第3話 その樹は鉄より硬く

 異形の領域を前に、馬車内の緊張感は続いていた。


「――兄さん、商用かい?」


 誰もが身を固くしている中、近くの席に座っていた中年の男が不意に話しかけてきた。


 見ず知らずの顔だ。


 相変わらず他人との距離感は大きく余白を取る方で、誰とでも気安く話すのは苦手だ。


 どう応じるべきか一瞬迷うが、まだしばらく馬車の旅は続く。


 ならばあまり冷たくあしらっては空気が悪くなるだけ――そう判断したユージンは仕方なく口を開いた。


「……そう見えるか?」


「いや、見えないねぇ」


 いきなりハシゴを外すような男の言葉に苦笑交じりの溜息をつく。


「だったらなんで?」


 こちらは興味があったわけではない。


 あるいは男は、この緊張感を紛らわせたかっただけなのだろうかと思い、話しかけられて数十秒でこの会話をどう切り上げるか考えはじめていた。


「商売道具は持ってないが、まとめて預けておく仕組みだから関係ねぇし、服装も普通の旅装……。学者って感じでもねぇし、とりあえず当たり障りないところってだけだな」


 人間観察はよそでやってくれ――そうあしらおうとしたのだが、男はそれよりほんの少しだけ早く次の言葉を差し込んでくる。


「で? 商用じゃないなら目的はなんなんだい?」


 素っ気ない対応だったはずだが、男が引き下がる様子はない。よほど娯楽に飢えているのだろう。


 気持ちはわからなくはないが、暇つぶしの相手をさせられるこちらの気持ちはお構いなしのようだ。


「……探し物だよ」


「へぇ、探し物ねぇ」


「あぁ。……それと、ちょっと人を殺しに、ね」


 その言葉を聞いてどう反応するか、今度はユージンが男の反応を見る。


「………え、あ、あはははは、いやぁ、面白い冗談だねぇ。それが本当なら、やけに正直者の殺し屋さんだ」


 男は冗談だと判断したらしく、男は豪快に笑い飛ばしてユージンの肩を叩いた。


「で、そのゴツいナイフが得物ってわけかい?」


 腰のベルト部分に横向けに固定してあるナイフを見て男はそう聞いてくる。元の世界では銃刀法違反もいいところだが、ここでそんなことを気にする者はいない。


「まあそうだな」


 ユージンは言いながら、腰からナイフを抜きはなった。


「そりゃ……、変わったナイフ、だな?」


 男は戸惑ったような感想を口にした。


 ひと口にナイフといっても用途によって大きさや形がバラバラである。ユージンが抜き放ったものは、刃渡り20センチほどあるためナイフの中では大型の部類に入るだろう。


 少なくとも果物を切り分けるためのものでないことは明らかだ。


 ただ、男が戸惑ったのは大きさが原因ではない。


「兄さん、あんたそりゃ……、木製かい……?」


 日差しに照らされた刃の部分には木目が浮かんでいる。見ただけで刃の材質が鉄ではないことがわかったのだろう。


 ただ、だからといって見せられたナイフを模造品だと思っているわけでもなさそうだ。


「玩具だと馬鹿にしたりしないのかい?」


 聞くと、いやいや、と慌てて首を横に振った。


「あたしゃ、これでも目利きには自信があってね。そのナイフ、木製なのは間違いないが、本物なんだろ? あ、いや、変なことを言ってるとは思うんだが……」


 自分の直感と常識のギャップに、自分で戸惑っているようだ。


 元の世界にも、鉄よりも硬いと言われた樹木は存在した。


 男の言う通り、このナイフは木製だ。


 だが鉄よりもはるかに硬質で、鋭い切れ味を誇り、決して折れることも鈍ることもない。世界に一つしかない材料を用いて生み出された、ユージンのためだけのナイフ――。


 そのめいをミストルティンと言った。


 刃の部分は、見ただけではどう加工したかわからないだろう。それに引き替え握りの部分は木の枝をよじってちょうどいい太さにしただけといった、無造作な造りをしていた。


 しかし実際は、握りの表面の凹凸おうとつはユージンの指に馴染み、型どりをして作ったかのような、これ以上ないほどの一体感をもたらす形をしている。


「暇つぶしにはなったかい?」


「え、ああ、そうさね。兄さんが、なんだか普通の人にゃあ見えなかったもんでね。悪気はないんだよ」


 殺し屋云々は、あからさまに武器を見せびらかす殺し屋などいないから冗談だと判断したようだが、調子を崩されてやりにくそうにしている。


 少し意地が悪いかとも思ったが、あまり根掘り葉掘り問われても困る身の上なのでこれで引き下がってくれるだろうと安心しかける。


 しかし……、


「で、殺し屋さんはどこから来なさったんだい?」


 まるで懲りた様子はなく、男はあえてふざけた様子で問いを重ねる。ユージンは少し考えてから小さく肩をすくめた。


「流れ流れて、根無し草って感じかな」


「根無し? じゃあどこに帰りなさるんだい?」


「帰るところ、か……」


 思いがけない問いに、どう答えたものかと少し迷う。


 しばらく考えて出てきたのは、


「……そうだな。帰れるものなら、帰りたいね」


 別に同情が欲しかったわけではないので軽い感じで答えたのだが、それでも少しは本音が混じり込んだのか、にわかに変な空気になってしまった。


