試験とフライト

ぺらりと紙をめくる音が、耳に届く。

開かれた教科書に並ぶ呪文のような文字列を機械的に暗記していく。

ぺらり。

ちらりと時計を見るが、十分しか経っていない。

勉強の進み具合は順調とは言えない。

ぺらり。

なまけようか、そんな気持ちが湧いて来る。

ほんの少し休んで集中力を取り戻したほうが効率的なのではという、甘美な誘惑が俺の心を襲う。

ぺらり。

しかし、ほんの少しの休憩で済んだためしがないのだ……!

ここで頑張らなければ、俺は一年の頭から必修を落とし、留年!

玲と同級生という未来が見えてくる。

……それも悪くないな。勉強教えてくれそうだし。

というか、現時点で俺より全然頭いいし。

ぺらり。

―――っ、いや、駄目だ!辛うじて残っている俺の年上としてのプライドが―――


「うるさいんだけど!?」


俺は椅子を回転させ、後ろを向く。

シングルベッドと勉強机が置かれた一般的な部屋。

棚には、古い漫画の中に、中学生の頃に背伸びして買った文庫本がある。

そんな何の変哲もない男子大学生の一室に、異物がいた。


まるで我が部屋だと言わんばかりの態度で、ベッドに寝転がっている。

すらりと伸びた白い足が、制服のスカートから伸びて、シーツにしわを作る。

肘をついた姿勢でページをめくるしなやかな指が止まり、バトル物の漫画の表紙の向こうから、気だるげな碧眼がちらりと向き、そして再び漫画に戻る。


「湊の方がうるさいよ。今、読書中」

「漫画は読書に入らないって、小学校で言われなかったか?」


朝の会の時に漫画持ち込んで没収される奴いたけど、こいつのことではないだろうか。


「というか、何でいるの?」


自分の部屋に女子高生がいるという非現実的な光景から目を逸らしながら、俺は問う。

ジャック・ザ・リッパーの転生体みたいな性格をしているが、見た目は今時のJKって感じだ。

おしゃれに気崩された制服は、金髪のサイドテールという華やかな髪型によく似合っており、少し冷たい印象を受ける瞳も、きめ細かい頬も、人形のように整っていた。

そんな美少女が、いつも寝ているベッドの上にいて、何も思わない男はいないだろう。


そんな俺の男心を知らず、乃愛は無防備にベッドの上で転がる。

金糸のような髪が、枕の上に広がり、煽情的に映る。

三角に立てた膝の白さから眼を逸らし、俺は答えを待つ。


「……暇だったから?」


大学から帰り、さあ、勉強をしようとなったとき、チャイムが鳴り、インターホンをのぞくと乃愛がいたのだ。

追い返すわけにもいかず、部屋にあげたらこれである。


「乃愛もテストあるだろうが……」

「湊と違って馬鹿じゃないし」


ふふっ、と楽しそうに笑い、乃愛はちらりと流し目をよこす。

絶賛苦戦中の俺は何も言い返せず、そっぽを向いた。


「今時珍しいよね。紙の漫画」

「まあ、それとかは父さんが趣味で集めてたやつだよ。読まなくなったのを俺が貰ったんだ」


狩りのことしか頭にない変人の数少ない趣味だ。

俺が子供のころから続いているシリーズだから、乃愛が今手に取っているのは十年以上前に発刊されたものだ。

表紙も日に焼け、僅かに変色もしている。


「ふーん」

「…………いつまでいるの?」

「このシリーズ読み終わって、暖かい風呂に入ってから、美味しい湊の手料理食べ終わるまで」


もう無茶苦茶である。


「いてもいいから勉強の邪魔するなよ……」


仕方ないから俺が譲歩した。

乃愛に何を言っても無駄なのだ。

俺は諦めて、机に向かった。

乃愛と話したお陰で、勉強の閉塞感は無くなったのでそれはよかった。


「というか、徹夜するぐらいなら勉強しなくてよくない?」

「勉強しないと留年するんだけど?」

「いいじゃん。私と同級生だよ?」

「よくないだろ……俺も年上のプライドとかいろいろ……同級生?」


俺は再び乃愛を見る。

ベッドに座った乃愛は、こくりと小さく頷いた。


「私も湊と同じ大学行くことにしたから……」


囁くように告げられた言葉に、俺はへえ、と素っ気ない言葉を返すことしかできなかった。

それぐらい、驚いた。


「乃愛は大学には行かないと思ってた」

「私も」


自分のことなのに他人事みたいな乃愛に、俺は小さく笑った。


「どういう心境の変化なんだ?受験勉強とか絶対嫌いだろ」


乃愛は大学に行く暇があったらダンジョンで戦うってタイプだ。

学歴とか4年間のモラトリアムとかを欲する方でもないだろう。

俺の疑問に対し、乃愛は「ん……」と迷うように息を吐き、歯切れ悪く言った。


「…………暇じゃん」

「もしかして、俺と玲が同じ大学に通うから、寂しくなった?」


そう問うた俺の顔は、きっとうざいぐらいにやけていただろう。

乃愛の白い肌に朱が差し、俺を見る目が、鋭くなる。


「…………そんなんじゃないから」

「はいはい」

「~~~~~~っっ!まあ、そんな感じだから、入試のこととか分かんないことあったら聞くから……よろしく」


そう言うと乃愛は立ち上がり、荒い手つきでスクールバッグを手に持つ。

その「私、怒ってるから」とでも言いたげな仕草に、思わず笑みが浮かんでしまう。

というか、今日はわざわざそれを言いに来たのだろうか。

変なところで律義というか、不器用というか。


だけど、乃愛が人に頼るのは珍しくて、頼られたのが嬉しかった。


「じゃあ、帰るから」

「ああ、気を付けて――――」


乃愛の後姿を見送ってから、俺は机に戻る。

乃愛も来るなら、ますます留年は出来ない。

一層集中して、俺は勉強を再開した。


□□□


その部屋は静寂に包まれていた。

息を呑む音すら横に座る人に聞かれそうだ。

正面へと視線を下げると、大きな黒板と古めかしい木の教卓が目に入る。

俺はそれを、段々に上がっていく座席の列の後ろから見ていた。


そう、試験中である。

黒板に記された試験時間はもうすぐ終わる。

俺はあくびを噛み殺す。

途中退席できる時間を過ぎてしまったので、チャイムが鳴るのを待つしかない。


クロキ開催の勉強会から数日、俺は徹夜して知識を詰め込み続けた。

その結果、何とか試験最終日を迎えられていた。

手ごたえ的に、何とか合格点には届いているはずだ。


試験時間が終わり、答案が回収される。

チャイムと共に、学生たちの喋り声が講義室に広がった。

あそこが難しかったとか、意外といけたとか、試験後の空気は高校ともあまり変わらない。


「……なあ、どうだった?」

「意外といけた」


死んだ顔をした優斗に、俺はそう言った。


「裏切り者め……」

「三徹したからな」

「冒険者ずりぃ」


俺達は馬鹿な会話をしながら講義室を出て、外へと向かう。

その途中も、優斗はがっくりと肩を落としていた。


「落ちたら来年受けたらいいだろ。必修じゃ無いんだから」

「くっ……完全に他人事じゃねえか。【オリオン】の頭いい人に教えてもらったんだっけ?ずりいなぁ」

「…………!」

「無言でどや顔すんのやめろよ!」


先ほど受けた試験が最後だったということもあり、俺たちのテンションは高かった。

それは構内にいる他の学生たちも同じだ。

どこか浮かれた様子で談笑する者もいれば、足早に帰宅している者もいた。

皆、明日からの夏季休暇に思いを馳せているのだろうか。

俺はこの後すぐに北海道に行くが。


(玲たちは午前中に飛んでるんだっけ)


確か二人は学校を休んで、すでに北海道に到着しているはずだ。

俺も早く向かわなければならない。

そう思い、正門方向へと足を進めると、人だかりができていた。


「うおっ、すげえ人の数だな。有名人でもいんのか?」


背伸びをし、人の塊の奥を見ようとする優斗の言葉に、俺は冷や汗を流す。

そういえば、前もこんなことがあった気がする。

いや、だけどもう北海道に行っているはず――――


「すげえ可愛い……!でも、何でここにいるんだろ……!」「がいるからだろ!いいなあ、俺もあんな美少女に迎えに来てほしいわ」「大学で待ち合わせとか見せつけてくるよなぁ」「俺、声かけようかな?ワンチャンあるよな?」


