未来への決意

鱗武の発動させた魔法は、冷気の嵐を全方位へとまき散らし、冷却された空気が白く吹き荒れる。

氷の膜が地面を這い、巨大な氷柱が幾本も形成される。

まるでそこだけ、別世界に入ったかのようだった。


ほう、と感嘆と嘲り混じりに吐き出した息は白く染まっていた。

鱗武の魔法は、そこから一つの通りを挟んだ商業ビルの屋上にまで影響を及ぼしていた。


「………これでは死んだかどうか見えませんね」


不明は屋上の鉄柵から身を乗り出し、目を凝らすが、冬のヴェールに閉ざされた湊と玲の安否は分からない。


「困りましたね、死体は確認したいのですが……」


のんびりと過ごしている時間は無い。

自身の魔法との繋がりが消えたことで、鱗武が再起不可能となったことは確かだ。

状況が落ち着けば、敵に見つかる可能性が高くなる。

だが、『任務』を達成したかどうかは確かめなければならない―――


(……全く、素直に【風魔法】だけを使えばいいものを。もっと縛っておくべきでしたね)


鱗武の最後の魔法に文句を付けながらも、不明が後悔しているのは自分の選択だけだった。

行動を決めかねていると、商業ビルの屋上へと続く扉が、鈍い金属音を立て、開いた。


「よお、不明サン、こんなとこで会うとは奇遇だな」


中島の護衛であり、渋谷支部局属冒険者の纏め役である本田重利ホンダシゲトシは、血に濡れた剣を担ぎ、荒々しく笑った。

不明は驚いた様子も無く、振り返り、白々しく笑みを返した。


「これはこれは、本田様。よろしいのですか、こんなところにいて。下は色々と大変そうですが」


鱗武は死んだ。

しかし、鱗武の部下たちは今も陽動として、混乱に乗じ、市民たちを襲っている。

中島の指示により市民の救助に向かった冒険者たちは、彼らの対応に苦戦していた。

局属冒険者の中で、最も強い本田がこの場にいるのは、確かに痛手だ。

不明の言葉は正論だ。この騒動の仕掛け人が不明だということを除けば。


「………チッ、嫌味な野郎だ」

「ふふ、嫌われたものですね」

「前からお前のことは嫌いだよ」

「それは残念です」


本田はバスタードソードを担ぎなおし、不明へと足を進める。


「私を殺しても何も変わりませんよ。貴方の主人の罪も消えません」


その言葉は、押し殺していた本田の激情に火を付けた。


「――――お前が嵌めたんだろうが!犯罪者を使ってオーブを奪うだけって話はどこ行きやがった!こんな大事件、もう誤魔化せねえ!中島は……!」

「【オリオン】を相手にするんです、このぐらいしないと。少し人が死んで街が壊れましたが……まあ、仕方ありません。中島様も気の毒ですが、私は黙っていますよ。中島様が私たちに協力してくださるのでしたら」

「………もういい、死ねよ」


不快な笑みを一刻も早く消し去ろうと、本田は剣を振りかぶり、そして、小さな魔力の鼓動を感じた。


「………う、あ」


口から血の塊が零れる。

剣を振りかぶった姿勢のまま、視線を下へと移し、血を流す胴体を見つめる。

そこには幾本もの赤い針が肉体を貫いていた。

その手から零れ落ちたバスタードソードががらんと音を立て、地面を転がる。


「………」

「面白いでしょう?魔法というやつです。私も使えるんですよ」


(クソ、こいつも魔法使いかよ……本当にろくでもねえ)


本田の意識は、深い闇の中に沈んでいった。

本田の肉体は、前のめりに倒れ込む。

その傷口から流れ落ちる血は、地面を広がり、不明の靴を汚す。

本田は死んだ。それは、不明のスキルも告げている。

そして不明はスキルを使用する。


「【再臨】」


不明の白くしなやかな手から、紫紺の光が舞い散る。

光の粒は、本田の死体に吸い込まれる。

そして、本田の手が、硬く握りしめられる。

驚くことに本田は、息を吹き返した。


「……う、っあ、俺は……!不明!」

「呼びましたか?」

「て、てめえ、何を!?」


倒れ伏したまま、本田は困惑の声を上げる。

彼の意識は混乱の中にあった。

自分は先ほど死んだはずだった。致命傷を負い、倒れ込んだのを覚えている。


(死んでなかったのか!?不明が俺を治療して……!)


