最速の行進
うだるような暑い夏の日、俺たちは冥層に来ていた。
地上の熱気とは真逆の冷たい雨が降り続ける【雨劇の幕】は、今日の相変わらずの雨天だ。
俺と玲は、【天への大穴】を飛び降りる。
この浮遊感も、強くなる雨音も懐かしい。
だが、以前来た時とは大きく変わっているものもある。
最たるものは、【天への大穴】付近の賑わいだろう。
穴を降りてすぐの場所には、様々なクランの紋章が入ったテントがずらりと並んでいる。
【雷牛の団】や【オリオン】など知っているクランのものもあるが、俺が知らないクランの紋章もある。
これから探索に向かう者、探索に出た者を支援するために残っている者、様々な所属と目的を持った者たちが時には怒号も上げながら、生き抜く姿がそこにはあった。
「随分と変わったな、冥層も」
「………ええ、人が増えました」
俺一人しかいなかった頃を思い出す。
あのころと比べれば、まるで別の景色だ。
嬉しいような悲しいような、そんな感慨にふけっていると、少し離れた場所にいた冒険者たちが俺に気づき、声を張り上げる。
「よお、元【冥層冒険者】!何しに来たんだ?」
「やめてやれよ!はははは!」
けらけらと冒険者たちは笑う。
雨よけのフードで顔は見えないが、その口元は楽しそうに歪んでいた。
「……ちっ、バカ猿共が」
「やめなさい、口が悪い……」
彼らを睨みつける玲の手を引っ張り、【天への大穴】から離れる。
その際、周囲の冒険者は遠巻きに視線をよこす。
好奇心から作業の手を止める者、単に有名人見たさや玲に見惚れる者もいれば、先ほどの冒険者のように敵意や嘲りを浮かべる者もいる。
いずれも共通するのは、珍しいものを見たという反応だ。
それが俺たちの今の冥層での立ち位置だ。
二人の装備更新が被った結果、約一月の間、冥層での活動が止まった。
【冥層冒険者】と先ほど冒険者が呼んだ名を思う。
ただ一人、冥層を探索する俺に付けられた名であり、今も世間は俺をそう呼ぶが、あの冒険者たちからすればもう違うのだろう。
自分たちも【冥層冒険者】だという誇りとその名を失った俺へのからかいが彼の言動からは感じられたし、それは間違いでは無い。
それでも悔しさは感じる。
「………よし!玲、配信始めるぞ」
「……なるほど、配信で彼らを炎上させて、視聴者に本名も住所も全て特定させてネットの海にばら撒くんですね。いい作戦だと思います」
「………そんなわけないだろ……」
何でこの子はブレーキを積んでいないんだろうか……。
「装備のお披露目も兼ねてかまそう」
にやり、と笑う俺の顔を見て、玲も納得の表情を浮かべる。
俺たちはお互いに配信を始める。
宙に浮かぶ二つの球体のドローンが、俺と玲をそれぞれとらえる。
表面にホログラムでコメントと同接が表示される。
『お久しぶりー!』
『待ってたぞ!』
『まだ配信者してたんだ』
『他の冒険者が冥層来て焦ったんじゃ無い?』
『装備変わってる!』
『【天への大穴】?珍しいスタート』
久しぶりの配信ということもあり、色々なコメントが流れる。
だが同接の数は前回と比べれば目に見えて落ちていた。
他の冥層冒険者の配信に人が取られているのだろう。
今更彼らと同じことをしても、視聴者は戻らない。
だから――――
「―――今日は【天晴平野】に行きます」
まだ誰も知らない景色を見に行こう。
『天晴平野!?』
『ついにか!』
『え、大丈夫なん?』
『あの鳥クラスがゴロゴロいるんでしょ?』
『楽しみー!』
心配と期待半々といった感じだ。
「じゃあ、行くか」
「はい」
俺たちは、雨の中に踏みだす。
身に纏うのは、【撥水森】の葉で編んだ外套だ。
今日は【溶解雨】、触れれば溶ける劇薬の雫は、外套に弾かれ、流れ落ちる。
重くのしかかるような雲は、贋作の陽光を遮り、昼だと言うのに辺りは薄暗く、遠くに見える森は、不気味な輪郭だけを浮かべている。
俺と玲は、躊躇いなく、駆け出した。
『速っ!!』
『前より身体能力上がってる?』
目的地は階層中央部、まばらに生えた木や茂みを避けることはあるが、まっすぐに向かう。
別に俺や玲の身体能力が上がったわけではない。
ただ、大雑把に動けるようになっただけだ。
走り出してすぐ、俺達の進行方向の地面が隆起する。
震える体が土を払い落とし、地中に潜んでいた歪な肉体を露わにする。
