テロの終わり

『オーブ』引き渡しの後、中島はすぐに渋谷支部へと帰ってきた。

自身の席に座り込み、重い息を吐く。

彼にとっても、今回の取引の完了は、一つの区切りだった。

だがその心に達成感は無い。

自分の行いの結果を突きつけられただけだ。


【オリオン】側は、徹底して【迷宮管理局】から湊を遠ざけていた。

以前、湊への接触を橋宮に妨害されたことはあった。

しかし今日、湊の側を離れることが無かった玲が中島や局員に向けたのは、敵意だった。

もし少しでも湊に近づこうとすれば、彼女は自分に斬りかかるだろう。そんなあり得ないことすらしかねない緊張感が、彼女の瞳には宿っていた。


(……彼らからすれば、命を狙う敵の一味、当然か)


そこまでするつもりはなかった、というのは中島側のいいわけだ。

もしかすればこの件を機に、【オリオン】は拠点を【渋谷ダンジョン】から移すかもしれない。

そうなれば、に申し訳ないと中島はさらに気を落とす。


中島の気分を落ち込ませる現実はそれだけではない。

もう一つ、『テロ』現場となった渋谷支部の支部長である彼にだけ、前もって教えられた情報のせいだ。


それは、テロの首謀者、鱗武と名乗った男の正体だった。


(まさか日本人だったとは……)


鱗武の死体は警察により回収され、調査が行われた。

自身の発動させた風と氷の魔法により、末端組織は壊死していたものの、残っていた歯を元に治療記録を洗い出し、そして骨格と防犯カメラの記録を元に復元された顔のイメージ画像が、【迷宮管理局】の冒険者登録記録に残っていたことで、彼の本名が前田冬至であると判明した。


全容を知る中島からすれば、あり得ないと言いたい事実だったが、前田冬至が一年ほど前から失踪していること、そして彼が【風魔法】の使い手であることが、真実性をさらに高めた。

また、東亜連国から渡ってきたはずの彼の部下の何人かも、一年ほど前から失踪していた日本人であることが分かった。

これほどの人数の身元を誤魔化すことはできない。彼らは間違いなく、この国で生まれ育った日本人だった。


そして『前田冬至』は、現政府に不満を持っていたことが調査で判明した。

前田は日本人の母と東亜連国人の父を持っていた。

だが、現政府の政策であるスキル犯罪の撲滅の一環として行われた国境警備の強化及び諸外国からの入国審査の厳重化。

これにより、税関で働いていた彼の母が過激派の移民グループの標的となり、彼の父も見せしめとして殺された。

両親を亡くした彼は高校を中退し、冒険者としての活動を始めた。

彼の家から発見された日誌には、政府への恨み言がつづられていたという。


彼の異常な強さ、そしてテロを起こしたタイミングから、他勢力の関与も疑われたが、その証拠は一つも出ず、警察は早々に国内の政府への過激思考を持つ冒険者のテロだと発表することに決めた。

次期も悪かった。

夏にかけて警察は忙しくなる。

すでに終わったテロに費やす時間も人手も無かった。


(私も鱗武の輸送には関わった。はずだったが、それすらもやつの工作だったか)


