途刃

霧竜が討伐された頃、水竜の戦場では未だに激しい攻撃音が轟いていた。

陣を組んだ冒険者たちが水竜の攻撃を受け止め、魔法使いが主体となってダメージを与えていく典型的な対ボスの戦法で着実にダメージを与えていた。


それでも相手は竜。少ない人数が一度の攻撃で戦線を離脱していく。

中には手足が千切れる重傷を負うものもおり、悲鳴が途切れることはなかった。


そんな過酷な戦場でも未だ戦線が崩れないのは最前線で大剣を振るう1人の英雄のおかげだった。


「―――おあっ!!」


横薙ぎに振られた大剣が遠心力とスキルを乗せて水竜の前足に叩き込まれる。

その一撃は分厚い鱗を砕き、ビルのような巨体を揺らした。

冒険者たちも思わず耳を塞ぐ衝突音と共に、水竜の巨体が後退した。


「……すげえ」「これなら勝てるぞ!」「今だ押せ押せ!」


崩れかけた前線は持ち直し、冒険者たちは気力を取り戻し前を向く。

それを成した竜胆は大剣を担ぎ、周りに気づかれないように息を吐いた。


(流石に年だな……今年はますます【破刃】が重いぜ)


かつて単独で竜を屠った英雄も寄る年波には勝てない。

今や本気の一撃も、竜の鱗を砕くだけにとどまった。

それでも、彼を英雄と慕う冒険者たちのために気丈に振る舞い、声を張り上げる。


「お前たちは竜の足を止めることを考えろ!ダメージは俺が稼ぐ!」

「「「「おおっ!!!」」」


それを日暮は防壁上から見下ろしていた。

その表情は険しく歪んでいた。


(四体目の竜はいつ来やがるんだ!)


未だ海に異変はない。

膨大な魔力を持つ竜が近づけば、何らかの現象となって現れる。

それを竜との戦闘経験のある日暮は分かっていた。


(水竜の方の動きも悪りいし何やってやがる!)


陣形は最前線で竜胆が剣を振るい、声を上げることで瓦解していない。

だがその状況自体がイレギュラーなものだ。

陣形の指揮官は竜胆では無く、来夏だ。だが彼はろくに指揮ができていなかった。

そのせいで前衛と後衛の連携が噛み合っていないのが、全体を俯瞰している日暮にはよく分かった。


自分が水竜と戦うか。その選択肢が頭をよぎった時、日暮は海中で膨れ上がった強大な気配に気づいた。

同刻、海上には小さな船が浮かんでいた。浜辺からは見えないほどの沖合で、彼は小さく笑みを浮かべ、呟いた。

「【再臨】」、と。


それは不可侵の境界を取り払う冥府の力。

黒く淀んだ魔力が、一直線に海中へと伸びていく。

暗い深海の水よりもなお黒い魔力は、海底に横たわったものへと一直線に伸びていく。

それは海呑が【物体収納】に収め、運んできた死骸であり、死してなお、その肉体に近づく生き物はいない。

何も動くもののない海底に今、どくりと鼓動が蘇る。


「七瀬様。あなたのご要望通り、竜をお持ちしましたよ」


不明は波打つ海面を見て笑う。

さざ波を撫でるように白くしなやかな腕を振るう。

波よりも速く、命を吹き込まれた巨体が、浜辺へと向かっていった。


「………さて、後はあなた次第ですよ」


これで不明と海呑の役割も終わった。

不明はボートを動かし、その場を離れた。


□□□


日暮が海中に突如発生した巨大な気配に気づいたのと同じ時、竜胆もまた、それが竜だと気づいた。

そして表情を大きく歪めた。


(……なんて圧……!この水竜よりも数段やばい魔力を纏ってやがる!?)


「坊主ゥ!?」

「オレが狩る!!」


竜胆と日暮の言葉の意味を理解できたものはほとんどいない。

だが長い首を動かし、海を気にする水竜の異変に気付かない者はいなかった。


彼らは心臓を握るような不安の正体を、海中から凄まじい速度で飛び出してきた竜という形で知った。

その竜は、魚竜という言葉がふさわしかった。

不明が日暮に語った通り、全身を魚のような鱗を覆い、ヒレとエラを動かしている。

竜としては小柄の部類であり、水竜と比べれば成体と幼体ほどの差がある。


しかし水竜は怯えるように啼き、さらに海水を荒ぶらせた。


(まずいな、怯えてる……竜も冒険者も)


