第4話 美人の案内人は好きですか?
乗合馬車が出発したのは朝早かったというのに、目的地に到着する頃には日が傾きかけていた。
贅沢を言えば、一日で移動する距離や移動に用いる時間はもう少し刻みたいところだ。一日中馬車に乗りっぱなしだと、さすがに体中のあちこちがこわばっている。
鎖国しているというだけあって、エスターシア国境付近にはろくな集落がない。
ただ、鎖国していなかったとしても
ここの領域も、広さから見てかなり古いものであるらしいことを考えれば、どちらにしても集落など残っていなかっただろう。
「やれやれ……」
体をほぐしながら伸びをする。
到着したとは言ったが、厳密にはまだここはエスターシアではない。
その入り口――国境に設けてある関所である。人の出入りに厳しいこの国では、まず国境で入国審査を受けなければならないのだ。
まだひと手間残っているわけだが、それでも乗合馬車の空気は軽くなっていた。魂喰領域の浸食が進んでいる場所を抜けたからである。
乗客達がそれぞれ安堵した様子で馬車を降りていくと、高さ十数メートルはあるだろう堅牢な城壁が出迎える。均一に加工した巨大な石材を丁寧に積み上げた、見るからに頑丈そうな壁だ。
目を引くのは石材と石材の継ぎ目。
普通なら漆喰かなにかのつなぎが見えている部分がうっすらと光を放っていた。
ずっと光っているのではなく、地面から虹色の光が継ぎ目を通って城壁の上へと、その表面を撫でるように抜けていく。
この世界にやってきた時に「声」が言っていた。
ここは魔法の世界だ――と。
魂喰領域の浸食が止まっているのは偶然ではない。この表面を撫でる光こそが、魂喰領域を阻んでいる魔法なのだ。
この地には各地にこのような施設や、魔法文明の遺産が多数残されている。
「やっと解放されたなぁ」
「初めてってわけじゃないが、やっぱり慣れるもんでもねぇな」
他の乗客達も緊張から解放されたためか口々に安堵の言葉を漏らしていた。
そんなユージン達の目の前で、ここまで運んでくれた馬車が引き返していく。
関所前には大きなスペースが設けられており、ここで馬車は大きく一周し引き返せるようにしてある。加えて、人が乗り降りする場所、荷の積み卸しをする場所がわかれていて無駄がない。
人間が乗り降りする場所からは城壁に向かって細い道が続いていた。
あとはエスターシア国内を移動できる馬車に乗り換えて先に進むことになるのだろう。城壁にある門に続いていて、そこで入国の手続きができるようだ。
「次!」
こちらは人間専門の門であるらしく、馬車の中でユージンに話しかけてきた商人などは荷の搬入をするための別の門の方に向かっていた。
(税関みたいなもんか……?)
いくつかの国を渡り歩いてきたおかげであたふたすることはないが、やはり初めて訪れる国というのは物珍しいものが多い。
それに、陸続きなのにここまで厳重に管理している国も少なかった。
「次!」
などと周囲を見ているとユージンの番が回ってきたらしく、役人らしい、若干横柄な声で呼ばれた。
「この国は初めてか?」
いかめしい顔をした、いかにもな係員は、ユージンを品定めしながら問いただす。
「ああ」
「旅の目的は?」
「人捜し。知人がここにいるという噂を聞いたので」
端的に応えると係員は小さく鼻を鳴らしながら、先に告げていた名前や年齢と共に手元の羊皮紙に申告内容を書き込んでいた。
「最後に、使用できる魔法を教えてもらおうか。大小かかわらず、使えるものはすべて申告するのだぞ」
この世界の人間は、大多数が多かれ少なかれ何かの魔法を使用できる。だが……、
「いや、俺は魔法が使えない」
ユージンが正直に申告すると、係員は途端に小馬鹿にするような表情を浮かべた。
「なんだ、無能者か……」
面倒だったので、特に反応せずにいると、男はつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「ふん、この厳しい世界で、人間が生きていくのに魔法の恩恵がどれだけ大きいかわかっていないのか? 自分の魔法で社会に貢献する。そういう相互扶助で成り立っているのが常識だろ? それが、なんの役にも立たない無能者のくせに、涼しい顔しやがって」
