二つの決着
「―――目的は竜胆支部長の身柄かい?」
確信のこもった声音で、両は海呑へと問う。
彼女は返答の代わりに片腕で水面を殴った。
どっと水柱が立ち上がり、海呑の姿を隠す。次の瞬間には海水は何十匹もの鮫の群れへと変わった。
だがその時にはすでに、両はその場にいなかった。
浅瀬から深部へと切り込み、鮫の柱を迂回して、沖合へと逃れようとしていた海呑へと長刀を振り下ろす。
「―――チッ!」
間一髪、斬撃を避けた海呑だったが、続く連撃にたまらず、浜辺へと押し返された。
両も距離を詰め、海呑を逃すまいとするが、2人の間を鮫の濁流が阻む。
立ち止まった両は、歯を剥き出しにする鮫を一呼吸で切り刻むが、その頃には再び2人の間には距離があった。
(今のを避けるのか……スキル的には後衛だろうけど、身体能力もかなり高いね。生来の魔素許容量が高いのか)
(この男……俺の動きを完全に読んでる。それに俺の海獣も初見だというのに急所を狙って一撃で倒してくる。こんな効率的なやつは初めてだ)
互いに互いの攻撃が通らない。
一見すれば、互角。だが海呑は余裕の笑みを浮かべる。
(海獣の急所を狙われるなら、急所などない海獣を作ればいいだけだ)
海呑には明確な勝ち筋があった。
だがそれには時間がいる。仕方なく、海呑は口を開いた。
「お前の質問に答えてやろう。確かに俺達の目的は竜胆の捕獲だ」
「急におしゃべりになったじゃないか」
両は、じりりと間合いを詰めるが、その分海呑は距離を取り、不敵な笑みを浮かべて両へと話しかける。
「俺が質問に答える意味も分かるだろ?」
「もう目的は達した、ということかな?」
「そうだ。あれを見ろ」
海呑は海上を指差す。
その先には水面を高速で滑る魚竜の姿があった。
(竜……彼女のスキルで作り出したのか?いや、今考えるべきはそこじゃない。すでに竜胆支部長は囚われたということか)
両は自分の予想が当たったことを実感し、険しく顔をゆがめる。
そして負け惜しみとも取れるセリフを吐いた。
「やってくれたよ。まさか湊を狙ったのがブラフだったなんて」
オーブ引渡しの件で敵対が確実となった中島支部長を利用して湊を北海道へと呼びつける。
そのせいで両、そして【オリオン】は一度狙われた湊を守ることに注力した。
その印象を強めたのは、ホテルでの戦闘。敵対者と湊が交戦したことも敵の狙いが湊であると、両に強く思わせた。
そのせいで北海道にとって最重要人物である竜胆支部長への警戒は無いに等しかった。
(彼は支部長として国内の冒険者事情に詳しいだけじゃない。研究者としても高名でダンジョン関連の極秘研究も多く知っている。歩く秘匿情報の塊だ)
それでも彼が戦場に出てこれたのは、支部長や研究者としての名前よりも『破刃の英雄』の名前が広く轟いていたから。
無意識に彼を護衛対象ではなく戦力としてみなしていたのは両も同じ。その意識を突かれた。
(北海道支部が二つに割れたせいで、彼のいる水竜の戦場は例年よりも手薄だ。冒険者の内部争いもうまく使われたか……)
だが同時に両は確信した。
「もう湊を殺す気は無いんだね」
「さあな。俺の知ったことでは無い」
(東亜連国は隣国の冥層の攻略が進むのを気にしないみたいだね……まさか独自で攻略法を見つけたのか)
「俺がどうしてお前と話しているか分かるか」
「僕を殺す気だからだろう?」
「ぬるい答えだ冒険者!殺すのは浜辺の奴らもだ。そして、時は満ちた」
海呑は両腕を海中に浸す。
その動作に両は腰を落とし、盾のように長刀を構え、腿までぬらす海水に気づいた。
(潮が満ちてる……時間稼ぎだったのか)
「この怪物は大量の海水が必要でな!おしゃべりな性格で助かったぞ!!」
どくり、と自分を含む周囲の海水が脈打ったのを両は感じた。
それは何か得体の知れないものの産声だった。
だが両に焦りはなかった。
「―――――がッ……!」
低くくぐもった声が海呑の口から血と共に零れた。
胴に灼熱の花が咲いたと海呑は錯覚した。
そして肉を貫く冷たい刃の感触にうめき声を漏らす。
瞬く間に流れ出た血が海を赤に染め、身じろぎをした拍子に肉体が触れたことで、スキルが解かれた。
「………す、すいません。少し遅れました」
「いや、ベストタイミングだ、兵馬」
海呑の胴からナイフを抜いた兵馬は、ぺこりと小さく両へと謝った。
(【隠密】持ちの伏兵……!こんな奴は事前情報に無かったぞ!)
