地雷


鼻先をくすぐる線香の香りを今でも嫌に覚えている。

座間に並ぶ二つの棺桶には男女が真っ白い顔で並んでいた。


別に物珍しい光景では無かった。

この冷たい竜戦の地に住んでいれば、近しい者に冒険者がいれば、何度でも見る光景だ。


だが、その夕焼けに照らされる暗い部屋を今も覚えているのは、並ぶ二つの棺桶が両親のものだったから。


その無機質な木箱を前にしても、彼は泣かなかった。

幼くても、両親の語る竜討伐の物語を聞いて育ったのだから。

その物語に心動かされたのは、二人が命という特別を賭けてつかみ取ったものだと知っていたから。

だから仕方が無いことだと、見送った。


「うっ、ううぅっ、うぉおおおおおおお……!!」


それでも、少年が内に抱いた悲しみを全て吹き飛ばしたのは、筋肉質な老人の号泣だった。

座敷に胡坐をかいて太い腕で目元を覆う彼はあまりにも和室に似合わなくて、そんな大男が大粒の涙を流して泣く姿は、どこか喜劇染みていた。


「………アンタ、迷宮管理局の」

「………お前は、朝日のガキンチョだな、目元がそっくりじゃねえか」


大きな手が頭に触れて乱雑に撫でまわす。

絡まった髪の毛が痛くて、固い手のぬくもりに悲しさを分け与えられた気がして、少年も泣いた。


「――――うっ、うぅうううっ」

「そうだよな、いい奴だったよ、あいつはっ、うおぉおおおおっ……!はは、ははははっ」

「何笑ってんだっ」

「いてっ、わ、わりい、俺らだけめっちゃ泣いてるからよぉっ」


脇腹に刺さった小さな拳を大げさに痛がって、老人は泣き笑った。

でも、その気持ちは少年にも分かった。

1人じゃないだけで、悲しいけど楽になれた。


「しかしいいパンチだったぜ、将来は、あー、ボクサーか?」

「―――冒険者に決まってんだろ」


涙を拭いそう言うと、竜胆は困ったように笑い、誤魔化すように頭を撫でた。

それが少年の、七瀬日暮の始まり。

竜への怒りの上から、英雄への憧れを敷き詰めた。

そんな北海道では珍しくない冒険者になるはずだった。


だけど日暮は他の冒険者よりも才能があって、『英雄』に近かった。

年々、戦場から帰って来る彼の体に刻まれる傷は多くなった。

その代名詞ともいえる大剣を、重そうに担ぐ姿も見た。

日暮が冒険者として実力を付ければつけるほど、彼の衰えを感じ取った。


もう戦うなと彼なりの言葉で何度も伝えた。

それは他人からすれば、暴言と侮蔑にしか聞こえなかっただろうが、竜胆は困ったように笑うだけだった。


「英雄がいるんだ、坊主。毎年竜がくるおっかねえ土地を死なさねえためにな」

「―――なら、オレがなってやる。しなびたジジイの代わりになんてすぐになってやるよ!」


売り言葉に買い言葉。とも言えない一方的な言葉だ。

竜胆は笑ったが、日暮は本心からそう言っていた。

それはあまりにも高い壁だ。


長い間、北海道の大地を竜より守り続けた男の立てた数多の功績。

そして唯一の、『単独での竜討伐』。

それは、人類にも竜と同等の者がいると示す何よりの証明で、心の支えとなった。

決して、怪物に弱い人類が挑むわけではないという証で、彼がいるだけで『竜』との対等な戦いになった。


だから代わりになろうとした。

そうなれば戦場には年老いた英雄なんていらないから。

もう重すぎる剣を捨てさせることが出来るから。


そんな彼の首が飛ぶのを、彼は砂に顔を埋めながら見ていた。

冒険者の生命力は片腕と大量の血を失っても、日暮の命を繋いだ。


「――――ぁぁぁあぁああぁぁあ……!」


うめき声をあげ、膝をつく。

痙攣する体は言うことを聞かず、滑稽なほど顔から砂浜に倒れ込む。

びちゃりと跳ねた血だまりが、彼の視界を赤く染めた。

それでも日暮は這ってでも前へと進む。

―――一体どこに?竜も竜胆を殺した男もいないのに。槍を振るう腕も無くなったのに。


(殺す殺す殺す殺す殺してやるッ!!)


