『大岩』
ダンジョンはモンスターを産む。
大地が、天盤が、その母胎であり、怪物たちはその中で育ち、産み落とされる。
その原理の一切は不明であり、ダンジョンの神秘の一つだ。
今も、地中から三体のモンスターが産まれた。
一体は、【塊砲蜘蛛】。
五メートルを超える体に、巨大な繭を背負う八足の蜘蛛だ。
だがその八つの脚のうち、肉体を支えているのは四本のみ。
残りは地面を支える脚から分かれるように空へと伸び、ふわりと揺れている。
一体は、【双賢狼】。
二つの頭を持つ白銀の狼であり、高い俊敏性と強力な咬みつき攻撃を行う。
だがその最大の武器は、51階層でも上位に入る肉体能力ではなく、双頭から繰り出される魔法である。
そして最後の一体は、知らない。
(面倒な組み合わせの二体に……何だあいつは!)
そのモンスターは、外見だけなら花吹雪のようであった。
モンスターにとっての心臓である『オーブ』を中心に、黒ずんだ鱗が舞っている。
そして鱗の群れはやがて、獣のような姿を象った。
「『亜竜』といい、新モンスターだらけだな」
探索に来たことのない【天晴平野】と言えど、これほどのペースで新モンスターに出会うとは。
だが驚いている暇はない。
俺達の眼前には、51階層でも指折りに厄介なモンスターが産まれたのだから。
俺は剣を構える玲の肩に手を置き、【隠密】を発動させる。
すると、あっさりと成功した。
「離れるぞ」
産まれた瞬間に、俺達に気づかれたと思ったが、どうやら三体のモンスターはお互いに意識を割きすぎて、まだ俺達に気づいていなかったようだ。
だが、生まれたモンスターが悪すぎる。
俺は焦りを浮かべ、玲の手を引き駆け出す。
大岩の方角へと。
「湊先輩、そっちは深部です!」
「分かってる、でも今は遮蔽物がいる!」
この【天晴平野】は殺し合いと再臨の坩堝だと先ほど判明した。
となれば、静寂に包まれていたこの平野で次に起こるのは、『再臨』。
すなわち、減ったモンスターをダンジョンが一気に補充するのだ。
それも、51階層の生態系の頂点に立つようなモンスターたちを。
となれば、深部へと向かうことは自分たちの逃げ道を遠ざけ、首を絞める行為だ。
それは分かっているが、このままでは【隠密】どうこう関係なく、巻き込まれる。
俺と玲はすさまじい速度で平野を突っ切る。
だが、俺の心中は焦燥で占められていた。
【回転】を覚え、鈍くなった肉体が、普段以上に鈍重に感じられる。
そして背後では、怪物同士の殺し合いが始まった。
初撃は、【双賢狼】だった。
振り上げた前脚を振り下ろし、【塊砲蜘蛛】の背中を殴りつける。
ただの打撃ではない。その脚には陽炎が揺らぎ、触れた【塊砲蜘蛛】の肉体は黒煙を吐いた。
【塊砲蜘蛛】の肉体はすさまじい衝撃を受け大地を砕く。
そしてこらえきれなかった足は折れ、その肉体は転がる。
「――――っ!!」
玲は声も無く俺を引っ張り、跳躍する。
その瞬間、俺たちがいた場所に、跳ね飛ばされた【塊砲蜘蛛】の肉体が転がる。
地面を抉り、【溶解雨】を巻き上げながら【塊砲蜘蛛】の肉体は俺達と大岩の間に挟まるように停止した。
「あぶなかった……」
玲は冷や汗を流しながらぽつりと呟く。
玲の判断が少しでも遅れていたら、俺はあの巨体に押しつぶされていただろう。
だがこれで終わりではない。
【双賢狼】は片側の口を開く。
するとその中に『歪み』が生まれる。
膨大な魔力を放つ口腔内から歪みが放たれると、それは竜巻と化し、鱗のモンスターを襲う。
(【火魔法】と【風魔法】か!なんて威力だ!)
