勉強会

7月も終わりが近づいてきた。

つけっぱなしのテレビに映る気象図は、真っ赤に染まり、猛暑日を告げていた。

暑いのは苦手だ。

だけど今日は予定がある。俺は私服に着替えてから、テレビを消した。


家を出ると、むわりと包み込むような熱気に、早くも汗が滲む。

日差しを避けるように早足で駅へと向かった。

冷房の効いた駅構内に入ると、電光掲示板の時刻表は、俺が乗るモノレールの到着を告げていた。

急いでホームに向かい、ギリギリ乗り込み、ほっと息を吐く。そのタイミングで、モノレールは走り出した。


揺れ動く軽い振動を感じながら、座れる席を探していると、見知った少女を見つけた。

袖なしのシャツにスカートという装いで、5人掛けのシートの端に座っていた。

何やら手帳サイズの書物を覗き込み、険しい顔をしている。

その横顔は、幼げだが整っており、さらりと流れる赤いボブカットが可愛らしさを引き立てていた。


【オリオン】の同僚、日向すいである。

そういえば、でこの路線を使っているのは、俺とすいぐらいかもしれない。

声をかけよう、そう思い、踏み出した足は一歩で止まる。

……そういえば、すいにはダンジョンカルトの騒ぎの時に揶揄からかわれたことがあった。

むくむくといたずら心が湧いて来る。

俺はそっと【隠密】を使った。

そしてすいの座るシートの前まで行ってから、【隠密】を解いた。


「――――にゃひゃいっ!?」


突如間近に現れた俺にビビったすいの手元から、英単語帳が飛ぶ。

それをキャッチしてから、俺はにこやかに微笑む。


「おはよう、すい。いい朝だな」

「……び、びっくりした、湊さんか……」


すいはちらりと視線を逸らし、誤魔化すようにさらさらの髪を手で解かす。

にゃひゃいっ!?がかなり恥ずかしかったようだ。

俺はすいの隣に腰を下ろすと、単語帳を渡す。


「あ、ありがとうございます。……【隠密】使ってました?」

「いや?集中して気づけなかったんじゃないか?」

「そう、かなぁ?」


うんうんとしばらく唸っていたが、まあいっかといつもの晴れやかな笑顔を浮かべた。

意外と騙されやすい子である。


「ちゃんと勉強してるんだな」

「あったりまえじゃないですかー。赤点取ったら留年ですよ?」

「そんな崖っぷちだったんだ……」

「やんなっちゃいますよー。この前テスト受けたのに、もう期末テストですよー?湊さんは勉強どうなんですかー?」

「俺もあんまり、だな」


2人して暗い顔でため息をつく。

そう、俺たちの悩みの種は『試験』である。

学生たるもの、高校生だろうが大学生だろうが夏休み前に立ちはだかる障害だ。


俺も今回のテストはかなりやばい。

一応、言い訳をさせてもらえば、出席状況は悪くはないのだ。

大学生にありがちな友達と遊びまくって出席しないという現象も、遊べる友人が優斗ぐらいしかいない俺には無縁だったし、何ならダンジョンに教材を持って行って課題とかもしていた。

