大海の母

霧竜との戦いは、他の戦場と比べて静かだった。

先程まで空気を揺らしていた魔法の爆発音も止んで久しい。

『魔法注入混液』が尽きたのだ。だが同時に霧竜の魔力も尽きた。


霧竜は大口を開くがそこから溢れるのはほんの僅かな霧のみ。

勝機を見出した両と厳哲は砂浜を蹴る。


二手で迫る超級の冒険者に対して霧竜は厳哲へと腕を振り下ろした。

直撃すれば頑丈な厳哲の肉体すらフルーツのように切り裂く爪も、易々と大盾に防がれる。

衝撃で厳哲の両足は砂浜にめり込むがそれまでだった。


「―――いい選択だぞ、竜よ。その方が楽に死ねる」


大盾の奥で笑った厳哲は、鞘へと長刀を納めた両へと視線を向ける。

短い呼吸と共に抜き放たれた居合いは首元の鱗の下へと潜り込み、返す刃で胸、腰を切り裂いた。

一度の斬撃で3度斬りつけるという絶技の後、竜の肉体は三つに分たれた。

明らかに等身の長さを超える傷を負っていたが、厳哲は当然と言いたげに大盾を振るい、血を落とす。


そして、歓声があがった。


冒険者たちは防壁を飛び越え、浜辺に駆け寄る。

眼前で見た偉業に興奮し、雄たけびを上げる者も少なくない。

両は冒険者流の賞賛を浴びながら、笑みを浮かべて刀を鞘に納めた。


「中々強かったな。俺の好みの強さでは無かったがな!」

「厳哲さん、なんで元気なんすか……」


【オリオン】の冒険者が引いているが、両はそれも仕方が無いと思う。

霧竜は、北海道に襲来した三体の竜の中では、一番格が劣る個体だった。

また耐久力も低く、二人の火力だけで十分に討伐できた。


「他の場所の討伐状況は?」

「未だに二体とも生き残ってます。ですが雷竜の方はもう少しらしいですね。それと―――」


クランメンバーの一人が両の耳元で小さく囁く。


「湊達が戦線を離れました。恐らく襲撃されたのかと」

「―――部隊を二つに分ける。片方は湊の救助、もう片方は水竜の方に」


襲撃を予想していた両は、空いた戦力を分けるように指示する。

初めから討伐後も想定していた両は、体力の余っている冒険者たちの中、信頼のおけるものを湊のいる雷竜の戦場方面へと送るように素早く手はずを整える。

何も知らない冒険者も、竜討伐の援軍だと言えば、有り余った体力と気力を発散できることに歓喜の声を上げた。


だがその援軍が実行に移されることは無かった。


「―――ッ、海中にモンスター多数!大型だ!」


【探知】持ちの冒険者が叫ぶ。

その声に一斉に冒険者たちの視線が海に向かい、そして視線の先で海面が炸裂した。

降り注ぐ海水が浜辺を黒く染め、押し寄せる波に浜辺付近の冒険者が足を取られる。


海中から現れたのは複数のモンスターたちであり、その巨体は霧竜にも劣らない。

そして――――


「待ちくたびれたぞ冒険者ども」


魚類の鱗を纏った二足のモンスターの頭部の上に、人影があった。

水にぬれた黒髪は短く切りそろえられており、不機嫌で威圧的な顔立ちが冒険者たちを睥睨する。


水着に身を包んだスタイルのいい肢体と大人びた暗い美貌は、場所が違えば見惚れただろうが、モンスターたちの外見で分かる殺傷能力が、冒険者たちの顔をこわばらせた。


「君は誰だい?」

「……一人も死んでいないのか。竜と言っても使えんな。まあ、俺が殺せばいい話」


両の問いかけを無視して、襲撃者、海呑は腕を振るう。

すると5体の海獣が海から浜辺に進み、その巨体から腕を振るった。

いずれも魚類の鱗と二足二腕が特徴のモンスターであり、両も知らない個体だった。


「うおおぉおおお!盾持ち防げぇ!」


浜辺の冒険者の悲鳴と雄たけびが響く。

反射的に前に出た盾役が、後ろに下がりたがる体を縫い留め、浜辺の砂を巻きあげながら迫る巨腕に盾を合わせる。


「―――――ぎっ!?」


そして、吹き飛んだ。

防壁の上を飛び越え、姿が見えなくなった数人の冒険者に時が止まった。

だが海獣たちはそんな困惑に構うことなく、近くの冒険者を狙い、腕を振るった。


浜辺は一気に混乱に陥った。

霧竜討伐後の陣形が崩れたところを狙われたこともあり、後衛前衛関係なく海獣に狙われていく。

海中に残った海獣の頭の上で、海呑は当然だと言いたげな冷静な表情で眺める。


「一度防壁まで後退!その後陣形を組みなおせ!はじめが指揮を取れ!」

「りょ、了解!」


先ほど厳哲と話していた冒険者であり、【オリオン】でも古参のメンバーに素早く指示を出す。

それは自身が指揮をとれないという意思表示であり、敵が両が本気で挑まなければならない相手だという覚悟の現れだ。

蹂躙される冒険者たちの真横をすり抜け、両は海呑へと向かっていく。

それを阻むように立ちはだかる海獣を厳哲の大槌が殴り倒す。

砕けて降り注ぐ魚鱗が陽光を反射し、ぎらりと両の視界を染める。