ユージンが突っかかってくるかと思ったのか、男は挑発するように煽ってくる。
あるいは、ここで騒ぎを起こせば衛兵でも駆けつけてくる手はずになっていたのだろうか。
面倒はごめんなのでユージンは黙ってやり過ごした。
そもそも、この世界の人間ではないのだから、魔法が使えなくても不思議ではない。
加えて、実のところ、この世界の人間であっても近年では魔力が弱ってきているので魔法が一つも使えない人間もそれなりにいる。
だというのにこういう物言いをする人間はどこにでもいるのである。
(俺にも裏技の一つや二つあるんだけどな……)
ただ、そんなものを一々場末の役人に説明して回る暇はない。
なので、面倒くさい役人の気が済むのを流して待つに限る。
「……この国の生まれじゃなくてよかったな」
結局、なにを言われてもどこ吹く風という態度を崩さなかったユージンに、役人は最後に捨て台詞を吐いてようやく解放とあいなった。
「そりゃど~も」
それ以上は興味を失ったとばかり、係員は流れ作業で書類を完成させた。
「これがお前の滞在許可証になる。最大10日間有効で、それを超える場合は近くの役所で延長手続きをするように」
「わかった」
元の世界の税関なら最後に「良き旅を」ぐらいの愛想があるのだが、ここではそういう歓迎ムードは贅沢品であるらしい。
(こっちも友好を求めてるわけじゃない。別にいいさ)
係員はユージンが立ち去る前に続く入国希望者に顔を向けて「次!」と事務的な態度で声を出す。
そのまま門を通り抜けて今夜の宿でも探そうかと思ったのだが、関所の敷地を出る前にもう一つ小さな建物があり、その中からフードつきのローブですっぽりと全身を覆った小柄な人影が現れユージンに歩み寄ってきた。
「初めまして! 私、案内人のマヤです!」
目の前まで来ると人影――女性は、フードを取りながら挨拶をしてきた。
「ん? あ、ああ。どうも」
年齢は20代半ばといったところだろうか。
大きく、くっきりと開かれた両目はユージンを観察している。好奇心旺盛な性格のようだ。
髪はプラチナブロンド。
顔立ちは繊細で、どう控えめに表現してもかなりの美女だが、にこやかな表情が親しみやすさを付け加えている。
こんな場所にいるということは、彼女も入国管理所の関係者だろうか。それにしては、先程の係官とは違い制服姿ではない。
それに、先程の係員とは態度に温度差がありすぎるだろう。
「案内人……?」
結局、曖昧な返事をするのがやっとのユージンだったが、マヤと名乗った美女は少しも気を悪くした様子はなく、ニコリと微笑しながら頷いた。
「はい。エスターシアは特殊な国ですので、市民権や商売の免状をお持ちでない方には案内人をおつけする決まりになっているんですよ」
商売の免状がどういうものか、詳しいことはわからないが、昔の世界でいう営業許可証のようなものだろうか。
登録しているため身元が確かな人間ならば信用する。逆に、ユージンのようなふらっとやってきた身元が確かでない人間にこうした案内人をつけるということなのだろうと理解した。
旅人の数が少ないからこそ可能になる制度である。この国が何故鎖国しているかはわからないが、体のいい見張りなのだろう。
「つまり、関所以外からはこの国に入る道はないってことか」
「そうですね。エスターシアは山脈地帯に囲まれているので、ごく限られた道からしか入国できないようになっています」
「天然の要害ってわけだな」
「この地形のおかげで、この国は体制を維持できるようになったわけですよ」
「なるほど……」
「それで、よろしければお名前を教えていただけますか?」
言われて自己紹介もしていなかったことに気づく。
これが普通の旅行の、たとえばポーターなら雇うかどうかを決めるのはこちらだが、この国では強制らしい。
「ユージン・オーキッドだ」
事細かについて回られるのは少々面倒だが、ここは大人しく従っておくことにした。
「ユージンさん、ですね。よろしくお願いいたします」
いずれにしても、ようやくエスターシアでの行動がはじまったのである。
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