雨のログハウスでの勉強はとてもはかどった。


だがそれは、4月末までの話だ。

玲との出会いから【オリオン】の加入、そして現在までの騒動の数々の中、俺の出席状況は非常に悪い。

また、課題もほとんど出せておらず、この試験の点数が、俺が単位が取れるかどうかの分水嶺なのだ。


「ちなみにすいはどの教科がやばいんだ?」

「えっとですねー、英数国生物日本史にノータッチですー」

「…………年下と仲良くするコツとか一緒に考えるか?」

「まだ留年って決まってませんからー!」


そうは言うが、すいの瞳は不安げに揺れていた。

……崖っぷちというより、半ばまで落ちているが、可愛い同僚のためだ。

俺も一応大学生だし、今日のでは手助けしよう。


「湊さんはー?やばいのありますー?」

「まあ、やばそうなのは二個、三個、四個、五個――――」

「全部でしょー?」


お揃いっ!とでも言いたげに見詰めてくるすいから視線を逸らす。


「お互い、今日の勉強会は頑張りましょうねー」

「そうだなー」


【オリオン】には学生のメンバーが多い。

というか主に俺の周りなんだが、冒険者業と学業の両立は難しく、大体が留年崖っぷちだ。

そのため、テスト前になれば、クラン内で勉強を教え合う光景も珍しくはない。

例にもれず、俺達も勉強会を開くことにしたのだ。


駅を降り、俺達は目的地へと向かう。

その道中の俺とすいの会話は、冒険者らしいものだった。


「そういえば、52階層到達おめでとうございますー」

「ありがとう。まだ入り口だけどな」

「どんな感じでしたー?」

「あー、でっかい木の枝と、あとは晴れてたな」

「へー。何か色々忙しそうでしたけどー?」


そう言われ、俺はどきりと心臓を跳ねさせる。

俺達は数日前、52階層に到達した。

この反響は大きかった。


SNSでは数日経った今もお祭り騒ぎだし、【オリオン】の同僚たちも祝福してくれた。

道を歩いていても、同じ冒険者らしき人に好意的な声をかけられることも増えたし、自分たちのしたことの影響力というものを実感している。


だが、面倒ごとも多かった。

まず、51階層にあった『建物』のこと。

これに関しては正式に国の研究機関が調査に乗り出すと発表し、当然、その地に唯一行ける俺たちも駆り出されることが半強制的に決まった。

所詮冒険者は、【迷宮管理局】という国の一機関に属する存在だ。

不条理な命令ならともかく、正当な理由の依頼を断ることはできない。


そして、ヒノのことだ。

恋歌さんに見せた時はあんぐりと口を開けていたし、その後は険しい顔で誰にも言うなと念押しされた。

今は恋歌さんの伝手で、信頼できる研究者を探しているところだ。

北海道への遠征後になるだろうが、PMCC―1のスキル編集機能の再現に挑むらしい。

当のヒノは、クラン内の恋歌さんのプライベートルームの一室に置かれている。

意外と恋歌さんとは仲良くやっているそうだ。


また、52階層の探索に向けた物資や装備の準備も進めなければならない。

50階層のセーフティーエリアからすぐに行けた51階層とは違い、52階層には51階層を越えて行かなければならない。

俺の【物体収納】があっても、物資に余裕は無くなるだろう。


こういった三つの難題が重なり、俺達は帰還後も忙しく動いていた。


「まあ、次の探索のこととかな」

「へぇー」


適当に誤魔化すが、すいもあまり興味はないのか、すぐに話題は変わった。

そうしているうちに、俺達は目的地のファミレスに辿り着いた。

からんころんと音を立てる扉を開き、中に入る。

店内は完全に自動化されており、受付用のロボットに聞くと、待ち合わせの相手はすでに中にいるらしい。


車輪を回しながら席へと案内するロボットの後を追うと、店内でひときわ華やかな席に辿り着く。

彼らが俺たちの待ち合わせ相手だ。

6人掛けの席の奥からは、玲と乃愛が座っており、手前側にはこの勉強会の発起人であるクロキと彼のパーティーメンバーで俺と同期の影谷兵馬かげやひょうまがいた。


「お待たせですー」

「悪い、俺らが最後か」

「いいや、時間通りだ」


すいは乃愛の隣に座り、俺は兵馬の隣に腰掛けた。


「ど、ども。お久しぶりです」

「久しぶり」


兵馬は、ぺこりと小さくお辞儀をした。

同期だというのに、かしこまったその姿に、俺は苦笑しながらも返事を返す。

兵馬は高校2年生、すいと同学年だったはずだ。

小柄な少年で、長い前髪から覗く瞳は、俺とは一度も視線が合わない。


「おはようございます、湊先輩。すいと一緒ということは、モノレールですか?」

「ああ。玲は、乃愛を起こしてきたんだっけ?」


確か昨日、チャットで乃愛を起こしてから来ると言っていた。


「はい。乃愛ってば、私が家に行ったとき、まだ寝てたんですよ?」

「だろうな」


眠そうにこくりと舟をこいで返事をする乃愛は、自力で起きてここまで来た奴の顔じゃない。

まだ半分夢の中だ。


「湊は免許持ってないのかい?」

「持ってないな。東京に住んでたら、要らないだろ?」


高3の時、免許を取ろうと思ったこともあるが、金が無かったのでやめたのだ。

あの時は冒険者の稼ぎは全て装備の維持代と消耗品に消えていた。

今は金はあるが、免許を取る時間が無いので、俺が自分で車を運転する日は来ないだろう。


「そもそもタクシーで来たらいいじゃないですか」


玲は呆れたようにそう言った。


「いやあ、なんかもったいない気がして……」


タクシーを普段使いできるぐらいの稼ぎはあるが、生まれ持った貧乏性はそう簡単には消えないのだ。


「テントには何億も出したのに……」

「……億!?」


玲の呟きに、兵馬は驚愕の眼差しで俺を見てくる。


「まあ、あのテントの性能なら、それぐらいはするか」


クロキは納得しながらも、呆れの視線を注ぐ。


「湊先輩は金の使い方が極端すぎるんですよ」

「いいだろ?半分趣味みたいなもんだし」


自分だけのテントというのは、男の子は密かに憧れるものだろう。

実は俺も51階層に入ったばかりの時に、貯金を崩してテントを買って、持ち込んだことがあった。

まあ、一瞬で溶けて消えたが。


これからはダンジョン内で泊ることも多くなるだろうし、今後もより良いダンジョンキャンプのために様々な道具を作っていくつもりだ。

それを言えば、玲にお金の管理がどうこうと小言を言われそうなので、口にはしないが。


「それより、勉強しよう。すいの留年の危機なんだから」

「そうですねー、湊さんの落単の危機ですからー」


こうして、馬鹿二人を抱えた勉強会が始まった。

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