そしてその奥にいる海呑と目が合った。


海呑は真っ直ぐに進んでくる両へと鼻を鳴らす。

両は海際で跳躍した。容易く海呑が立つ海獣の体を飛び越し、眼下に海呑をとらえる。

そして落下も利用して、長刀を振り下ろす。

だがその瞬間、両の視界から海獣が消えた。


「残念だったな。こいつは特別強く作ってあるんだ」


遥か真下から、嘲り混じりの海呑の声がした。

海獣はしゃがむことで両の斬撃を躱し、そして身を振るって長い尻尾を身動きの取れない両へと叩きつけた。


今日一番の轟音を立てて、両が海面に沈む。

空へと高く上がった水柱は、その攻撃の威力を物語っていた。


「両―――!!」


厳哲は思わず叫ぶ。

冒険者たちの避難の時間を稼ぐため、陸に上がった海獣の相手をしていた厳哲は、両の危機を間近で見ながらも助けることが出来なかった。


その声で海呑の視線が厳哲へと向かった。


「鳴家厳哲。【オリオン】の首脳陣で身体能力特化の冒険者だったな。自慢の馬鹿力でリーダーの仇を取りに来ないのか?」


海呑は挑発を投げかけるが、厳哲は険しい顔で海獣の相手に戻った。


(意外と冷静な奴だ。まあ、雑魚共を逃がしても後で全員殺すが)


「行け。陸に上がって全員殺して―――」


海呑の言葉が最後まで続くことは無かった。

その前に、海呑はぐらりと姿勢を崩した。


「なっ――――」


揺れる視界、そして両断された海獣の胴体と、海面を切り裂いた長刀を見て海呑は自身の油断に気づいた。


(こいつ、水中で死んだふりを!)


海呑の体は重力に引かれた海面へと落ちていく。

そしてその落下地点へ両は駆ける。全身濡れてはいるが、大きな傷は無い。

間一髪で刀で受けて衝撃を逃がしていたのだ。


落ちる海呑は何もできない。眼下で鋭い眼差しで自身を待ち受ける両を睨むだけだ。

両に遥かに有利な状況だ。だが両は、自身の本能が鳴らす警鐘に最大限に警戒を高めた。


(―――この敵は何かがある)


その予感を裏付けるように、海呑は腕を伸ばす。

するとその先から膨大な量の液体が現れた。


(【水魔法】、いや【物体収納】か!)


両は湊も持つ希少なスキルへと思い至る。

突如現れるその現象は魔法のそれではなく、最大値まで熟練度を上げた【物体収納】にのみ可能な技だ。


(【物体収納A】、箱なしでの収納物の取り出しか)


だがなぜ、という疑問が頭をよぎる。

今も海呑と膨大な量の液体は落ちてきているが、その速度は両がこれだけの思考をしても余りあるほど遅かった。

それも当然だ。この液体は、攻撃そのものではない。


海呑はその液体、海水に手を突っ込む。そして己に宿ったスキルを使用する。


「【海誕】」


液体に色がついたように両には見えた。

そしてそれは瞬く間にうねり始め、確かな実体を得て、両へと触手を振るった。


「―――っ」


両は降って来る巨体へと刀を振るう。

二度、三度、刀身が届いていない位置の肉体まで切り刻む。

その間に海呑はモンスターを踏んで両の斬撃域から逃れていた。


モンスターの肉塊が海に落ちる音と、海呑の着地音が重なる。

海呑と両はお互いに距離を取って、睨み合う。

膝の半ばまで海に浸かっており、接近戦を主体とする両の方がやや不利だとお互いに認識する。

だが両の思考は、この戦況よりも相手のスキルに向いていた。


(カイタン……【海誕】か?海水をモンスターに変えたのか)


両は自身に周囲に浮かぶ赤い体表のモンスターを見て、スキルの効果を推測した。


(触れることが発動条件。だから大量の海水を【物体収納】で持ち歩いているのかな?【物体収納】に未知のスキル、効果的に冥層のスキルの可能性もあるな。そんな戦力をどうしてここにぶつけたんだ?)


両の疑問。この戦場には、東亜連国が狙うような相手はいない。

湊への援軍を邪魔する足止めだとしても、彼女のスキルは強すぎた。これなら直接湊にぶつけた方が効果的なほどに。


(もしかして僕も狙われてるのかな……そんな様子はなかったけど。もしかすれば水竜の方にも――――)


その時、両はある可能性に思い至った。

自分の立てた作戦を嘲笑い、ひっくり返すような最悪の可能性に。


「君たちはまさか―――」

「チッ」


海呑は苛立ちをあらわにし、海中を撫でる。

それだけで海水は牙を生やした魚に変わり、足元から両を狙う。

それを器用に長刀で切り裂きながら、両は自身の考えが正しいことを半ば確信した。

だがそれを人に伝える手段が無かった。

自身は足止めされ、浜辺はモンスターで混乱している。

両は珍しく焦りを浮かべ、眼前の海呑へと刀を振るった。


□□□


次回更新日は、2024/6/22(土)の7:00です。

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