竜も男も全て。

心臓の奥が熱かった。

死に瀕した肉体は生きようと藻掻き、失意の心は日暮の全身を変えた。

めきりと肉体が音を立てた。

心臓を起点に、何かが駆け巡る。


(―――あっ、ぐっ、何だ、これ……!)


「あ、あぁああああああああああああ!」


右肩が盛り上がり、腕が生えてくる。その皮膚は黒く毛皮に覆われていた。

その変異はやがて全身に及び、彼の意識は途絶えて消えた。

その喉からは低いうなり声が響く。

取り戻した腕で黒槍を掴む。巨大化した腕に重く長い槍はよくなじんだ。

そして血にまみれた戦場に産まれなおした獣は、両の足で地を蹴った。


□□□


「おいおい、今度はどんなモンスターなんだ?」

「モンスター、じゃないかも」

「は?」


おっさんの言葉をよそに、俺は【探知】に集中する。

予備隊の冒険者たちは、突如現れたモンスターにどうすればいいのかも分からず、僅かに後ずさる。


俺はそれを手で止めた。

あの獣の視線が俺達にも向いているからだ。

下手に動けばどうなるか、俺にも読めない。

だが獣は幸いにも、水竜へと視線を向けた。


水竜もまた、視線を返す。

そして突如水竜はその巨大な前脚を振り下ろした。


ごう、と大気を揺らす薙ぎ払いは、大地を削り取り、視界に映る景色を変えた。

俺達は咄嗟にしゃがみ込み、衝撃に耐える。

だが獣はその攻撃を真正面から突っ切り、水竜の眼前へと躍り出る。

そして右腕を引き絞り、槍を突き出す。

埒外の速度は、竜への真正面からの奇襲というでたらめを実現させる。


(モンスターの力と人の技――――)


眼球を貫いた槍は、柄の半ばまで頭部に潜り込み、その脳を引き裂いた。

獣は勝利の雄たけびを上げる。

そして竜の巨体と共に、獣は着地した。


「ひっ、こ、こっち見てるぜ」

「武器を向けるな!狙われるぞ……目を逸らさずに下がれ」


俺の言葉に従って、冒険者たちは後ずさる。

だが俺は反対に前へと進む。


「お、おいっ、どうする気だ!」

「ちょっと確かめたいことがある。先に下がっていてくれ」

「おいっ!」


俺は一歩ずつ獣に近づいて行く。

獣は静かに立っている。二足で、その右手に見覚えのある黒槍を持って。

そしてその獣の瞳を覗き込む。

光に反応して収縮する瞳孔は縦長で不気味だ。

だが揺れるその瞳は、『生物』のそれだ。


(違う―――あれとは違う。だけど、似てる)


「おい……」

『Gruuuuuuuu……』


俺の言葉に反応するように唸り、苛立つように牙を揺らす。

俺は反射的に体を強張らせた。

これは獣の反応か、あるいは当人のものか。

人間の姿の時から、人を寄せ付けない獣染みた奴に見えたからどちらか分からない。


「妙なスキル持ってるんだな。さっさと使えば水竜の倒せたんじゃないのか?」

『…………………』


「人間には戻れるよな?てか、水竜の戦場はどうなった?他の冒険者たちは、支部長は」

『Guoooooooooooooooo!!!!』


天へと向けて牙を剥き出しにし、吠える姿を見て、俺は何か地雷を踏んだことを悟った。


□□□


次回更新日は、2024/7/10(水)です。

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