冥月の会

『建物』の存在が明らかになってから、1週間後、世論は真っ二つに分かれていた。

『建物』は実在するという派閥と、デマだという派閥だ。

連日ネットでは熱い議論が交わされ、テレビのコメンテーターや学者の間でも、意見が分かれるところだった。

中には、だと厳しく非難する意見もある。


それはある程度予想していたことだった。

『建物』の存在を示す証拠は、俺の配信を切り抜いた荒い画像と、玲が撮ったスマホの写真だけ。

加工しようと思えば、できる。

俺たちにそんなことをする動機が無いという点を除けばだが。


だが、世間に共通するのは、1世紀の間、『正体不明』であったダンジョンの正体が判明するので無いかという高揚だ。

『建物』実在派も懐疑派とも、俺たちの次の配信を今か今かと待っている。

だが俺たちはあれから、ダンジョンに潜れずにいた。


大学構内、裏口付近の雑木林の側に俺はいた。

深く帽子を被り、マスクを付けており、一目で俺と分かる者は少ないだろう。

俺は普段、ここまでの変装はしないのだが、ここ数日はそうも言ってられない。


裏門は道が細く、路地裏に出るため、使う者は少ない。

そんな裏門から二人の男女が小走りで駆け寄って来る。

ガタイのいい体育会系の青年と亜麻色の髪をセミロングに揃えたおしゃれな女子だ。

俺の友人、山田優斗と班目美音だ。


「裏門は人は少ないよ。でも、怪しい人が何人かいたかな」

「急いだほうがいいぜ。正門は人がいっぱいで、そのうちこっちも人が流れ込んでくるかもしれねえ」


二人は険しい顔でそう言った。

俺のスキルでは、人がいることは分かっても、その人物の所属までは分からない。

だから二人には、裏門の様子を見てきてもらったのだ。

最近大学に来れていない俺よりも、2人の方が大学近辺の人物には詳しい。

見慣れない人がいれば、敏感に気付ける。


「ありがとう、二人とも。俺は今のうちに行くから、気をつけて帰ってくれ」

「おう……にしても迷惑だよな。デモなんて」


優斗は、正門の方角を睨みながら、そう言った。


『デモ』、それがここ数日、俺の頭を悩ませている。

俺たちの配信後、東京都内を中心に、所要な交通施設や一部の学校施設の前で、デモが始まった。

その内容は、一言で言えば、「ダンジョンの保護」というものだった。


過激なダンジョン宗教の抗議、それが俺たちの想像していた以上の規模で起こったのだ。


今も正門の方向から薄らと、「ダンジョンを封鎖しろ」「聖地に静寂を」「神の安息を乱すな」と言った声が聞こえる。

冒険者の聴覚がとらえるそれらの声は、ほぼ名指しのようなものだ。

実際、この大学はデモの規模が東京駅や都庁前などと遜色ないほど大きい。

どこからか俺がこの大学に通っているという情報が漏れたようだ。


(行ったことないくせに『聖地』もクソも無いだろうに)


つい数日前まで存在すらしなかった建物を聖地と呼ぶ彼らには、呆れが勝つが、面倒なのは彼らの中にスキル持ちがかなりの数紛れていることだ。


「俺は【隠密】使って抜けるから」

「おう、じゃあって消えた!?」

「うわぁ、スキルってこんな感じなんだ」


驚く二人を尻目に、俺は裏門を潜る。

確かに、妙に魔素を吸った人間が何人か裏門を張っている。

俺は彼らの前を通り抜けるが、彼らは気づく様子はない。


(警戒し過ぎたか)