その竜巻の威力は、奴を思い出すほどだ。
だが、それほどの一撃を真正面から受けても、鱗のモンスターは耐えていた。
もちろん無傷ではない。鱗にはひび割れが広がるが、放たれる竜巻を受け止める。
一歩ずつ、【双賢狼】へと迫ろうとする鱗のモンスターに、そうはさせまいと竜巻の息を強める【双賢狼】。
モンスターという障害物で逸らされた大気は暴れ狂い、その余波が俺たちの元にまで押し寄せる。
息も出来ないような暴風の中、俺の身体が意図せず浮かび上がった。
「あっ」
気付いた時にはバランスを失い、吹き飛ばされる直前、俺の手を玲が強く握った。
「湊先輩!」
「――――っ」
玲は【金朽】を地面に突き刺し、何とか吹き飛ばされるのを堪えている。
だが外套の裾が凄まじい勢いではためき、剣を突き立てている地面すら、悲鳴を上げるようにひび割れが広がる。
気付けば二つのドローンカメラも吹き飛ばされていく。
『あぁ~れぇ~』という気が抜けるコメントが最後に見えたが、気のせいだと思いたい。
俺は反射的にドローンカメラの姿を追うと、平然と起き上がった【塊砲蜘蛛】が視界に入った。
「生き、てんのかよ……!」
次期に俺たちの身体は宙を舞う。
そして向かう先は、【塊砲蜘蛛】の肉体だ。
吹き飛ばされ、【塊砲蜘蛛】に触れれば俺の【隠密】も解除されるだろう。
「―――限界、です」
ずざり、と玲の足裏が地面を削る。
【金朽】も半ばまで抜けかけており、すぐそばでは地面から削られ、暴風に巻き上げられた瓦礫が飛翔している。
本当に竜巻の中に入ったような光景だ。
「――――玲、手を離せ」
「な、何を言ってるんですか!そんなこと……」
「俺に考えがある!ここまで来たらやるしかない!」
俺は玲を見つめる。
玲もまた、俺を黒曜石のように澄んだ瞳で見返す。
「分かりました……!」
俺の言葉が嘘ではないと判断した玲は、手を離す。
最後まで苦言を呈するように絡む指先に苦笑しながら、俺はがくんと真横へと吹き飛ばされる。
「う、おっ……!」
体が上下左右無茶苦茶に回る。
視界は既に現在地を捉えるのを諦めている。
だが俺には【探知】がある。
何とか自分の状態と周囲の状況を掴んだ俺は、【探知】の情報を利用し、ラジコンを操るように自分の身体を操作する。
伸ばした手が、柱のように太い【塊砲蜘蛛】の脚を掴んだ。
意外とふわふわな手触りの節毛を握りしめ、顔を上げる。
【塊砲蜘蛛】は触れた違和感から俺の存在に気づく。
俺を振り落とそうと脚を動かそうとして、やめた。
当然だ。この暴風の中、体を支える脚が4本しかないこいつは、一本でも地面から離せばすぐに吹っ飛ぶだろう。
【塊砲蜘蛛】という支えを手にした俺は、視界に映る玲の向こう、今も暴風の息をまき散らす迷惑な犬ころを見る。
俺は腰から、赤金のボウガンを取り出し、構えた。
暴風で震える照準を合わせ、魔力をそそぐ。
「―――っ」
体から一気に持って行かれる魔力に、俺は倦怠感を覚えた。
このボウガンは、【
俺がこのボウガンを作るにあたって出した要望は、ただ一つだけ。
超火力の一撃を放てることだ。
【霧舟工業】はその要望に応え、出来上がったこの【
【輝烏】は、俺の総魔力量の半分を吸い取ると、ようやく満足したように輝き始めた。
それは、魔法の発現である。
空を舞う光輝の王鳥の纏う魔法の名は、【極光付与魔法】。
【輝烏】に装てんされた黄金の矢が眩く周囲を照らす。
その輝きに、【双賢狼】の視線がぐるりとこちらに向く。
俺が直接触れた【塊砲蜘蛛】への【隠密】は消えたが、【双賢狼】へは未だに効果があるはずの【隠密】は俺の意思に反して消えていた。
