第4話 スプレモの男

 フェリスカタスの前に運送業者のトラックが止まっている。

 珈琲豆の搬入。

 何十キロもある豆の袋を、店長と一緒に運んでくれるのは、いつもの猫山通運の配達員、井上。


「ありがとうございます。ですが、大丈夫ですよ? ここで受け取り、自分で運びます」


 ニコリと店長が笑えば、井上がへにゃりと笑顔になる。


「あ、いえいえ。猫さま……お客様にそんなことをさせるなんて。むしろ、全部運びます」

「いや、それは駄目でしょう」


 重い珈琲豆の麻袋。

 持ちにくい形状の重たい袋は、配達員の嫌われ物。

 配達員の仕事は、店まで届けること。

 それ以上のことは、店側でするべきだと店長は思うのだが。


「多いんですよ。お年を召した店長さんだったり、女性の店長さんだったり。そういうお店の珈琲豆は、サービスで運んであげていますから」


 爽やかに井上はそう言う。


「ふむ……そうですか。では、お言葉に甘えて手伝っていただきましょうか」


 店長は、井上と麻袋を運ぶ。

 店長が一袋運ぶ間に、井上の青年は、ニ袋。井上の言う通り、この店だけではなく他の店でも手伝っているから、運び慣れているのだろう。


 フェリスカタスが一カ月で使う分の珈琲豆を、あっという間に運び終えてしまった。


「店長さんのおかげで予定より早く終わりましたよ」


 そもそも、全部の麻袋を運ぶつもりだった井上が、そう言って笑う。


「それは良かったです。では、今日も一杯お飲みください。ごゆっくりどうぞ」


 店長が笑顔でしっぽを揺らす。

 井上は、店長に促されるままにまだ開店前の誰もいない店内で席に着く。


 いつも荷物を運んでくれている井上への礼。当然、料金は貰わずに珈琲を提供する。


 初めは、珈琲を一杯飲む休憩すら井上は断っていた。荷物を待つお客様がいるから、一刻も早く、と。


 それが、何度も根気よく誘う内に、珈琲を一杯だけ飲む休憩をとるようになった。


 忙しい井上のためにあらかじめ用意しておいたコーヒーをドリップして運べば、井上はゆっくりと口をつける。


 コーヒーは、コロンビアのスプレモ。癖のないスッキリとした味わい。コーヒーの一大産地であるコロンビアで認められた優等生の珈琲豆は、生真面目な井上に相応しい。


「いつか……店長さん、言ってましたでしょう?」


 井上が、ポツリポツリと言葉を落とす。

 店長は、静かに聞いている。

  

「程よく息を抜くことを覚えほしいって……」

「ええ。申しました」


 生真面目で、自分が出来る精一杯で仕事する井上を心配した店長が、井上に言った言葉。


「苦手なんですよね。息を抜くのって、結構怖いんです。息抜きしている間に誰かに負担かけてやしないかとか、それで何かトラブルになったら……とか。つい、余計なことを考えてしまうんです」

「そうですか……損な性分ですね」

「ええ……気付いたら、仕事に押し潰されそうになってしまうんです」


 苦笑いを浮かべた井上が、まだ半分ほど残った珈琲を両手で包む。

 大切な宝物でも抱えるように。


「生真面目なのは、とても素晴らしいことですが……それでは、心が枯れてしまうでしょう?」


 カウンターの向こうで、開店の準備をしていた店長が、そう言いながら、井上の席に近づく。


 差し出したのは、オレンジピール。

 オレンジのフレーバーは、クセのないスプレモの味に華やかさを加えてくれる。


「美味しい……」


 井上の口から素直な感想が漏れる。


「スプレモみたいな素直なテイストの珈琲にこそ、こういう遊び心が似合うんですよ」


 店長は金の目を細めてそう言った。

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