海呑はナイフという支えを失い、膝をつく。
【隠密】への備えはこの戦場には無かった。
(急所は外れたが失血が酷い……!戻れるか!?)
仲間の船は、途刃と竜胆の死体を回収するために沖合に来ている。
そこまで自身を運ぶ海獣を作ろうと海水に手を伸ばし、ひたりと首に添えられた刃に気づいた。
「さて、降伏した方がいいと思うよ。おしゃべりな工作員くん」
「貴様ぁ……!冒険者風情がッ……!!」
対人戦で冒険者に後れを取ったという事実が、海呑の頬を朱に染めた。
あらん限り見開かれた瞳が両を睨みつけるが、やがてがくりと首を折った。
「それじゃあ最初に浜辺の化け物を消してくれ。君のスキルで作ったならできるだろう?」
「……………」
命令された海呑は抗うように沈黙を貫くが、僅かに日焼けした首筋に刃が食い込むと、無言でスキルを行使する。すると浜辺で暴れていた海獣たちは海水へと変わった。
その従順な海呑の様子を見て、両は兵馬へと指示を出す。
「兵馬、君は湊の元に向かってくれ」
「………わ、分かりました」
「もう遅いかもしれないけどね」
最期の呟きは兵馬には届かず、兵馬は再び【隠密】を使い、姿を消す。
「………兵馬です。湊さんの手助けに行きます」
『了解ですー、雷竜も死んだので、私も向かいますねー』
インカム越しに聞こえた声はすいのものだった。
そして両のもとにも、冒険者たちからの報告が入る。
「雷竜討伐!しかし武装集団の姿があり、先んじて応戦していた冒険者の援護に入る様子!」
「水竜討伐失敗です!え?もう一体竜が出た?警戒ラインが抜かれそうです!」
通信機で連絡を取り合った彼らの言葉に、最悪と最良を悟った。
(応戦中、ということは湊達は無事だ。だけど水竜方面が本格的にまずい。この海岸線を越えればすぐに街だ!)
「動ける者を集めて、水竜の進路沿いに向かう!怪我人はこの場に置いて行く!厳哲、君は彼女を見張っていてくれ」
「おうよ。さあ、こっちに来い。厄介なスキル持ちよ。そうすれば治療してやろう」
全身を海獣の血で染めた厳哲は、片手に持つ大槌を軽く動かす。
忌々しそうに顔を顰めた海呑は素直に浜辺を歩く。その歩みに従い、冒険者たちは恐れるように距離を取るので、海呑は鼻で笑った。
だがその手を両が取った。
何事かと思い振り返ると、両は言った。
「ああ、そうだ。【物体収納】の中の海水は今ここで吐き出してくれ。熟練度Aならまだあるだろう?」
「………俺はお前が嫌いだ、ガキ剣士め!」
霧竜の戦場、沈黙。死者は14人。全て海獣による被害だった。
そして捕虜1人。彼女の存在については後に自衛隊よりかん口令が引かれた。
そして雷竜の戦場では、雷竜が討伐された。
主力であった【雷牛の団】の面々には、団長である迅太を初め、魔力切れの者も多かった。
しかし、後方の防砂林での戦いに気づくと、動ける者は立ち上がった。
そして副団長、望の指揮の元、湊達の救助へと向かった。
「私も行ってきますねー」
「……行ってらっしゃい。私は寝る」
浜辺にごろりと転がり、丸くなる雪奈にすいはひらりと手を振る。
この戦場一番の功労者と言ってもいい彼女の行動に文句をつける者はいなかった。
そしてすいは次にクロキを見た。
「すまない、僕も行けそうにない。足が折れてるみたいだ」
「ならここで私が湊さんたちと一緒に帰って来るのを待っていてくださいねー」
すいは手早く準備を整え、防砂林へと進み始めた。
その背にクロキは声をかける。
「どこに行くんだい?」
「私は別ルートで行きますんでー」
すいはこっそりと浜辺を離れた。
それと同時に、望の指揮する部隊も、浜辺を離れていく。
雷竜の雷撃の音色が止んだ浜辺には、断続的に鳴り響く銃撃音がよく轟いた。
「急ぐぞ、お前たち!ここまで来たんだ、一人の死者も出すなよ!」
「「「了解!」」」
副団長の檄に、【雷牛の団】の団員たちは声を上げる。
だが彼女たちは、湊達の姿がうっすらと見えるようになってきたところで足を止めざるを得なかった。
その眼前に立ちふさがった坊主頭の男の発する闘気によって。
初めに足を止めたのは、望以外の全ての者。