俺はそのまま、家とは違う方向へと向かっていく。

行き先は、玲の通っている高校だ。

俺が見えていない歩行者を避けながら、夕方の人通りの多い通りを抜けていく。

モノレールの駅前に辿り着いたとき、俺は妙な視線を感じた。


「白木湊君」


俺は話しかけられた。


「――――っ!?」


俺は背後を振り返る。

そこには、一人の男がいた。

見たことのない男だった。

日本人らしい黒髪に、凡庸な顔立ち。

恐らく、30代ほどだと思うが、目元に浮かんだ優し気な笑みが、年齢以上の落ち着きを感じさせる。


急に立ち止まり、独り言を始めた男に周囲の歩行者は怪訝な目を向けるが、彼は気にした様子はない。


(こいつ、【隠密】が――――)


「僕も、【探知】をAまで上げているんだ」


彼は俺の動揺を見透かしたように、そう言った。


「………なにか御用ですか?」


このタイミングで話しかけてくる人間。

警戒心から、硬い声音で問い返す俺に、男は小さく頷いた。


「うん、少し話がしたくて。僕は十草日々徒とぐさひびと。怪しい名前だけど、本名だよ」


不思議な男だった。

まるで彼の周りの時間の流れだけ、穏やかになったような、そんな浮世離れした印象が言葉を発する度に強くなる。

十草日々徒。確かに、本名とは思えない名前だが、彼にはよく似合う。

だが、やはり知らない名前だった。


「………悪いけど、知らない名前ですね」

「………………そっか、そうだよねぇ。最近ちょっと有名になって来たんだけど、もっと布教を頑張らないといけないよね」


男、十草は苦笑するように眉尻を下げる。

俺は彼の言葉の中の単語が気になった。


「布教?」

「うん。僕は【冥月の会】の教主をしているんだ。いわゆる『ダンジョンカルト』ってやつだね」


あっけらかんと、十草は、とんでもないことを言った。

ダンジョンカルト、いわゆるダンジョンを神や聖地と崇める奴らのことであり、俺の大学前で騒音を垂れ流している奴らの首魁だということだ。


「………朝からデモご苦労様です」

「うわぁ、すごい皮肉……言い訳させてもらうなら、僕はこんな騒々しい真似、反対だったんだよ?でも僕の補佐が、「世間の注目が集まっている今が、我々の主張を世間に広めるチャンスです」って言うからさ」


だから丸め込まれちゃった、と十草は笑う。

だが俺はカルト野郎の話に長々と付き合う気は無かった。


「それで用件は?『聖地』に入るなって話ですか?」

「………うん、それも話の一つだね」


悪びれることも無く、十草はあっさりと認めた。


「つい1週間前に見つけた『建物』を聖地とは。カルトってのは見境が無いんですね」

「ちょっと君は勘違いをしているね。僕の言う『聖地』はあの建物だけじゃない。ダンジョンの全ての場所が、人とモンスターが神の意思の元、昇華に挑む『聖地』であり、儀礼場なんだ。だから不純な人間は入るべきではないと思っている」

「………意味が分からない」

「分かるはずさ。君ほどダンジョンに向き合った人間はいない。僕は感じるよ、君のダンジョンへと尊敬と畏怖を。だからこそ、君も無知で敬意に欠けたものが、ダンジョンを踏み荒らすことへの憤りを感じるはずだ」


