亜竜
水を含んだ地面は足を進める度、ぐずりと湿った音を立てる。
降り注ぐ雨は激しく下草を揺らし、雨音と共に輪唱していた。
視界を遮る物のない平坦な地形に、どこまでも続いている平原。
空に垂れる灰雲が無ければ、まっさらな気持ちで解放感に浸れたのだろう。
【飽植平地】のように色鮮やかな植生が広がるわけでも、【湧石の泉】のように空を貫く黒山があるわけでもない。
ダンジョンという地において、この場所は余りにも普通だった。
異常が無いという異常。
『何もないな』
『………雨降ってなければピクニックできそう』
『モンスターもぱっと見いないし、意外と攻略できそう?』
『いや、きついだろ、逆に』
『何もなさすぎ』
「そう、何も無いのがやばいんだ」
俺はコメント欄の言葉を肯定する。
この場所は、あまりにも何もない。
身を隠す遮蔽物も敵を撒くための地形も、気を引くための植物も何もない。
出会えば、どちらかが死ぬまで戦うしかないこの場所は、俺という冥層の環境を利用して生き抜いてきた冒険者にとっては、鬼門だった。
苦手な環境と言う点では、見晴らしがいい【湧石の泉】もだが、こっちは【削岩虫】や【
正直な感想を言えば、『危険な環境』という『冥層』共通の『コンセプト』から外れているこの場所のことが、俺は不気味で苦手だった。
だが苦手だからと避けることはできない。
恐らくこの地に、52階層への道があるのだから。
「目的はどうしますか?モンスターの討伐はマストでしょうけど」
「そうだな………俺が知ってるモンスターを狙って、まずは一戦だな。その後は行ければあそこを目指す」
俺は雨のヴェールの奥、薄ぼんやりと地平に浮かび上がる小さな影を指さした。
『………んん?スマホだと小さすぎて分からん』
『拡大すれば何とか。岩じゃないの?』
『なんかあるな』
ドローンカメラも最大限にズームするが、それでも画面越しだとほとんど分からないだろう。
肉眼で目を凝らす玲も、視線を細め、難しい顔をする。
「………確かに何かありますね。私も岩に見えますけど、不自然ですね」
「だろ?」
『ダンジョンなら岩ぐらいあるんじゃない?』
「岩があるのはいいけど、場所だな。ここは【天晴平野】だ。障害物があるのはこの領域の法則から外れてる。俺はあれが52階層への入り口だと思ってる」
『確かに言われてみれば』
『えー、行ってみたらただの岩でしたってパターンじゃない?』
『家主の勘なら信用できる』
『今はそれしか手がかり無いし、いいんじゃないー』
「そうなんだよ、手がかり無いんだよ……この場所のこともほとんど分かってないし、色々手探りで行くしか無いんだ」
『あんまり来たことないって言ってたっけ?』
『てことは湊の知らんモンスターもいるのか……』
『家でポテチ食いながら寝っ転がってみてたけど、急に緊張して来たな。座るわ』
「食うのやめろよデブ」
『デブじゃねえわ!!』
『くっそ笑』
『突然の悪口www』
『決めつけんなよww』
ポテチ報告されて苛ついてしまった……。
「んんっ、というわけで早速行こうか」
俺達は歩きながらモンスターを探す。
だが、なかなか出会えない。
この【天晴平野】、思った以上にモンスターの数が少ない。
だから視聴者と呑気に話す暇があったのだ。
進んでいるとついに、俺の【探知】にモンスターの影が引っかかった。
だが、【探知】が無くても結果は一緒だっただろう。
なぜならそのモンスターは、あまりに目立つ登場をしたのだから。
俺と玲はほぼ同時に翼が空気を打つ音と巨体に気付き、身をかがめる。
俺は玲に触れ、【隠密】を発動させた。
そのモンスターは空から降り立った。
乳白色の翼をはためかせ、低く唸る。
太いかぎづめで捉えていたモンスターを巨大な口と歪な牙で捕食を始める。
その全身は、人間の皮膚のような質感をしていたが、歪に波打ち、雨に濡れる姿はグロテスクだ。
「………あれは、竜ですか?」
下草に顔が当たりそうになるほど身をかがめ、顔を寄せ合い俺たちは小声で言葉を交わす。
端正な玲の顔が真横にあり、息遣いも聞こえるのは心臓に悪いが、今は眼前の未知のモンスターに対する警戒心が勝つ。
「………色々疑わしいけど、多分そうだろ。見たことない奴だ」
『竜』、それはダンジョンで確認されている中で、最強の種だ。
強靭な肉体と異常な生命力が特徴であり、ベテランの冒険者が何年も通い慣れた階層で偶然竜に出会い、全滅する。
そんな話も珍しくない。
かつてロシアと呼ばれた地、【極海戦域】の【竜の躯】を除けば、『竜』は希少なモンスターであり、脅威であると同時に金になるモンスターだ。
その角は優れた武器の素材となり、鱗はいかなる刃も防ぐ盾となる。
だが目の前の竜らしきモンスターには、竜の象徴ともいえる特徴がどちらも無かった。
角も無く、鱗も無い。
ぬらりとした質感の肌が剥き出しのその姿は、『竜』という形を模したエイリアンだと言われれば納得するだろう。
(名付けるなら『亜竜』って感じか?)
未知のモンスターに俺の警戒心は高まる。
いきなり知らないモンスターに当たった場合は、一時撤退と決めている。
俺と玲は中腰になり、じりじりと後退を始める。
だがその時、亜竜の頭がぐるりと俺たちの方を向いた。
(――――は?こいつ俺の【隠密】が)
「避けろ、玲!」
俺は確かに亜竜と視線が合った。
次の瞬間、俺と玲の間に、竜の腕が叩きこまれた。
轟音を立て、吹き飛ぶ地面に、巻き上げられた泥と下草が玲の姿を隠す。
俺は亜竜から距離をとるため、背後に跳ぶ。
だがそのタイミングで、亜竜の尻尾が横から伸びてくる。
不安定な体勢の俺はそれを見ることしかできない。
「【回、転】っ!」
俺は反射的にスキルを使った。
対象は、俺自身の肉体。
俺の身体がスキルにより回り、姿勢を崩す。
俺の首へと迫る尾を、わざとコケることで躱す。
俺は地面を転がりながら、無様に亜竜と距離をとる。
(尻尾攻撃……いや、玲に向き直っただけか!)
俺を殺しかけた攻撃は、ついでだと気づく。
本命は、戦闘能力の高い玲。
亜竜はあの一瞬で、俺たちの脅威を測定し、玲へと狙いを定めた。
『―――――――――』
モンスターは吠えることなく腕を振り下ろす。
玲は、視界に落ちる影と迫る白濁色の竜腕を冷静に回避する。
亜竜の身体を盾に、岩の散弾も躱した玲は、静かに【金朽】を引き抜く。
薄暗い雨天に輝く金色の刃に、亜竜は瞳を細め、翼をはばたかせた。
「……面倒な」
玲は眉をしかめる。
亜竜はその身を宙へと浮かべた。
そして上空より、俺達を睥睨する。
空に飛ばれれば玲に攻撃手段はない。
【虹翅鳥】の時と同じだ。
だがあの時とは違い、今の俺は戦える。
「ここでお披露目か」
外套の内側、俺は腰に下げた二丁のボウガンを取り出す。
初陣の相手が『竜』もどきというのは予想外だが、相手に不足なし。
俺は空へと照準を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます