裏口少女

「勉強の前に、何か頼みませんか?」


そう言ったのは、玲だった。

注文用のタブレットを手に、小首を傾げている。


「そうだね。朝食もまだだし、丁度いい」

「俺のは適当に頼む」

「はい、任せてください」


玲は生真面目に頷いて、タブレットに触れる。


「私にも見せてくださーい!」

「重い……」

「乃愛さんも見ましょうよー!」


すいも身を乗り出して、女子三人で仲良くタブレットを見ている。


「……これ、頼めてるのかしら?」

「わわっ、急に画面が変わりましたー。……めっちゃ安く無いですかー?」


若干二名、お嬢様が混じってはいるが。

そういえば、ファミレスに行きたいと言っていたのは玲だった。

玲と行く店は大体が敷居の高い店だったし、あれは普段からも通っている店だったのかもしれない。

だとすればこういう場所は、逆に新鮮なのかもしれない。


「れいちー、これは会計のボタンだから触んないで。すいすいは頼みすぎ。ドリア5個もいらないでしょ」


タブレットを囲んで混乱が巻き起こっていたが、目覚めた乃愛もいるから大丈夫そうだ。

その後も配膳ロボットに玲とすいが興味津々だったりもしたのだが、無事に料理が来た。


「これがドリアですか?変わった味ですね」

「でも美味しいですー」


ファミレスのドリアは、2人のお嬢様の口にあったらしい。

しかし、玲がいいとこの出だと言うことは知っていたが……。


「どうしましたー?」


俺の伺うような視線に気づいたすいがきょとんと首を傾げる。


「すいもお嬢様だったんだな……」


そう言うと、すいはにんまりと頬を緩める。


「ふっふー!そうなんです!意外でしょー?」

「まあ、そうだけど……」

「自分で言うのはやめなさい……」


玲は後輩の言動に呆れたように首を振った。

よく考えれば、一般人お断りみたいなエリート校に通っているし、不思議では無いか。

ただ、普段の言動にお淑やかさが全く無いので気づけなかっただけだ。

すいがお嬢様だとすれば、疑問が一つ湧く。


「すいは裏口入学か?」

「違いますよー。雑談みたいなノリでとんでも無いこと言わないでくれますー?」

「彼女の学歴については、【オリオン】内でも大いに不思議に思われてるよ」

「……だよな」

「勉強めっちゃ頑張ったんですー」


「そういえば、すいはどこのパーティーにも入らないのか?」


話題は変わるが、俺は前々から気になっていたことを尋ねる。

フライドポテトを摘んでいたすいは、ふりふりとポテトを振りながら考え込む。

……あ、お行儀悪いって玲に怒られた。


「……そうですねー、私は色々転々としてますからねー、それで特に困ってませんしー」

「す、すいさんはこの前も、ボクたちの探索を助けてくれました」

「へえ、てことは冥層行ったのか」


兵馬たちのパーティーは確か、51階層を主軸に探索していたはずだ。

俺の質問には、そのパーティーのリーダーが答えた。


「すいには随分助けられたよ。どんな状況でも冷静で、なんでもできる。できれば、このまま僕たちのパーティーに入って欲しいぐらいだ」

「えー?照れますねー」


クロキからの高評価に、すいは喜びの表情を隠そうともしない。


「私、意外と優秀なんですよー!」

「分かったから、こっち見るな……」

「勉強以外はなんでもできる子ですから。ほら、食べ終わったなら教科書出して。乃愛もね」

「めんどくさい……」

「うぅー、一緒に頑張りましょうね?」


すいの影に隠れて、意外と成績の悪い乃愛も嫌々勉強を始めた。

2人の面倒を見るのは、学年首位の玲だ。

相変わらず、何でもできる超人であった。


「湊、兵馬、君たちも始めるぞ。2人とも、数学が絶望的のようだからね。そこからだ」

「……は、はい!」

「頼む」


俺達男子組を監督するのはクロキ。

大学は中退らしいが、法学部に冒険者業の傍らに通っていたエリートだ。

俺とは学部は違うが、俺が詰まっているのは高校の範囲の数学だ。

正直、受験の時は捨ててた。まさか入学後にいるとは……!


「兵馬も数学苦手なのか」

「ま、まあ、数学というより……」


兵馬は前髪の奥でふいっ、と視線を逸らした。

どこか気まずそうだ。


「お前もすいと同じか……」

「興味ないこと覚えられなくて……」

「あー」


めっちゃ気持ちが分かる。

俺もモンスターの生態とかダンジョンの道とかは一瞬で覚えられるけど、数式なんて一個も入ってこない。


「そんなことでどうするんだい?勉強をしなければ、この人生を捨てたダンジョン狂いのようになるよ?いいのか、一生地底でテント暮らしで」

「おい」


いいだろ、ダンジョンテント暮らし。

割と真剣に俺の人生設計の上位にあったんだぞ、地底暮らし。


「それは……いやです………!」

「嫌かぁ……」


兵馬は気迫のこもった様子で、テキストに取り掛かった。

兵馬なら、冒険者として一生生きて行けるだろうから、別に進学できなくてもよさそうだけど……将来の選択肢を残すって意味でクロキは兵馬を誘導したのだろう。


じゃあ、俺も頑張るか。

それから俺達は、玲とクロキの監督の元、勉強に励んだ。

2時間ほど勉強に集中していた。

それだけの間、ファミレスに居座るのはどうなのだろうかと途中で思ったが、杞憂だった。


俺は視線を教科書から上げる。

俺から見て、斜め前方に玲はいる。

俺の視線に気づくと、小さく瞬きをして、「何ですか?」と言いたげに小首をかしげる。

その拍子に、フォークに刺したチキンを齧るのも忘れない。

俺はもぐもぐと口を動かす玲に何でもないと小さく首を振って伝える。

……玲が一人でずっとめっちゃ食ってるのだ。

さっきから時報のように一定間隔で配膳ロボットが料理の到着をお知らせしてくる。

これだけ頼めば、店に損はさせてないだろう。


「んにゃあーーー!疲れましたー!」


すいが、がばりと体を起こして、赤いボブカットを振り乱しながら音を上げる。

ぺいっ、とシャーペンを机に放り捨て、すごい勢いでドリンクを飲み干す。


「ぷはー、もういいですよねー?二時間ですよ?私至上最長の勉強時間ですー」


短っ!

こいつ、本当に裏口じゃないのか?


「すい、全然進んでないわ。どうするの?テスト三日後よ?」

「もういいじゃないですかー、パパにお金積んでもらいますからー」

「やっぱ裏口じゃん!」

「どうでしょう♪」


ウインクと完璧な作り笑顔で誤魔化された。真実は闇の中だ。


「まったく……」

「いいじゃないですかー。玲さんも意味ありげに湊さんとアイコンタクトしてたでしょー?いちゃついてた人たちに言われたくないですー」

「いちゃっ―――ついて、ない、ですよね?」

「う、うん。ソダネ」


不安げに上目遣いでこちらを見てくる玲。

大きな黒曜石のような瞳が庇護欲を煽るように揺れ、長い黒髪が朱に染まる頬を隠している。

……俺も不安になって来た。


「……ボクも疲れました。で、でも、とりあえず範囲は終わりました」

「お疲れ」

「み、湊さんは?」

「俺?俺は1億ぐらい積もうかなって」

「え?」


数学は何とか頭に入れたが、問題はそれ以外だ。

大学の試験というのは、意外と暗記と暗記した知識を使った論述問題が多い。

つまり、ちょっとやそっと勉強したぐらいではどうにもならないのだ。


「優斗が手にれるはずの過去問次第……駄目なら、1、いや、2億ぐらいは出せる……!」


この前の探索の収集品も換金していないので、あまり貯金に余裕はないが、仕方がないだろう。


「馬鹿な事言ってないで、これから試験まで寝ずに頑張ったらどうだい?冒険者なら数日の徹夜ぐらい大丈夫だろう?」

「それしかないかぁ……」


裏金のすい、何とかなった兵馬、徹夜確定の俺、そして……。


「乃愛は?どんな感じ?」

「んー、多分大丈夫」


あっけらかんと乃愛はそう言った。


「乃愛は地頭がいいので」

「知ってる……」


『迷宮語』を読めるぐらいだ。

乃愛も何とかなりそうだった。

全員―――手遅れの一名を除く―――試験を乗り切る目途が立ったので、俺たちの空気も弛緩する。


「そういえば、兵馬君と湊先輩が揃っているのはレアですね。赤崎はどこにでもいますけど」

「一言余計だろう……」


玲の言葉に、俺と兵馬は顔を見合わせる。

俺達の体感では久しぶりという感じは無いのだが。


「僕たち同期組はよく集まって訓練をしているからね。僕はあまり新鮮には思わないな」

「へえー、そんなことしてたんだ。私も今度行っていい?」


乃愛がそう言うと、クロキは引き攣った顔で頷いた。


「あ、ああ。あくまで訓練だけどね」

「え、分かってるけど」


念押しするようなクロキに不思議そうな視線を注ぐ乃愛。

その碧眼は純粋な疑問に染まっていた。

どうやら乃愛には、入団試験でクロキを切り刻んだことは覚えてないらしい。

あの時の乃愛はハイになってて怖かったし、その殺意を向けられたクロキの恐怖は未だ消えてないらしい。


「同期と言えば、雪奈さんは今日は?」


玲は不思議そうに問うが……。


「勉強会に雪奈?」

「……すみません、愚問でした」


誘うという選択肢すらなかった。

あまり接する機会のない玲は知らないだろうが、彼女はすいよりやばいのだ。


「雪奈ちゃんは今日は瀬戸内海に塩を取りに行くって言ってました……」

「へえ、瀬戸内海……瀬戸内海?」


何で、と問おうとしたがやめた。

そういうものなのだ、妃織雪奈という少女は。


「そういえば、雪奈とクロキぐらいなんだよな。俺の周りで『遠征』行くの」

「まあ、そうだね。学生組はメンバーから外れているからね」

「ボ、ボクは行くことにしました」

「無理はしなくていいと言ったんだけどね……」

「駄目ですよ、索敵が不安です……」

「ふっ、だから今日は勉強会を開いたんだ。僕のせいで兵馬の成績が落ちるのは嫌だったからね」


ということは、クロキパーティーは全員北海道行きか。

確か、今週末には北海道に飛ぶはずだった。

となれば、兵馬はテスト後にすぐに向かうことになるだろう。


「『竜』の相手をするんだろ?テレビで見たことはあったけど、実際どんな感じなんだ?」


俺達の注目は、対面に座る女性陣に向く。

玲、乃愛、すい、三人とも【オリオン】でも上位の実力者たちだ。

だが、玲とすいは微妙な顔をする。


「……参加したこと無いんですよね」

「ですねー。年によって参加する人数が変わって来るんですけど、よっぽどのことが無い限り、学生組は外れるんですよねー」

「私はあるけど」


『遠征』経験があるのは乃愛だけらしい。


「結構やばいのか?」

「別にそんなこと無いよ?両ち達もいるし、竜も数体ぐらいだから。【オリオン】から死者が出たことは無かったんじゃない?」


その言葉は聞き、兵馬はほっと息をはく。

やはり、不安だったらしい。

その気持ちはよくわかる。

相手は『竜』だ。

モンスターの中の最強種。

桁外れの強度の肉体を持ち、種族に寄って千差万別の『ブレス』を持つ怪物。

ダンジョン発生後からずっと、人類にとっての『厄災』の象徴だ。


「両さんも言ってたけど、『竜』も【竜の躯】から逃げてきた弱い奴らしいし、油断しなければ大丈夫なんじゃないか?」


かつてロシアと呼ばれた大国を滅ぼした数十年前に突如発生したダンジョン、【竜の躯】。

竜種しか湧かないそのダンジョンにより、ロシアは国家体制を維持できなくなり、今は【極海戦域】と呼ばれる『戦場』だけが残っている。

人間と竜が日常的に殺し合う人外魔境となっているらしいが、『外』に情報が漏れることはほとんどない一種の秘境だ。

今回の相手は、その地での生存競争に敗れた個体だということを、以前の会議の時に両さんは口にしていた。


「……その話も疑わしいけどね」


クロキは訝しむように言葉を漏らす。


「どういう意味だ?」

「だってそうだろう?その話通りなら、たった数体の弱個体のために日本は自衛隊を動かし、【迷宮管理局】は東京から【オリオン】という最大戦力を派遣するんだ。そんなモンスターが『弱い』とされるなんて、【極海戦域】はどんな地獄なのかな?常識的に考えれば、あり得ないだろう」


…………クロキの言わんとすることは分かる。

【竜の躯】は今も、【極海戦域】により、抑え込まれている。

未だ地上には竜がはびこっているらしいが、その勢力拡大は阻止している状況、らしい。

つまり、【極海戦域】は、日本が緊急体制を取り、抗うモンスターよりも遥かに強いモンスターと日常的に戦っているということになる。


「まあ、それもあり得そうだけどな……」


こくりと皆が小さく首肯した。

正直、【極海戦域】については何も知らない。

人と竜が争う戦場、というのが一般的に言われていることだが、【極海戦域】の人間を見たことはない。

あくまで、だと伝わっているだけだ。

あの地がどうなっているのか、それは分からない。

だから、あり得そう。あり得ないとも言えないから。


俺達が【極海戦域】について話しているとき、俺の懐でスマホが震えた。

着信だ。

俺は皆に断りを入れてから席を立ち、店の外まで向かう。

着信が始まってからかなりの時間が経ってしまったが、今もコール音はやまない。

画面を見ると、恋歌さんと表示されていた。


(どうしたんだろう?)


俺は応答のボタンを押した。


「はい、白木です。恋歌さん?」

『出るの遅いわよ。ワンコールで出なさい』

「そういうのパワハラですよ」

『そういうのいいから。緊急事態よ』


いつもなら付き合ってくれる冗談を無情に切り捨てられた。

恋歌さんの声には、緊迫感が宿っている。

どうやら、本当の緊急事態のようだ。


『本題から言うわよ。湊、アンタも北海道に行くことになったわ』

「…………はあ!?」


遠征一週間前、俺は突如そんなことを言われた。

いや、試験があるんですけど……。

そんな俺の悲痛な叫びは、陽炎に揺らぐアスファルトに溶けて消えた。


□□□


すみません、前回、次回更新日を記載してませんでした。

次回更新日は5/17(金)です。

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