部屋

『建物』へと歩を進める。

一歩、また一歩と近づく度、建物は視界を占拠し、のしかかるような威圧感を与えて来る。

人のような巨大なナニカが描かれたレリーフと目が合い、俺はぶるりと背を振るわせる。


まるで自分が背徳的な行為をしているような気まずさ。

ここは自分がいていい場所ではないのだと、この場所の厳粛で静黙とした雰囲気が訴えてくる。


首が痛くなるほど見上げてようやく、屋根が目に入る。

とても人間用とは思えない巨大な階段を前に、俺たちは入口を見据える。


「モンスターは、見える範囲にはいないな」


石造りの通路の奥は暗く、一瞬だけ発動させた【探知】でも、モンスターの気配は捉えられなかった。

そして同時に知ったのは、この建物の広さである。


横に広いのはもちろんのこと、この建物は地下へと繋がっていた。

地下の先は、俺の【探知】の範囲外。

行ってみるまで、分からないだろう。


内部を探索するにしても、帰路を探すにしても、俺の【探知】は必須だが、魔力が尽きている。


「どこかでテントを使いましょう」


玲も、俺の魔力を補充することを提案する。


『テント』を使えば、魔力は補充できる。

だが問題はどこでテントを開くかという点だ。

魔力補充目的でテントを使うなら、【隠密】で隠れることは出来ない。


「ここで開くのはどうですか?モンスターはこの建物には寄って来ませんし、この場所は安全なのでは?」

「モンスターが寄ってこない理由が分からないのが怖いな。例えばだけど、中に何かがいて、そいつを恐れて寄ってこないんだとしたら?」


この場所は今、安全だ。

だが安全な理由次第では、51階層で最も危険な場所になる。

無理をしてでも、内部の調査はしておきたい。


「モンスターがいるなら…………その数と警戒範囲は知っておきたいし、いないなら中で休むのもありだ」


どの道、すぐには帰れない。

俺は、遮る物のないまっさらな平原を見渡す。

今も降り続ける雨により、視界は悪いが、それでもいたるところにモンスターの姿が見て取れる。

【天への大穴】がある北部方向には、先ほど俺達を追いかけまわした鱗のモンスターが、群れを成していた。どうやら、本来は群体のモンスターだったらしい。

仲良く天を突くほど巨大な草食獣を狩っている。


吹き付ける風に気温、雨足から考えれば、夜になるにつれて雨も風もひどくなる。

夜闇に豪雨という組み合わせは、俺たちから一寸先の視界すら奪い去るだろう。

この場で一泊することも考えなければならない。


―――内部の探索。

その意識を統一した俺たちは、改めて『建物』の中へと繋がる暗い通路を見る。

通路の幅は五メートルを超え、高さも同程度。


「何かの施設でしょうか」

「神殿、みたいに見えるけどな。人は住んでなさそうだけど」


巨大な階段の存在もあり、人間が建てたという可能性は低いだろう。


「………冥層で建物を見るのは二回目です」

「こんな立派な建物と比べられてもな……」


俺達は顔を見合わせ、笑った。

丁度よく、緊張もほぐれた。

俺は片手に【刺子雀シシスズメ】、片手に冥層の鉱石でアップグレードした【頑鉱の鉈〈改〉】を持ち、通路に踏み込む。


外観通りの石の床が、靴とこすれてかつりと鳴る。

床にはうっすらと土ぼこりが積もっており、生物が通った様子はない。

また、モンスターが歩いた際にできる爪でひっかいた傷のようなものも無かった。


(獣臭も無い。中は空か?)


まだ分からない。

背後は玲が守ってくれている。俺は前方にだけ注意を払う。

しばらく、二つの足音が反響する音だけが通路に響く。

外の雨もあり、湿気が高く、それでいて冷えた石の通路からは、生物の気配を感じない。

そうして巨大な通路を進んでいると、俺は通路右手に扉があることに気づいた。

巨大な両開きの扉、俺はその前で立ち止まり、しゃがみ込む。


(床に傷はない。開けた痕跡はないな)