まるで眼前に剣山を聳え立ったような動きで、急停止した。
その結果、望一人が、その男、ソマリフの前に立つ。
「………【極海戦域】の……今までどこにいた?」
「我らは備えていた。必要になる時を―――」
その要領を得ない、しかし解釈次第では物騒に聞こえる言葉に、望は腰のエストックに手を伸ばした。
「なぜ立ち塞がる?あの襲撃者たちはお前たちの仲間か?」
「………何という侮辱だ。許しがたい」
その言葉でずしりと空気が重く歪む。
交戦を覚悟し、望は武器を鞘から抜きかけ、刀身の輝きが露わになったところで、ソマリフの発する威圧が消えた。
「――――だが、主であれば気にしないだろう。我らはお前を許そう」
「………そ、そうか」
「ああ。一度、お叱りを受けたのでな」
「主にか?」
「違う」
微妙に噛み合わない会話に、望も毒気を抜かれた。
だが問わねばならないことはずっと残っている。
「それで、どうして私たちの道を阻む?」
返答は一言。だが不思議と望は納得してしまった。
「主が降りられる故。人払いが我らの役目だ」
□□□
防砂林とも、浜辺とも離れた人の寄り付かない海岸線に、彼はいた。
まばらに木が並ぶだけの、流木とガラクタの墓場。
彼は耳元のインカムに小声でつぶやいていた。
「その右……くぼみのすぐ隣だ……少し前進した。煙の端だ」
「――――何をしているの」
その背に、理知的な声音が投げかけられる。
聞き覚えのある声に振り返り、そこにいたのは彼の想像通りの人物で、想像通りの表情を浮かべていた。
どこか物悲しそうに佇む彼の名は、十草日々徒。
先ほどまで雷竜の討伐に参加し、後衛として冒険者たちの治療をしていた男であり、彼――――芦屋正人が教主と仰ぐ男だった。
「―――ッ、教主様、どうしてここに……!」
「白木君たちが襲われていると聞いて、違和感を覚えたんだ。【隠密A】を持つ彼が、対人戦で押されるとは考えにくい。君が彼の位置を敵に教えていたんだね」
【冥月の会】では、【探知】は神を見るための目としている。
実際には、より詳しくダンジョンを調べるために十草が覚えているだけだが、その言葉を信じ、十草と同じ熟練度Aまで上げた男が、芦屋だった。
「彼らが何者かは?」
詰問する十草の言葉に、ぐっと唇を噛み締めた芦屋は「いいえ」と小さく答えた。
「だけど、彼らが冒険者を害する存在だとは知っているはず。なぜ、裏切りを―――」
「裏切り!?裏切りですか、これが!?冒険者は不純な感情を抱いてダンジョンに潜っている!決して味方では無く、神を怒らせる害悪!あの白木湊という男はその筆頭でしょう!」
「それは――――」
十草はいい淀む。彼の、いや、【冥月の会】の教義を考えれば、冒険者は味方ではない。
十草は、教義を叫ぶ腹心の言葉を否定することが出来なかった。
なぜなら彼は、十草と違い、教義を本気で信じ、敬っているからだ。
都合よく『宗教』という旗を掲げ、旗から零れる実利を欲する十草とは根本から違った。
「…………これは、【迷宮管理局】、そして国への敵対行為だ。冒険者を排する君の思想は理解できるけど、行動が過激に過ぎる」
「いいえ、これは敵対にはなりません。これを指示したのは、【渋谷支部】ですから」
「………は?」
十草は本気で彼の言葉の意味が分からなかった。
「白木湊は敵国と通じている可能性があるため、【探知A】を持つ我ら【冥月の会】に極秘の『依頼』として指示されています」
「……僕は何も知らないよ」
「私の独断で黙っていました。あなたは白木湊を気に入っていましたから」
何が起こっているのか理解できず、十草は黙る。
そして芦屋もまた同様に。
その沈黙を切り裂いたのは、空から降って来た白亜の令嬢だった。
「こんにちは。ダンジョンを崇める宗教の方々。少し、お話をしましょう」
戦場に似つかわしくない軽やかな声音と共に、彼女は二人の前に降り立った。
□□□
次回更新日は、2024/7/1(月)の7:00です。
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