性別を向きと強さを持ったベクトル(矢印)の「合成」として見る話

 自分はキャラクターぶんせきも好きなのですが、文章において「いちにんしよう」ひとつ取っても男性のようにも女性のようにも表現出来る、というのはおもしろいなとみることがあります。


「私」と一口にいっても「わたし」「ワタシ」「わたくし」であったり、その派生として「あたし(アタシ)」であったり。性別を確定する判断材料としては少しあいまいであるものの、社会的・公的な場を除いてみると「少し女性寄り」といえるでしょうか。表現としては古いとは思いますが「オネエ」を表現することも出来るでしょう。


 ぼうとうもどり、先ほどは「自分」といういちにんしようを使いました。これは以前からのくせではあるのですが、インターネットという場である以上、動画・ライブ配信などが広がるまでは、「とくめいせい」は性別もふくんでいたように思います。それは自分もそうですが、相手も男性か女性かは分からない事の方が多かったからです。


 では現在はどうでしょうか。先ほどは「動画・ライブ配信がない」前提で語りましたが、現在は「顔」「声」などを明らかにすることで、男性や女性としてにんしてもらうという流れもあれば、『バーチャルライバー』(*1)の中には容姿も声も変化させた上で活動する人も居ます。

(*1 2Dまたは3Dアバターを用い、ライブ配信や音楽ライブなど、様々な形態で活動する、仮想の容姿を持つ配信者、とここでは定義しておきます)


 中には、すわり方に(おじようさま的な)育ちの良さが見えたりすることもあります。カッコ書きにはしましたが、所作にも男性・女性のどっちかと聞かれると少しかたよるようなものもあるでしょう。


 さて、ここからさらに話をややこしくします。ここまで語ったように、いくつもの条件で「男性」「女性」と表現しましたが、それらは必ずしも、「どちらかに100%ったり」「重ね合わせてもすべてが同じ方向にかたむく」という訳ではありません。


 自分は、性別を『いくつもの矢印(向きと強さ[長さ])を持った「ベクトル」の合成』という表現でとらえています。多くは、合成する(重ね合わせる)とおおよそどちらかにかたよるとは思いますが、「0か1か」ということは、特に現在では言い切れないのではないかなと思います。


 一方で「0か1か」は指標として有効なので、この価値観があるにこしたことはなく、これがあることで「その間」を考えることが出来ると考えています。


 言いたかったことに話を移すと、そのきよくたんさやかたよりは、創作におけるキャラクター作りにおいてりよくとなる部分だとも思います。それと対比させて、あえて中間、あいまいなベクトルを設けるのもありでしょう。または、TPOによって変わったり。


 自作品で言えば、くすのきようすけがその表れであったりします。表面上は「女性的」ではある一方で、「男」である表現を『かんばんむすめ(♂)はこいをする』ではびようしやしていきたいと思っています。


 表に出ている男性や女性のようない、ことづかいに理由を付けるのも、キャラクター作りの楽しさではないでしょうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る