一瞬だけ、【探知】を発動させる。

俺は、【探知】で捉えた扉の向こうの光景に、眉根を寄せた。


「玲、開けられるか?」

「……開けられるとは思いますが……いいんですか?」


呆気にとられたように扉を見上げていた玲は、視線を逸らさずそう問うた。

俺は小さく頷く。


「ああ、玲の意見も聞きたい」

「分かりました。下がっていてください」


玲は石造りの扉に手をかける。

そして全力で押す。

ずずず、と石同士が擦れる音と共に、重い扉が開いてく。

俺達二人が通れるほどの隙間が出来たところで、玲は舞い上がった埃に、けほけほと軽くせき込む。


「………不潔です」

「ずっと閉じっぱなしだったみたいだしな。じゃあ、入るか」


俺達は身体を潜り込ませ、室内へと入る。

そこは、この『建物』と同じ材質の石材でできた大部屋だった。

いや、縮尺が狂っているだけで、小部屋なのかもしれない。


玲は薄暗い室内を怪訝そうに見渡すが、目が慣れてくると、瞳を見開く。


「………これは、寝室ですか?」


玲は、ちょうど玲の頭一つ上までの高さの石の段差を指さす。

部屋の片隅、床が盛り上がるように長方形の形を象っており、それはサイズを無視すれば、『ベッド』と言えるだろう。


「あっちは椅子?」


そして、その奥にある丸い円形の物は椅子、いや、先ほど【探知】で捉えた空洞が確かなら、『便座』だ。

足元は完全に床と一体化している。

それ以外にも机らしき四本足の構造体や、何も並べられていない壁掛け棚など、そこは殺風景ながらも、『部屋』と呼べるものだった。


「これは…………一体誰が」


玲はその表情に、驚愕と共に恐怖を張り付ける。

その気持ちは痛いほどよくわかった。

俺もそうだ。自分の常識とかけ離れた『未知』と遭遇した者が抱く、根源的な恐怖。

ダンジョンという『異常』の中にあってなお異質な何者かの『意思』に、俺はぶるりと背筋を震わせる。

そして俺は、決定的な異質さを玲につきつける。


「あの『トイレ』、中に穴が空いてるけど、どこにも繋がってないんだ。あっちの机もバランスが悪いから物を置けば倒れる。あと、机とか便座のサイズに対してベッドは小さすぎる」


この場所には家具がある。

だが、人がそれらの家具を必要とする『用途』を果たせない。

これではまるで、『部屋』という形を模しただけの人形箱だ。


が使っていたわけではないと?」

「ああ。使われたどころか、この部屋に入った痕跡も無い。ダンジョンだから確かなことは言えないけど、多分俺たちはこの部屋に入った第一号だ」

「………湊先輩、早く部屋を出ましょう」


玲は、暑いわけでもないのに、汗をかいていた。


「ああ、そうだな」


俺達は不気味な部屋を出る。

玲は扉を閉め、ようやくほっと息を吐いた。


「湊先輩……この建物は一体――――」

「……分からない。でも、この先に答えがあるかもしれない」


さきほどの【探知】で俺は、この通路の先を捉えた。

俺は黙って、先へと進む。

心細そうな表情をした玲は、頭を振って弱気を追い出し、俺の背を守るようについて来る。

そうして進むこと数分。長い通路の終わりが見えた。


暗い石造りの壁が開け、灯が差し込む。

それは、薄暗いダンジョンの空の色だ。

この巨大な『建物』はどうやら吹き抜けになっているらしい。

そして天井から光だけを吸収し、その巨大な空間を薄く色づけていた。


その空間は半地下だった。

俺達が歩いてきた通路からさらに下る階段があり、その先には二つの扉があった。

ひとつは地面に埋まるように固く閉ざされた扉であり、地面と一体化している。

そしてもう一つは、巨大な部屋の最奥にある扉だ。


そして、それはいた。


地底を封じ込めるような巨大な扉の前方に二足で立ち、動くことのない巨大な石の塊だ。


「【石像ゴーレム】?いえ、生物ですか…………」


玲は下層にいる全身が石でできたモンスターを思い浮かべる。

獣や虫、植物などの姿を模し、個体によって攻撃方法の異なる厄介なモンスターであり、全身が石でできている。


だが、それらのモンスターと眼前のモンスターは細部が違っていた。

全長15メートルはあろうかというこのモンスターの瞳は、生身だ。

つまり、石の皮膚を持つ生物だということ。

そして、このモンスターは、手に巨大な槍を持つ人型のモンスターだということ。


「地下への門…………あれが52階層への通路か」

「そしてそれを守るあれは、『ボスモンスター』ですね」


俺達はついに、52階層への通路を発見した。

不気味な『建物』と人を模した石の怪物と共に。

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