自暴自棄

『Guoooooooooooooooo!!!!』


天へと向けて牙を剥き出しにし、吠える姿を見て、俺は何か地雷を踏んだことを悟った。

俺は手のひらに握った砂を投げつける。

その瞬間に【隠密】を使い、一気に背後に跳ぶ。

だがすぐに獣の視線は俺へと向いた。


(やばっ、近づきすぎた)


思考は焦りながらも、俺の腕は冷静に矢じりの先を獣へと向ける。

だが俺が引き金を引くよりも早く、視界は真っ黒な毛皮に覆われた。


(はや………!)


その黒槍が振り下ろされ、俺の肩越しに人が飛び出して来る。


「うぐっ!?」


うめき声と共に、大盾を構えたおっさんが俺の体を背後に押す。

大盾はみしりと不気味な音を立て、一瞬として耐えることなく俺たちの体を吹き飛ばした。


「くっそ………!一撃で大盾がぶっ壊れたぞ!代わり寄越せ!」

「は、はいっ!」


おっさんは素早く立ち上がり、背後から飛んできた替えの大盾を構える。

俺はその陰に素早く隠れ、その更に背後には他の冒険者たちが塊になるように集まる。


「そのまま逃げなかったのか?」

「モンスターの前に置いて行けるか!そこまで薄情じゃねえよ!ここまで来たら生きるも死ぬも一緒だろ」

「そうそう!生き残ったら東京の美女紹介してくださいよ!」

「ちょっと年上の社畜でもいいか?」


恋人募集してそう(多分)な魔女なら紹介できる。


「………パワーもスピードもやばいが動きは直線的だ」

「魔法使いがいればなあ」


予備隊の冒険者の誰かがぽつりと呟いた。

残念ながら遠距離攻撃持ちは、俺ぐらいだ。

そして魔法攻撃が出来る極光の矢も、使い切った。


「受け止めてダメージを重ねる。それでいいだろ?」

「………ん、ああ」

「おい、しっかりしてくれよ。数少ない遠距離持ちなんだからよ」


おれたちの陣形はとてもシンプルだ。

四方に盾持ちを配置し、その周囲には武器持ちを置くことで相手を待ち構える。

そして槍持ちや俺のような遠距離武器持ちが中央に囲われて牽制、そして上からの攻撃に備える。

遠距離攻撃のない速いモンスターと戦う時に冒険者がよく使う陣形、らしい。

俺は経験が無いから少し慌てたが、近くにいた冒険者が陣形の中まで引っ張ってくれた。


『Guuuuuuuuuuuuuuuu……』


低いうなり声を残して、獣の姿が掻き消えた。

だが、俺の【探知】にはまだ映っている。


(―――ッ)


「南、だ!」


魔力切れで頭痛が酷いが、このスピード相手に【探知】は切れない。

俺は痛みを誤魔化すためにも大声で叫んだ。


そして、俺の声に反応して南にいた盾持ちが盾を掲げ、その瞬間、けたたましい金属音が鳴り響いた。


「ぐッ……!?」


爪が突き刺さった盾が、みしりと不気味な音を立てる。

一瞬にして距離を詰めた獣は、その腕を振り下ろしていた。

太い両足で耐える盾持ちの額には、一瞬で大粒の汗が浮かぶ。

だがその身体が吹き飛ばされる前に、盾持ちの背後から槍が、側面からは剣が光る。


『Gruoooo!?』


毛皮を切り裂き、肉に刺さった刃は、鉄臭いにおいを周囲に広げる。


(上手いな……!)


即席で組んだ俺の指示への反応速度と、反撃の巧さ。

誰の攻撃も邪魔することなく、長物を扱う姿からは連携への慣れを感じた。

冒険者らしい冒険者だ。

対モンスターではとても頼りになる。


そしてたまらず背後に跳んだ獣は、低く唸り、音も無く歩く。

明確なダメージと警戒する姿に、冒険者の中に安堵の空気が広がるのを感じた。


「よぉし、よし……!この調子で行くぞ。そろそろとんでくるかもしれねえから注意払っとけ」


(これならいける……けど!)