浜辺に並ぶ二体の竜。その姿はぎりぎりの戦いをしていた冒険者たちの陣形をさらに大きく歪ませた。


「お、おい、逃げた方がいいんじゃ……!」「いったん陣形を立て直そうぜ」「いや、だめだ!ここで退けば街に竜がいく!」「全霊で戦うぞ、俺は!」


指揮官の指揮では無く、英雄の鼓舞により維持した戦場の落とし穴。それは意志の未統一だ。どこまで攻めて守るのか、その価値観の共有が出来ていなかった。

このままでは戦線が瓦解する。そう悟った竜胆の頭上を疾風が駆け抜けた。


一体誰がその風が一人の男の疾駆が生み出したものだと信じただろうか。

防壁にすら罅を入れる踏み込みと跳躍により、一瞬で魚竜の眼前に躍り出た日暮は名も無き黒槍を力任せに振るう。

しなり、魚竜の頬を捉えた攻撃は鱗を砕き、その身体を真横へと吹き飛ばした。


暴風すら吹き鳴らす一撃は物理的に二体の竜の距離を取る。

全身を叩く風と砂粒に冒険者たちは時を止めた。


「―――魚竜はオレが討伐する。お前らはもういい」


冷たく言い捨てた言葉は、染み入るようにその場の冒険者たちの心を叩いた。

背を向け、魚竜へと向かうその姿は、水竜一体に手こずる自分たちへの失望であり、侮蔑に他ならない。

それに気付いたものは歯を噛み締めて下を向く。

だがそんな彼らを動かしたのもまた、彼の言葉だった。


「てめえらは水竜を狩っとけ。オレの邪魔をさせんじゃねえぞ」


竜胆は彼の言葉に笑みを浮かべた。

それは幼少から知っていた少年の成長への喜びであり、戦場の変化を感じたからだった。


(熱が戻った、これならいける)


「おまえら黙ってるんじゃねえぞ!坊主一人に竜狩りの名声をくれてやる気か!気合出して剣振りやがれ!」


竜胆の掲げた大剣に次々と武器が掲げられる。

それは一斉に水竜へと向き、苛烈に攻め立てる。

そして魚竜と日暮も戦いを始めた。


魚竜は全身から分泌する特殊な液体により、地上も空中の泳ぐように身を捩らせる。

不規則な動きで日暮の背後へと回り込んだ魚竜は、大口を開き咬みつく。

だがその攻撃は空振り、ガキンと火花が散った。


「のろまが」


すれ違うように跳んだ日暮は空中で回りながら黒槍を突き出す。

僅か一瞬で十を超えた刺突は、魚竜の眼球を狙うが、全てその体表で滑った。


(眼球も関係なしかよ、なら、斬撃だな)


尾の近くに着地した日暮は全身を使い黒槍を振るう。

ボッ、と鋭い音を立てた一撃は、魚竜の足の一部を吹き飛ばした。


『GiGYaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!』


魚竜の悲鳴と共に血が浜辺をぬらす。

その傷口は嵐が通り過ぎたように抉れており、それを見て槍傷だと気づく者はいないだろう。


「おあぁああああああッッ!」


裂帛の気合と共に振り下ろした黒槍を魚竜はヒレの生えた尾で受け止めるが、今度はその尾が抉られ――――そして日暮は加速した。


浜辺を消し飛ばすのは魚竜の身じろぎか日暮の疾駆か。

黒い嵐に取り込まれた魚竜は、その全身を削られていく。

苦し紛れに振られた爪牙はかすりもせず、肉体の端から血しぶきへと変わる。


「ぶっ殺す」


短く放たれた言葉には、煮詰まれ沸騰した感情が宿っていた。

日暮の冒険者としての時間は全て、竜討伐のために捧げてきた。

冒険者だった両親が幾年か前の竜に殺された時から、彼の中で強さの象徴であった『竜』が悶え苦しむ姿は、得も言われぬ快楽を彼にもたらした。


―――竜の鱗を砕くための重く長い槍、竜を殺すための強い協力者。


かつて両親を通して見た理想は捨てた。選び取った悲願の成就を前に、彼の眼差しは、ただひたすら魚竜へと注がれる。


(こいつを一人で殺せればあいつも―――!)


崩れゆく魚竜の肉体、凄まじい速度で流れて行く視界の奥に、一人の姿を捉える。

最前線で水竜と斬り合い、休息のために後衛に下がっていた竜胆。

その背に近づく見たことのない男の姿に。


「【途刃タドレバ】」


その青年は腰に差した軍刀を掴み、その瞬間、竜胆の背からおびただしい量の血が噴き出した。


□□□


次回更新日は、2024/6/25(火)の7:00です。

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