その外見は一言でいえば『巨大な頭部』だ。
眼球も鼻も何もなく、ただ巨大な口がぽかりと暗い虚空を晒している。
モンスターの名は、【
感覚器官を持たず、声帯も無いそのモンスターは、ただ静かに俺達へと大口を向けた。
『【
『やばい、逃げて!』
『近すぎる、終わったな』
『え、なに?』
俺の配信で出たのは初めてだが、どうやら他の配信者の配信でその姿と脅威を知らしめたようだ。
俺達と【
これは、【
大きく開いた口から、無数の影が現れる。
それらは耳障りな羽音を立てており、金属質の体表は、【溶解雨】を弾いている。
【
【
そして、地中を移動する【
【
昆虫らしく無駄のない体は鋭く尖っており、その用途を一目でわからせる。
すなわち、超速飛行だ。
ばつん、ばつん、と不気味な音が雨音に混じる。
それは、【
点のはずの突進が、面へと変わるほどの密度の突進。
本来であればその騒々しい羽音で見逃すはずのないモンスターが、【
そんな必殺の連携を黄金の剣閃が断ち切った。
刃を抜き放ちながら、音速を超える【
刃の慣性に逆らわず、体を回転させた玲は、さらに剣速を加速させ、迫る無数の【
「――――」
コメント欄は、静かだった。
ぴたりと流れていた文字列が一瞬止まる。
俺には彼らの気持ちが分かる。きっと、見惚れたのだ。
動きに合わせて黒曜石のように澄んだ長髪が外套の内で靡き、白く華奢な腕を振るうたびに、黄金の剣閃が、空に二日月を描く。
【舞姫】、舞うように戦う剣の姫。
誰が呼び始めたのか知らないが、本当によく玲を表している名だ。
凶悪なモンスターも、恐ろしい【溶解雨】も、今や玲の舞を飾り立てるだけの舞台と化した。
僅か十秒ほどの【舞姫】の舞台の後、数多の砕かれた【
【
一呼吸の内に放たれた数度の斬撃が、その肉体を刻み、【
「お疲れ様、俺の出番無かったな」
「この程度のモンスター相手なら、私一人で十分です」
玲は黄金の刀身を晒す剣を振るい、血を落とす。
『おぉおおお!!一瞬じゃん!』
『……あの状況から勝てんのかよ』
『シンプル正面突破で草』
『だから逃げなかったのね』
『てか武器変わってる!』
「はい。【
形状はシンプルな直剣だ。
余分な飾りは一切なく、しかしその黄金の刀身は、高貴な輝きを宿している。
吸い込まれそうな波紋を宿す刃は薄いが、頑丈な【
『【湧石の泉】の鉱石?』
『素材だけじゃない。当然だけど作り手もすごい』
『これを作るんなら一月かかるわな』
完全な冥層素材のオーダーメイド武器に、冒険者と思しき視聴者たちは、感嘆の言葉を打ち込む。
玲の新たな剣【金朽】の特徴は、その切れ味と頑丈さだろう。
【湧石の泉】の鉱石を混ぜ合わせ、作り上げられた新たな合金【
それにより、薄く切れ味を追求した刃であっても、【銀戦】以上の頑丈さを持つ。
(俺の出番無かったなぁ)
俺もこっそり新武器を試そうと思ったのだが、玲があまりにも強すぎた。
「では進みましょう」
「だな」
俺達は再び中央部へ向けて走り出す。
『え、素材は?』
『放置?』
せっかく討伐したモンスターを置き去りにする俺達へ、視聴者は困惑する。
だが、俺たちにとっては魅力的な素材ではない。
まだ冥層に俺と玲しかいなかった頃ならば、その素材やオーブの有用性を確かめるため、持ち帰っただろうが、このぐらいの場所にいるモンスターなら、他の冒険者も倒している。
素材もオーブもいずれ地上で出回るだろう。
わざわざ俺たちが、持ち帰る必要は無い。
そして何より、俺たちの狙いは、この程度のモンスターではない。
走り続けること数十分ほど。
ひたすら真っ直ぐに走り、出会うモンスターは片っ端から玲が切り伏せた。
とても冥層とは思えない鎧袖一触と呼べる光景に、視聴者は困惑していたが、すぐに慣れて何秒で玲がモンスターを全滅させるかの賭けまで始めていた。
そして俺たちは、疎らに生えていた木も茂みも岩や陥没した地面と言った起伏すらほとんどないまっさらな平原に出た。
「ついに来たぞ……」
【天晴平野】、階層の生態系の頂点に立つモンスターが集う領域であり、52階層への道がある場所。
未だ、誰も踏破したことのない領域に、俺と玲は足を踏み入れた。
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