「そりゃぁ、大変だねぇ。……ああ、あれかい、人捜しってのはひょっとして兄さんのいい人かい?」


 男もいらないことを聞いたと思ったのか、やや強引に、下世話な方向に話題の舵を切る。


「……まあ、女に頼まれたことに、変わりはないか」


「おぉっと、訳ありだねぇ。いい女には弱いからねぇ」


 などと、悟ったようなことを言い始めたが、面白かったのでそのままにしておいた。


 帰りたいが、帰れない。


 帰れるものならもちろん帰りたい。


 どれだけの時間が過ぎ去ろうとも、どれだけの距離を踏みしめようと、どれほど歩みを重ねようとも、ここはユージンの世界ではない。


 ユージンの居場所ではない。


 時折、酷くもどかしく、目の前のなにもかもを、自分に与えられた《力》でもってぶちこわしてやりたくなる。


 だがそんな自暴自棄になる自分を、たった一つのものが引き留めてくれていた。


 たった一つの約束だ。


「しかしどんな事情があるかは知らんが、また難しい場所に向かうもんだねぇ」


「ん……?」


「エスターシアはおっかない国だってのは、子供でも知ってるだろ?」


 残念ながらこの周辺の事情については明るくない。ユージンは素直に男の言葉に耳を傾けた。


「というと……?」


「ああ、そうか、兄さんこのあたりの人じゃないんだもんな。いいかい、俺たちが向かっているのはエスターシア。『閉ざされた国』と言われている場所なんだぜ」


 鎖国でもしているのだろうか。


 ただ、ここは日本とは違う。


「しかし、島国じゃあるまいし鎖国なんて簡単にはできないだろ?」


「普通はそうなんだが、エスターシアは周囲を険しい山岳地帯によって囲まれているからな。限られた場所からしか出入りできないのさ」


「なるほど……。で、そんなに厄介な国なのかい?」


「あの国じゃあ、血も涙もない恐ろしい女王が君臨していて荒れに荒れてるって話だからな」


「血も涙もない……?」


「自分の意に沿わない相手は遠慮なく処刑して、さらし首って話だぜ?」


 男は自分の首をキュッと締めるような仕草を見せる。


「物騒な話だ」


「エスターシアの女王、ヒルデガルトは希代の悪女だからね」


 男が言うには、エスターシアは完全に独裁体制の国で、国民は厳しい階級社会の中で管理されているという。


 そうして集めた国費を浪費して贅沢三昧の生活を送り、気に入らない人間は無実の罪を着せて投獄する。機嫌が悪ければそのまま処刑台送りである。


 死刑囚が泣き叫ぶ様子を眺めるのが趣味だそうだ。


 その反面、歴史家からは優れた伝承や遺産が残された国として、今度はいい意味で名を知られていた。


 おそらく、長年の鎖国が皮肉にも貴重な遺産の散逸を防いだのだろう。


「他との交流はほとんどなく、秘密に閉ざされた王国。商売人にとっちゃ魅力を感じずにはいられない国だからな」


「……つまりあんたこそ、商売人ってわけだ」


「へへへ、いくら鎖国してたって、国内だけじゃまかなえないものも多少はあるからねぇ。うまく食い込めれりゃ、右から左に動かすだけでガッポリってわけだよ。あ、あたしゃカブレ。これでも商売人としてはちょいと名前が知られていてね。同じ馬車に乗り合わせた縁だ、もし何か困ったことがあったら声をかけてくださいよ」


「ああ、縁があればな」


 男――カブレの営業トークに対して曖昧に返事をする。


 確かに気楽に行き来できる場所ではない。


 実際に乗合馬車も空き席が目立っていた。


「……しかし、面倒なことになったな」


 ユージンが嘆いていると、カブレは苦笑した。


「なんだい、ほんとにエスターシアのことはよく知らない様子だね。あの女王には気をつけなよ」


「ふらりと立ち寄った旅人が、簡単に会えるような相手じゃないだろ」


「まあそれもそうですけどねぇ。あ、まさか………」


 そこまで滑らかに話し続けていた男が、急に言いよどむ。


「まさか兄さん、国の要人を始末しに来たんじゃ……」


 まだ殺し屋設定の話が続いていたのかと苦笑する。


「だったらこんなところでペラペラ仕事内容をくっちゃべったりしないさ」


「ほんとかい? 人目のないところに引っ張り込んでブスリ、なんてのは勘弁してくれよ?」


 どこまで本気なのか、カブレはカカカと笑い飛ばす。


「……あ、でも、女王は最近引きずり下ろされたんだっけな」


「なんだ、そうなのか?」


「でもおっかねぇ国なのはそのままらしいですけどねぇ」


「厄介なことだ」


 魂喰領域こんじきりょういきに加え政情不安。


 これから足を踏み入れるというのに、明るい材料が一つもない。


「だねぇ。こっちも気を引き締めて商売しねぇと、生きて帰れねぇかもしれねぇ」


 恐ろしい恐ろしい、と口で言いながらも、カブレはそのスリルすら楽しむような雰囲気を漂わせていた。


 ――あれから月日が経っていた。


 少なくとも、内気だった青年が口調を改める程度には。


 意にそぐわぬ、誘拐のような形でこの世界に召喚されてきた大城戸悠仁は、ユージン・オーキッドを名乗り、この死と隣り合わせの危険な世界を放浪しているのである。

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