数瞬の間が空く。

俺なりに彼の言葉を咀嚼し、考えてみたが――――


「いや、まったく感じないです。じゃあ、俺は用事があるんで」

「………え?」


驚いた表情を見せる十草の顔を見て、留飲を下げた俺は、軽く手を挙げ、ダッシュで逃げた。

【隠密】を使っていなければ咎められるほどの速度で、人混みを逆走していく。

そうしなければ、約束に遅れてしまう。

にしても、あいつの言葉……まるで意味が分からなかったな。

これだからカルトは……。

やっぱり今後も近づかないようにしようと決意を固めるが、十草日々徒という名前は強く記憶に残った。


□□□


「行っちゃった……」


十草は、風のように駆けていく湊の背を見て、振られたと気づく。

ぽかんとしたその表情は、年齢よりも幼く見える。


「こんな所におられたのですか……!?」

「探しましたよ」


歩道で佇む彼の側へ、2人の男がやって来る。

白い狩衣のような服装は、【冥月の会】の教徒の証であり、2人は十草の護衛だ。


「ごめんね、正人君から彼を見つけたって聞いて、居ても立っても居られなくて」

「………ご自愛ください、貴方に何かあれば我々は」

「大丈夫さ。僕なんていなくても、教義のまま生きればいい。それよりも、あの件だけど受けようか」


十草の護衛であり、側近でもある2人は、すぐに十草が言っている『あの件』が何を指すのかに気づき、驚愕を浮かべる。


「あのような怪しい話……断ると」

「とても信用などできません、奴らはダンジョンを貶める政府の手先ですぞ!?」

「だからこそさ。彼に近づくいい機会になるよ」


十草は、護衛2人の言葉を聞き流しながら、湊とは正反対の方向へと向かう。

会えてよかったと、この邂逅に満足感を抱く。

おかげで、十草の意思は決まった。

夏の夕日に目を細める彼は、確かに笑っていた。


□□□


ぎりぎりモノレールの時間に間に合った俺は、目的の駅で降りる。

そして向かった先は、高級住宅地と隣接する通りに立つ大きな高校だ。

歴史を感じさせる白亜の校舎は、青々と茂った校庭の木々の奥に並んでいる。


俺の通っていた公立高校の倍ぐらいはありそうな敷地面積に、部活棟、テニスコートやサッカー場などを併せ持つこの高校は、文武両道で知られる名門校であり、玲が通う高校だ。

俺は放課後、玲の下校時間に間に合ったことに、ほっと胸を撫で下ろす。


モノレールに乗るときに【隠密】は解いており、帽子にマスクという不審者スタイルの俺を、下校していく少年少女たちが胡乱な視線で見てくる。

俺はさらに怪しまれると分かっているが、深く帽子をかぶり、足早に校舎に近づく。


どうして俺が玲の学校に来ているか。

それは俺が、女子高校生をストーカーする趣味に目覚めたわけではない。

理由は、あれだ。


「「「冒険者を撤廃せよ!ダンジョンを荒らすな」」」


声をそろえ、叫ぶ彼らは、大学の前に来ていた連中と同じ集団、つまりカルトだ。

警備員や警察に押し留められながらも、声を絶やさない彼らの視線には、ゾッとするような狂気が宿っている。


彼らの言う『聖地』を踏み荒らした俺の大学にデモ隊が来るなら、当然玲の学校にも行く。

だが玲は俺と違い、【隠密】が無く、信者たちを避ける術がない。

だから俺が迎えに来て、一緒に帰るというのが最近の日課になっていた。


(昨日より人増えてんな……【隠密】でどっかから入るか)


下校する生徒たちとカルトと警察でごった返す正門を見て、俺はうんざりする。

だがその時、校舎の窓からこっちを見る視線に気づく。

俺が気づいたことに気づいた彼女は、ぶんぶんと元気な笑顔と共に手を振るう。

赤い髪を肩で切りそろえた小柄な少女だ。


「すい……何してんだよ」


俺にとっては【オリオン】の年下の先輩であり、玲にとっては学校の後輩というややこしい少女が俺を呼ぶ。

俺は【隠密】を発動させ、適当な門を飛び越えて中に入る。

完全に不法侵入だが、玲のためだ。許してほしい。


すいが手を振っていた辺りに来ると、真上から二つの人影が降りてくる。

彼女たちは冒険者の身体能力を活かし、音も無く地面に着地した。

……庭木があるから外からは見えづらいとはいえ、大胆な。


「お迎えご苦労様です、湊さん!」

「すみません、わざわざ来てもらって」


胸を張る小柄な美少女と、申し訳なさそうなスタイル抜群の美女という対照的な二人と俺は合流した。


「じゃあ、行くか」


俺は二人に手を差し出す。

すいも拾ったのは、行き先が同じだから。

【オリオン】の事務所に向かい、『信仰』という厄介な相手への対処を考えなければならない。

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