ま、まあ、役人にも商売人にも見えないからな……」


「そうですか、そうなんですね!」


 何故かマヤは感激したようにユージンの手を取ってぶんぶんと振ってくる。


「そう、その通りなんです。私、この国で魔法研究をしてる学者なんです、が・く・しゃ!」


「本当にそうだったのか……。しかし学者で、しかもちゃんと魔法も使えるような人間がなんで関係なさそうな仕事をしてるんだ?」


 軽い気持ちで問うとマヤは「よくぞ聞いてくれました!」と鼻息を荒くする。


「私が唱える学説は、あの頭の固いジジイ共には受け入れられなくてですね! 派閥とか、既得権益とか馬鹿なことばかり言っていてろくな援助が受けられないんですよね!」


 どこもかしこも現実は世知辛いらしい。


「だからこんな日銭を稼ぐためのクソみたいな仕事をしなくちゃならなくて――」


 心の中で「おいおい」と思いつつも、なんだか色々ため込んでいるようなので大人しく聞き役に回っていた。


「というか、ユージンさんこそこんな国にやってくるなんて、魔法関係の学者か何かじゃないんですか!? 引き抜きとかないですか!? 亡命ぐらいへっちゃらですよ! 今なら持ち出し禁止の極秘資料もちょろまかしてきますよ!」


 色々とんでもない。


 初対面で、ここまでは猫を被っていたが、どうやらかなりいい性格をしているらしい。


 外見は隙のない美女なだけにギャップが大きいが、変に気取っている美女などよりは好感が持てる。


「いや、悪いけど、俺も別に研究職ってわけじゃないから、ご期待には添えそうにないな」


「そうなんですか~」


 心底がっかりと言った様子で肩を落とす。


「私の勘では、ユージンさんからは結構、オイシイ匂いがしてたんだけどな」


「買いかぶりだな。それより、結構歩いたが店はまだなのか?」


「あ、それならもうすぐです。気分を変えて、美味しいものを食べましょう。ユージンさんの奢りで」


 案内人はエスターシアがつけているものなので日当を払う必要はないそうだ。


 ただ必要な経費は本人持ちらしい。


「まあそういう話だからな……。あんた、ひょっとしていっぱい食べる人?」


「ええ! 食は健康の源ですからね!」


 破産しない程度だとありがたいのだが、と思いながらも、ユージンはマヤのおすすめの店に到着するのであった。

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