「【再構築】」


不明は本田の頭に手を置き、再びスキルを使う。

その瞬間、本田の表情から色が抜け落ち、静寂が屋上に広がる。


「………急造ですが、こんなものでしょう」


不明が手を離すと、本田は立ち上がる。


「………ん?俺は……っと、まずい!俺は部下共の加勢に行かねえと!」


初めはぼんやりとしていたが、本田はすぐに動き出す。

屋上に落ちたバスタードソードを拾い直し、正体不明のテロリストたちを殺しに向かう。

不明はそんな彼をにこやかに見送る。

先ほどまで敵意を向けていた本田の急変が当然だと言わんばかりに。


不明は冷気の晴れた通りを見る。

魔法の発生地点は白く凍り付いているが、不明はそこに大地の防壁を見つける。


「立花恋歌の【土魔法】……殺しきれませんでしたか」


そして防壁へと駆けよる恋歌と乃愛の姿があった。


「私がとどめを――――」


だが、不明はよろめき、手すりを掴む。

その手は微かに震えていた。


「魔力切れ、ですか。流石に暴れ過ぎましたね」


不明は湊の殺害をあっさりと諦める。

興味無さそうに湊達から視線を逸らし、不明は暗い鉄扉の奥へと消えていった。


その後、局属冒険者、そして中島の『依頼』を受けた冒険者たちの働きにより、残党たちは捕獲された。

また、『鱗武』と名乗ったテロの首謀者と思しき者の死体も、確保され、警察の厳重な警備の元、調査機関へと運ばれた。


政府はこの事件を『テロ』だと発表したものの、彼らの身元、動機については調査中とした。

そしてテロ被害拡大防止のため、尽力し、自身も現場で多くの市民を助けた渋谷支部支部長、中島量吾は、テロ事件最大の功労者の一人として、内閣総理大臣から表彰状を受け取り、その名声を高めることとなった。

しかし本当の『事件』はこの後、影ながら進められた。


□□□


テロ事件から一週間後、未だテロの痕跡は色濃く残っている。

竜巻が顕現した地点には、【風魔法】と【土魔法】による巨大な二つの大穴が空いており、重機が忙しなく動いている。

また、吹き飛んだ瓦礫による被害も含めれば、渋谷中に争いの後が見られる。

そして現場に残された数多くの献花が、失われた命の数を物語っている。


だが、全てが終わったわけではなかった。

この事件の発端となった、『オーブ』の受け渡し。

当然、凄惨な事件の対処に追われる【迷宮管理局】には、それを執り行う余裕はなく、サイラス側も、事件が落ち着いたのち、すぐにホテルへと帰っていった。

彼が懸念したのは、自分たちの取引がテロを招いたと広がることだ。

サイラスは日本に来るにあたり、自身の存在を大々的に知らせた。

その目的が『オーブ』の取引であることも明らかにした上でだ。


その派手なアピールが東亜連国を刺激した。

そう言われれば否定が出来ない状況でもあった。


そのため、すぐさま【ADS】へと連絡を取り、彼は今回の事件の隠ぺいを依頼した。

【ADS】長官、ロナウドはすぐさま情報操作を行い、テロの原因解明ではなく、首謀者の身元を明らかにし、厳罰を与えるよう求める過激な方向へと持って行った。

その情報操作は上手くいった。ロナウドの手腕もあるが、実際にテロの首謀者の身元が一週間経っても明らかにされていないことも大きかった。


そして今日、ついに延期されていた『オーブ』の引き渡しがされる。

場所は、【迷宮管理局】ではなく、【オリオン】の事務所だ。

これは、【オリオン】側からの要請であり、【迷宮管理局】が信用できないと言っているようなもの。【迷宮管理局】側からもその要請を拒絶する動きもあったが、サイラス本人もそれに賛同しており、当事者双方の意向ということもあり、受け入れられた。