「優斗、俺、行ってくる」

「おう。大変だな」


苦笑する友人に見送られて、俺は輪の中に進む。


「………ねえ、やっぱり場所変えた方がよくないかしら?」

「何で?」

「目立ってるわ。変装してるのに」

「返信してこない湊が悪いよ。それに、来年から通うんだから、隠れる必要ないでしょ」


「何でいるんだよ」


そこにいたのは、予想通りの二人だった。

玲は、デニムパンツに白シャツというシンプルな服装で、顔にはいつもの変装用メガネをかけていた。だが服の上からでもわかる抜群のスタイルと美しい黒の長髪は、見る者が見ればすぐに玲だと分かるだろう。

乃愛もパーカーにホットパンツといういつもの服装で、青い血管が浮かぶぐらい白い足が、すらりと伸びている。

キャップを被り、いつものサイドテールをストレートに下ろしていた。

一応変装はしているが、鮮やかな金髪は隠せておらず、ただのオフの乃愛だ。


「あ、湊先輩」

「お疲れ」

「お疲れじゃない。北海道に行ったんじゃないのか?」

「やっぱり見てなかった。湊と一緒の便で行くことになったから迎えに行くって送ったのに」


そう言われて、スマホを開くと、確かに乃愛からのメッセージが入っていた。


「……乃愛が寝坊して、乗れなかったんです」


玲はじとりと眼鏡の奥から乃愛を見る。

だけど乃愛はどこ吹く風でそっぽを向いた。


「れいちーだって、湊先輩と一緒に行けるってはしゃいでたじゃん」

「それとこれとは話が別よ」


玲はクールな表情でそう言った。

若干恥ずかしそうに唇がぷるぷる震えているが。


「まあ、とにかく行こうか」


俺達は迎えに来てくれていた【オリオン】の車両に乗り込み、大急ぎで空港に向かった。

そしてギリギリ飛行機に乗り込み、北海道へと発った。


□□□


2時間ほどのフライトの後、俺達は空港に降り立った。

自動ドアを潜り、タクシー乗り場の前に出ると、東京よりはぬるい外気が吹き付ける。


「あんまり涼しくないんですね」

「だな。残念だ」


夏の北海道は初めての俺と玲は、苦笑を浮かべた。

だが、見慣れない景色と東京よりもゆったりとした人の流れは新鮮で、『遠征』という言葉が今になって実感できる。

こんな平穏な光景も、これから数日後に竜に破壊されるかもしれないと思うと、改めて気が引き締まった。


「これからどうするの?」

「『北海道支部』に向かって、話を聞く。その後、ホテルだな」


乃愛の質問に答える。

それを聞いた乃愛は、「ふーん」と返した。

あんまり興味無さそうですね……。

一方、玲は、神妙な面持ちで「ヒノのことですね」と小声で言った。


「ああ。本格的に作戦が始まったら、話をする暇は無いだろうからな」

「何か分かるといいんですけど」


俺達よりも先に冥層に辿り着き、スキルを編集できる超常の装置PMCC―1を作成した『テセウス・ラグドール』という謎の人物。

彼は、冥層の攻略を進めていくうえで、知らなければならない人物だ。

何の目的でPMCC―1を作ったのか、そして俺たちの敵なのかどうか。

名前以外すべて謎に包まれている彼に繋がる情報が、少しでもあればいいのだが。


「あんまり期待し過ぎない方がいいと思うけどね」

「まあ、そうだな」


冷たいぐらい冷静な乃愛の言葉に、俺は頷く。

各方面に顔が効く恋歌さんでも、まるで分からなかった人物だ。

変に期待し過ぎるのも、よくないだろう。


俺達はタクシーに乗り込み、『北海道支部』へと向かった。


□□□


次回更新日は、2024/4/21(火)です。

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