第5話 コーヒーゼリーで流し込め

 美味しいコーヒーとクラシック音楽。そして猫。


「ねぇ、店長って猫なの?」


 美香子が注文したコーヒーゼリーを片手に店長がかたまる。


「えっと??」

「とぼけないで! 気になって夜も寝つきが悪いの!」

「うっそだぁ。教室だろうが、電車だろうが、十秒もあれば熟睡するくせに」


 学生の頃、居眠りクイーンと仲間内で呼ばれていた美香子。

 いつだったか、学校を欠席した学生の頃の美香子。心配した仲間の連絡にも答えず、警察に相談する直前に判明したのが、登校時に電車で眠りこけてずっと寝ていたということ。山手線を五周はしただろうと伝説を残した熟睡女王、美香子である。そんな美香子が、店長の正体が猫か人間か程度で眠れなくなるわけがない。


「うっさいわね! 私だって気になることがあれば、寝つきも悪くなるわよ」

「居眠りクイーンなのに?」

「早弁の魔術師には言われたくないわよ!」


 美香子に居眠りクイーンなんて不名誉な異名があるように、幸広にも異名はある。

 学生の頃の幸広は、毎日早弁をして、昼には購買で菓子パンを買って食べていた。


 早弁程度なら、食欲旺盛な年頃ならば珍しくもない。異名はつかない。

 だが、幸広の場合は、その早弁に特徴があった。


 休み時間には、思い切り友達と遊んでいるから、食べているのは授業中のはず。はずなのに、誰も弁当を食べている姿を見たことがないのだ。


 その結果、ついた異名が早弁の魔術師。


「ふふっ!」


 つい笑ってしまったのは、渉。

 美香子と幸広と仲良くなった渉は、フェリスカタスで会うたびに、二人と珈琲を楽しんでいる。

 

「何よ! あなただってあるでしょう? 変わったあだ名くらい」

「ありませんよ。そんなインパクトのある人間ではありませんし。伝説も残しておりませんし!」


 美香子に渉が言い返す。


「ええ〜。じゃあ、私が付けてあげる」

「マンデリン君以外にまだ何か?」

「それな。そうだよ、美香子が勝手に付けたんだ」

「だって、あれは……名前知らなかったんだから、仕方ないじゃない」


 渉が初めてフェリスカタスに来た時に、店長が出した珈琲。それがマンデリンだったから、美香子は渉をマンデリン君と時々呼んでいる。


「あ、ほら! あんた達がちゃちゃ入れるから、また店長に逃げられちゃったじゃない!」


 いつのまにかサーブを終えた店長の姿は、カウンターの向こうに。

 何か忙しそうに作業しているから、さすがに美香子でも話しかけ難い。


 コーヒーゼリーは、不機嫌な美香子のお腹にスルリとおさまってしまう。


 甘さ控えめのコーヒーゼリー。

 スッキリとした味わいで喉ごしが良い人気メニュー。

 美香子の不機嫌は、コーヒーゼリーが連れていってしまったようだ。


「まぁ、良いか今度で」


 美香子は諦めてしまったようだ。

 今回も、店長にはぐらかされて、この話は、無かったことに。


 店長が詮索されたくないならば、放っておけば良いのに。

 ゼリーに夢中な美香子を眺めながら、幸弘は一つ、ため息をついた。



◇◇◇◇


 夜遅く。

 誰もいないフェリスカタスの店内。

 大きな姿見の前にいたのは、店長。

 黒猫の金の目で見つめる先の鏡には、人間の男が映っている。


「まだ、帰ってくる気にはなりませんか?」


 店長が話し掛けても、鏡の男は何も答えなかった。



 



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コーヒーをどうぞと猫が申しまして ねこ沢ふたよ@書籍発売中 @futayo

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