これが、【輝烏】の最大のデメリットだ。
一発の矢の発射に俺の総魔力量の半分を要求する上に、【極光付与魔法】以外のスキルの使用が出来なくなる。
だがそのデメリットを補って余りある力が、この武器にはある。
「死ね」
俺は引き金を引く。
輝烏の一矢が放たれる。
【
暴風の圧力も、分厚い毛皮も頭蓋も音も無く貫き、そして次の瞬間、高音が【双賢狼】の頭を焼き消した。
【極光付与魔法】、それは既存の【光魔法】の上位互換に当たる【極光】属性を付与する魔法だ。
【極光】の特徴は、その速度と熱量である。
速度は冥層のモンスターの知覚速度すら置き去りにし、高熱は魔法耐性の高いモンスターすら焼ける。
暴風が消えた。
その瞬間、【塊砲蜘蛛】は俺を振り落とすために暴れようとするが、【双賢狼】最後の風に乗って飛翔した玲が、その眉間に深々と刃を突き立てる。
震える【塊砲蜘蛛】の肉体に構わず、刃を抜き放った反動を利用し、宙で一回転し、その頭を切り落とした。
……すげえ、曲芸みたいだ。
瞬く間に二体のモンスターを倒した俺は、最後の鱗のモンスターを見る。
【双賢狼】の【風魔法】を真正面から受け止め続け、矢の余熱を受けた結果、その鱗はひび割れ、色あせていた。
これなら討伐できるだろう、そう考えた俺たちは一歩踏み出すが、その瞬間、鱗のモンスターは全身をばらし、球体へと変形した。
そして一部の鱗は球体の周囲で風切り音を立てながらひゅんひゅんと回る。
宙に浮かび、範囲攻撃を持ち、硬い。
「これは………………逃げるか」
「………はい」
俺と玲は一斉に背を向け、走り出した。
俺達は所詮2人パーティー。どれだけ新しい手札を手に入れても、出来ることとできないことがあるのだ。
しかしそんなことはこちらの都合。
背後から地面を攪拌する轟音が聞こえる。
(追ってきてる!!)
「大岩まで行くぞ!」
相手を撒くことはできない以上、少しでも俺達に有利となる地形へと誘導する。
幸い、大岩はそう遠くない。
そう考え、必死に『大岩』へと向かう。
バシャバシャと地面の雨水を巻き上げながら進んでいく。
荒く吐く息は雨音に溶けて消える。
近づくと、黒く不確かな『大岩』の形が見えてくる。
大雨の向こうに浮かび上がるその影は、『大岩』ではなかった。
「――――嘘だろ」
それは巨大な正方形の構造物だった。
太い柱が幾本も立ち並び、石造りの天井を支えている。
精巧な装飾と巨大な段差を備えたそれは、確かに『人工物』だった。
「湊先輩!モンスターが!」
「―――っ、追ってきてない?」
気付けばモンスターは、俺たちの遥か後方で立ち止まっていた。
まるで、『建物』に近づくのを避けるように。
俺の【探知】にも、周囲にモンスターの姿も痕跡も無い。
ずきりと、頭が痛む。
魔力が尽きかけている。すでに【探知】を使うのもきつい。
俺達は背後を警戒しながらも、『建物』を見上げた。
玲を見ると、彼女も荒い息を吐き、その表情には疲労が浮かんでいた。
俺も玲も限界が近い。
休息をとる必要があるが…………眼前の『建物』を放置したまま、テントを張るわけにはいかないだろう。
もしあれがモンスターの巣だったら、俺たちはかなり危険なエリアにいることになるからだ。
「玲、俺が様子を―――「駄目です」」
斥候として、偵察を提案したが、それはすぐに切って捨てられた。
「もう、【隠密】も使えない。ですよね?」
「それは……」
「二人で、行きましょう」
「………分かった」
俺達は、覚悟を決め、その『建物』へと足を進めた。
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