不明のことを考えれば、怒りが湧き出して来る。

恨み言が口から零れそうになるが、そんなことをしている暇はないと気持ちを切り替える。中島は机の下を軽く押す。

すると、一部がスライドし、収納スペースが現れる。

以前は、政敵の弱みや後ろ暗い取引の記録を納めていた場所だが、今はその代わりに小さなノートがあった。


それを取り出し、手書きで文字を記していく。

筆の進みは遅かった。頭を悩ませながら何度も考えこみ、数十分をかけて数行しか書けないこともあった。

だがノートに注ぐ視線は、真剣だった。


中島の集中は、扉を叩く音で引き戻される。

入室を許可すると、局員が入って来る。

また書類かと憂鬱になるが、彼は何も持っていなかった。


「どうした?」


中島の記憶が確かなら、今日の予定は何もなかった。


「それが……客人が下の受付に来られてまして」

「客だと?」


訝しむように中島は眉をしかめる。


「はい。不和明と名乗れば分かると言われまして」

「フワアキラ……?不和、明……」


不+明、安直な名前に中島は来客が誰かを悟る。


「本田に連れてこさせろ。それまでは受付で待たせておけ」


硬い声で局員に指示を出す。

そして数分後、完全武装した本田が濡れ羽色の長髪を結った艶やかな男を連れてきた。


「驚いたな、まだこの国にいたのか。とっくに本国に逃げ帰っているものと思ったぞ」

「おやおや、本国などと。私はしがない密輸業者であり仲介屋です」


一言目から皮肉を投げてくる中島に、不明は苦笑しながら答える。

言葉とは裏腹に、中島は不明がこの騒動の目的の一つを果たすために、再び来ることを予感していた。


「大変な事件でしたね。結果的に男がテロを起こした形になりましたが、私は気にしません。今後とも良いお付き合いをしたいものです」


中島が湊を【迷宮管理局】に取り込むため、不明に命じ、家を襲わせた。

その際、鱗武を含む大多数が警察に捕縛された。

中島は不明の要請を受け、警察に手を回して鱗武を含む数名を釈放させたのだ。

思えばあの時から、不明の仕掛けは始まっていたのだろう。


不明のことだ、中島が消したはずの指示書や電子記録を保存しているのだろう。

それが公になれば、中島は失脚する。

否、失脚どころではない。確実に二度と陽の光は拝めないだろう。


その証拠を使い、中島に首輪を嵌める。

中島の予想は当たっていた。


「………目的は、私の権力か」

「ええ。白木湊の暗殺はついでです。本命は貴方ですよ」


恐らく今回の事件は、かなり前から計画されていた。

白木湊が突如表舞台に姿を現し、東亜連国の邪魔になったため、計画に巻き込まれた。


「とはいっても、無茶な要求をするつもりはありません。あくまで、これからもいいパートナーとして「断る」」


中島は間髪入れずに断る。

不明は瞳を細め、中島の真意を探る。


「いいのですか?真実が明らかになれば、貴方は牢屋行きですよ?今のまま、渋谷支部の英雄として生きる道を捨てるのですか?」

「………今回の件でお前たちの悪劣さが嫌というほど分かった。合理と倫理の境界線が無く、不必要に人を殺し、人生を壊す!鱗武もそうだろう!あの男もこの国の冒険者だった!」

「……鱗武、いえ前田は確かにこの国の人間です。ですが、これは彼の望みですよ。そこだけは私も触れませんでした」

「ほう?ならばあの魔力は何だ」

「あれは秘密です。私の大事な商売道具ですので」


そう言って、不明はくすりと笑った。

その笑みには、はっきりと嘲りの色が浮かんでいた。


「半端ですねぇ、中島。愛国心があるなら、欲望を殺して国のために動けばよかった。己の欲望を優先するなら、国を切り捨て、我々に付けばよかった。どちらかを選べば、こんな悲劇は起こらなかった。全ては何も選べない貴方のせいです」

「………そうだ、私は失った政界の椅子にいつまでもこだわり続けた愚か者だ。死者たちはみな、私が殺したようなもの。だから、お前を道連れに私は死ぬことにしよう」


中島が本田に目配せをすると、彼は剣を抜き、不明につきつける。


「私の証言とお前自身。それがあれば、真実が明らかになる。政府も東亜連国の危険性に気づくだろう」

「………最後に愛国者に戻りましたか。残念です」


最後に小さく目を伏せ、不明は魔法を使う。

本田の剣が翻り、中島の腹部に深い傷を刻む。

一般人の中島に、本田の剣を受けて生き残る生命力は無い。

自身が斬られたことにすら気付かず、糸が切れたように倒れ込む。

あっさりと、中島は死亡した。


「………俺、は……何を」


本田は、表情を青ざめさせ、震える。

気付けば、中島を斬っていた。大学時代からの友人である彼を。


「【死霊魔法】、我が祖国が入手したです。死者を改造し、使役する素晴らしい力です」


不明は、あっさりと自分のスキルの秘密を離す。

それも当然だ。この場には自分しかいないのだから。


「死者……」

「ええ、貴方も死んでますよ。忘れさせましたが」

「俺は、死んで……中島、を!?なん、いや、違う!」

「………かなり繊細な魔法なんですよ。無理な記憶を入れれば、人格ごと消えてしまう。あくまで死者使役のための魔法ですから、記憶操作は熟練度上昇で手に入る副次的なものなんです。あなたは急造ですから、もう終わりですね」


人格を書き換えるのなら、矛盾が無いように少しずつ偽りの記憶を入れる必要がある。

そうしなければ、自身の記憶の矛盾に気づいた精神は自我を疑い、崩壊するのだ。

対象の人生諸共書き換えるのならば、長い時間が必要となる。


本田の役割は、中島を殺すところまで。

既に役目を終えた。

不明は中島の死体に手を置き、魔法を発動させる。


「【再構築】」


飛び散った血や断ち切られた腕が、独りでに動き出し、死体が修復される。

紫紺の輝きが精神を侵し、彼の記憶を書き換える。


「………っ、私、は」

「大丈夫ですか、中島様?」

「あ、ああ。私は一体……」

「疲れていらしたのでしょう。また伺います」

「………ああ、だが次は無いぞ、一般市民を巻きこめば、次は協力しない」

「ええ、弁えております」


東亜連国の協力を得るため、許せないが、今回は不明のことを許した。

中島の中に根強く残る政界への未練と欲望を考えれば、その記憶は矛盾しない。

不明は思い通りにいった現実に笑みを浮かべる。


「本田、お前も下がれ。私は疲れた」

「………お、れは」


本田の異変に中島は気づかなかった。

廊下に出た不明は扉を閉めた本田に声をかける。


「では、貴方はこれからダンジョンに向かってください。支部長の側近が発狂なんてシャレになりませんからね」

「………」


本田は静かにダンジョンへと潜っていく。

その日以降、本田の姿を見た者はいなかった。

ゲートの入場記録が照合され、彼がダンジョンで帰らぬ人となったことが、数日後に判明した。

そして、【迷宮管理局】内でその地位を上げた中島は、東亜連国の手に落ちた。

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