獣の動きは単純で、そして防御力はあまりない。

このまま攻撃を重ねて行けば、いずれ倒れるだろう。

だが、俺は何も知らない予備隊の人たちのように喜べなかった。


『Guoooooooooooooooooo!!!』


「―――ッ、盾持ち踏ん張れよ!おい、東京野郎もさぼんな!」

「分かってる!今考えてるから!」

「はあ!?」


獣は残像を残すほどの速度で駆けながら四方八方から爪による攻撃を仕掛けてくる。

だが予備隊側も、攻撃の瞬間を見計らって盾で衝撃を殺し、カウンターを叩きこむ。

矢や猟銃も放たれ、攻撃する度に獣は傷ついて行く。


(くそっ、こいつら強いな!あいつは馬鹿だし!)


傷つく己の身すら顧みず、ただひたすら地に濡れながら爪を振るう姿は、獣そのものだった。

どうにかしなかれば、すぐに討伐されるだろう。


(実は人間かもしれませんなんて言えないし、こいつも逃げそうにない!)


俺がそうかもしれないと思ったのは、ただの勘。

だが対面に立ち、その瞳を見て確信した。こいつは、七瀬日暮だと。

俺が観察してきた数多のモンスターたちと違い過ぎる。違和感があるし、こいつが右手に持つ槍は七瀬のものだ。

まず、間違いない。


(なんかのスキルか?あるいは――――)


荒唐無稽な、だけどうっすらと頭の中にあった可能性に辿り着きかける。

だが今は、何とかしてあいつを止めなければならない。

方法は、一つだけ思いついた。


「俺が引き付けとくからその隙に逃げろ!」


俺は一人、陣形を飛び出して駆ける。

「は、おい!何考えてる!」とおっさんの困惑する声が聞こえた。

それも当然だろう。有利に立っているときに、博打に出たんだから。


だがそんな彼らの困惑も置き去りにして、駆ける。

【探知】も切って、全速力で駆ける。

背後を見もしない疾走は、モンスターを前にしては余りにも無防備だが、今まで培った経験と強化された五感で、背後から迫る獣の姿を捉える。

ちらりと背後を見ると、遠くなった陣形と、その手間で二足で駆ける獣の姿が目に付いた。

その手には、やはり今も黒槍がしっかりと握られている。


(………………)


足音が迫って来る。

やがて息遣いも聞こえるようになった時、獣は跳躍した。

ドンッ、と重い地響きがしてその巨体が宙を舞う。

そして俺の進行方向に軽やかに着地した。


俺は着地のタイミングに合わせて、刺子雀の引き金を引く。

【回転】は溜めていないが、オーダーメイドのボウガンは、獣の毛皮を貫くに十分な威力を持っていた。

その矢を獣は腿に受けた。


『Gyattuu………!?』


短い悲鳴を上げて、獣は悶え、ぎろりと俺を睨みつけた。

そしてボウガンの射線を切るように、再び走り始めた。

ぐるぐると俺の周囲を回る。隙を伺うような息遣いが聞こえる。


だがその動きはやはり単調で、矢を合わせるのは難しくなかった。

引き金を引く。当たる。引き金を引く。当たる。引き金を引く。………当たる。


『Guuuuu………Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』


獣は痛みに悲鳴を上げ、そして苛立つように声を上げた。

だがやはり、こいつは違う。


「うるさい!!!でかい声で騒ぐな―――――!!!」


俺は刺子雀を叫ぶ獣の心臓に向ける。

すると、獣はぴたりと動きを止めた。


「――――っ、モンスターはお前が考えているよりもずっと賢いし、生きるために必死だ!馬鹿みたいに突進したりはしないんだ!俺を騙せると思ってんのか、ボケ!」


ぎちりと獣の、いや七瀬の右手の中で黒槍が音を立てた。


「……いつ意識が戻った」

『竜を殺した後だ。ずっと夢の中にいたみてえな感覚で、てめえのムカつく声を目覚めに聞かされたぜ』


低くくぐもった声だったが、不機嫌そうな声音は少し声を交わしたことのある七瀬のものだった。

俺は刺子雀を下ろした。


「何がどうなったんだ………」

『敵に襲われた……オレは竜に、ジジイは、竜胆は殺されて連れてかれた』

「支部長が……東亜連国、だろうな。重要人物だし狙われてもおかしくなかったか」


持っている情報や地位的に狙われてもおかしくはない。

死んだということは生け捕りに失敗したということか。

いや、彼がいないだけで、来年の竜への対処に大きな痛手となる。


『……守れなかった。守るために竜を殺すつもりだったってのに、オレのせいで死んだ』

「知り合いだったのか」

『育ての、親だ』

「そうか」


人と獣に分かたれて、初めてまともに言葉を交わせた。


「その姿は?スキルか?」

『俺は身体能力特化型。てめえの女と同じだ』

「俺のじゃない……」


玲と同じ。それならその姿は……


「戻れるのか?」

『知らねえよ、気づいたらこうなってた。それにもう、どうでもいい』

「は―――!?」


鋭い爪が振られる。

間一髪、仰け反った俺は、髪の一部を切り裂かれるだけに留まった。


『Guoooooooooooooooooooooo!!』

「がッ……!?」


蹴り上げられた足を、刺子雀で受け止めるが、勢いで吹き飛ばされる。

何度も地面を転がり、顔を上げると、地面を削りながら迫る五本の爪が見えた。

時が止まるような感覚の中、その爪は俺では無く、刺子雀を切り裂いた。


両断され、宙を舞う刺子雀。


「―――何をっ!?」

『これでてめえの手札は光の矢だけだろうが!!』


ぐるぐると七瀬は俺の周囲を走る。

声が大きくなっては小さくなって、方向もバラバラだ。

だが声に籠った殺意は本気で、撃たなければ殺されるだろう。


『見せて見ろよ、水竜を半殺しにした矢をよぉ!!!』

「死ぬ気なのか!」

『やりてえことも出来ねえからなァ!』


直進して来る肉体を上に飛ぶことで避けるが、掠った爪で頬がぱっくりと避けた。


『オレを利用したクソ共も、ジジイを殺した奴らも殺したいが、そいつらはもう海の上だ!オレに羽が無い以上、仕方ねえ。モンスターとして生きる気もねえんでな!』

「は、おい待て―――――ぐっ」


再び迫る巨体を、無様に転がりながら躱す。

本気じゃないのにこのスピード。逃げるだけが精いっぱいだ。

いや、引き金を引くぐらいは出来るスピード。

明らかに手加減されているが、それは俺に自分を殺させるためだろう。

完全に自暴自棄になっていた。


七瀬は立ち止まり、身をかがめる。

そして左手を引いて力を溜める。


『やる気がねえなら殺す!撃てよ【冥層冒険者】!お前の手柄になってやる!』

「お前の自殺に巻き込むんじゃねえよ!」


(自分じゃ出来ねえんだよ)


目覚めてから何度も、日暮は自分の心臓を抉り出そうとした。

モンスターとして生きるなど、彼の冒険者としての誇りが許さなかった。

だが出来なかった。きっとそれが、心臓に宿った『力』の影響なのだろう。

だがその場には、奴がいた。【冥層冒険者】と呼ばれる白木湊が。


―――いけ好かない奴


会う前からそう思っていた。

冒険者とはモンスターを殺す者。そう思い、今までダンジョンで何度も死地を潜って来た。

だが奴は違った。

自分とは正反対。力ではなく、知識と技術でダンジョンを進めた。


スマホの小さな画面に移るその姿は、力だけではどうにもならないと言っているように感じた。

冒険者としてのプライドを刺激された。苛ついた。決して言葉にはしないが、彼らを褒める竜胆を見て、心を乱した。

それでも嫌悪の感情だけでは無かった。だからきっと今、日暮は自分を殺す冒険者として湊を選んだ。


『さあ、来い!殺されたくなかったらなぁ!!』

「―――馬鹿野郎が!」


湊は輝烏を真っ直ぐに構える。

日暮は獣の顔で笑い、矢を迎えるように地を蹴った。


□□□


次回更新日は、2024/7/13(土)の7:00です。

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