第3話 高級豆

 あれからマンデリンのお客は、フェリスカタスに通うようになった。


「マンデリン君は、何の仕事をしているの?」

「マンデリン君って……僕は高梨渉たかなしわたると言います。ちゃんと名前で呼んでくださいよ」

「高梨君ね。私は美香子。遠藤美香子えんどうみかこ。ほら、あんたもご挨拶してよ」

「うぇ、俺も? ええっと、俺は幸広。越野幸広こしのゆきひろ。なんだよ。お前のナンパに俺を巻き込むな」

「ナンパって何よ。同じ喫茶店でよく顔を合わせるのだから、常連同士名前くらい知っていて、バチは当たらないでしょ?」


 美香子は、幸広に言い返す。


「あれ? ご夫婦か恋人同士なのかと思っていました。いつも一緒にいらっしゃるし」

「違う違う。そんな訳がない」


 渉の言葉を、幸広は慌てて否定する。


「いいからそこは。それよりもほら! 店長さん!」

「私……ですか?」


 カウンターの向こうでグラスを拭いていた店長に美香子が会話を向ける。

 突然、会話を向けられて、店長の金の瞳は丸くなる。


 ああ、美香子の狙いはこれか……。


 この店で最も気になる存在。猫の姿の店長の名前を、まだ美香子も幸広は知らない。

 渉に突然名前を聞き出して何事かと思ったが、店長の情報を聞き出したかったのだ。


「そうよ。私達の名前も聞いたのだから、店長さんも教えてよ」


 とっても分かりやすくワクワクしている美香子。

 だが、幸広だって渉だって、そこは興味がある。

 なぜ猫の姿なのか。なぜ、フェリスカタスなんて、ラテン語で猫を表す店名の喫茶店をやっているのか。


 そもそも人間なのか?


 名前を聞けば、多少前進。少しくらいは謎は明らかになるはずだ。


 ミケとかブチとかポン太とか、そんな猫っぽい名前なら、元は猫。

 それが何かの事情で人間となったとか。


「名前ですか。まぁ、良いですよ。お客様に名乗るほどの名前ではありませんが、佐々山琥太郎こたろうと申します」

「ささやま……」

「こたろう」

「左様でございます」


 美香子も幸広も渉も、皆で戸惑う。

 猫の名前として、こたろうは変ではない。佐々山は、ありきたりの苗字。

 飼い主の名前か、笹の間で暮らしていた野良猫だから、そう名乗っている可能性もある。


 元々が人間なのだとしても、この名前なら、何ら不思議はない。


「あらためて、よろしくお願いいたします。ところで、皆様。本日の珈琲はいかがいたしましょう」


 琥太郎店長は、穏やかに微笑んだ。

 そうだった。

 店長の正体を詮索するのに夢中で……肝心の珈琲の注文を、三人とも忘れていた。


「そうだ。今日は、たまたま良いブルー・マウンテンが手に入ったのですが……お試しになりますか?」


 すかさず店長が提案する。

 ブルー・マウンテン。

 言わずと知れた高級豆。

 美味しい珈琲なのは確かだが、財布には厳しい。


 しかし、皆で注文もせずにわいわいと騒いでいたこの状況で、誰も断れなかった。


 数分後には、コク深く香り高い珈琲は、三人の前に運ばれてきた。


 本日、一つ分かったことは、琥太郎店長は、商売上手なのかもしれないとのこと。

 

 後……詮索したこと、ちょっと怒っている? 反省しつつ三人は、美味しい珈琲を堪能した。


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