□□□


俺は、【オリオン】事務所にある会議室にいた。

俺達の側には恋歌さんと玲、そして事務員の山口つぼみさんだ。

反対側には、短い金髪に武骨な肉体、そしてラフな服装をしたあのサイラス・ディーンに、肩ほどのブロンズヘアをした少女がいた。

付き添いには、お堅そうな黒スーツの人間―――役人だろうか―――がいる。

そして、議長席には、仲介役である【迷宮管理局】支部長、中島が、数人の局員と共にいた。


「では、『オーブ』の受け渡しを」


局員が厳かに告げた。

約束の時間きっかりだ。

それまでの間、会話は一つも無かった。

空気が張り詰めており、なんだかお腹が痛いが、ちらりと横の玲を見ても平然としているので、案外冒険者の取引現場というのはこんなものなのかもしれない。


一応、俺がこちら側の代表なので、『オーブ』の入ったスーツケースを机の中央へと渡す。

中を開き、局員が【状態異常適応】と【潜行】の二つのオーブを確認し、次にサイラス側に「振り込みを」と告げる。


「OK」


サイラスは手早く端末を操作すると、俺のオークション用のアカウントに24億6500万円が振り込まれた。

24おく……めちゃくちゃゼロが並んでいる。

全部が俺の取り分ではないが、それでもとんでもない額だ。

だが俺は、嬉しさよりも気疲れを感じた。


前回の『オーブ』も大変な騒ぎとなった。

俺の家は襲撃され、玄関先は凍らされ、【オリオン】に入団するきっかけになった事件だ。

あんな大変な目に合うのかと、当時は冥層という存在の影響力に驚いたが、今回の事件はそれ以上だった。

俺を狙った敵、東亜連国が魔法を使い、俺たちを襲撃した。

取引相手がアメリカであったこと、そして『オーブ』がアメリカの冥層攻略に役立つものであったことなど、要因は様々だが、最も大きな原因は、俺だ。

俺を狙いテロが起き……人が死んだ。

全く無関係の人間が。


この前は、冥層に入った4人組の冒険者が殺された。

それに続き、今もまた、悲劇が繰り返された。


「―――なと君。白木湊君!」

「あ、はい!」

「入金を確認してくれ」


中島支部長が、怪訝な顔をする。

俺は、「入金されてます」とだけ返した。


「では、取引は終了だ。【迷宮管理局】は受け渡された『オーブ』及び対価として受領した金銭の今後に一切の責任を負わない。管理は当事者で行い、今後の一切のトラブルの仲裁も行わないものとする」


定型文だろうか。言い慣れた様子で中島支部長は、取引の終わりを宣言する。

たったこれだけで終わりなのか……あまりの呆気なさに少し驚く。

こんな取引のためだけに、あれだけの被害が――――


「Hey,ミナトシラキ」

「え、はい?」


帰り支度をしている金髪の少女をよそに、サイラスは俺をじっと見ていた。

その眼力に僅かに気圧されながらも、返事をする。

彼は迷うように頭を掻きながらも、やがて何かを決めたように息を吐く。


「気にしてんのか、今回のことを」

「――――!」

「ちょっと、サイラス……」

「黙ってろ、ティシア」


連れの少女に視線を向けることなく、サイラスは答えを待っている。


「それは、そうでしょう。あなたは違うんですか?」


相手が世界一の冒険者だと分かっているが、苛立ちから挑発するような言葉になった。

それは翻訳機を通して相手にも伝わっただろうが、サイラスはニッ、と豪快な笑みを浮かべた。


「どうだろうな!だけど、これがオレたちの日常だ。これからもいろんな奴が死んでいく。こんな下らねえモンのためにな」


そう言ってサイラスは『オーブ』の入ったケースを持ち上げる。

そんなサイラスを、玲は睨みつけ、俺を庇うように一歩前へ出る。


「………いい加減にしなさい、サイラス・ディーン。湊先輩は傷ついているんです。世界一だか知りませんが、湊先輩の傷口に不作法に触れるなら殺しますよ」

「おーおー、怖え女だなぁ、お前も物騒なのに好かれてんな」

「いやあ、何とも」


物騒というのは否定できない。


「だがな、レイミナミ、オレの言ってることは間違ってるのか?ん?」

「それは……」


玲もサイラスの言っていた『日常』に心当たりがあるのか口を閉ざす。

玲は助けを求めて恋歌を見るが、彼女は静かに事の行く末を見守っていた。


「……こういうクソみてえなコトがあるたびに、俺はこう思うようにしてる。俺のせいで大勢死ぬが、それ以上に助けてるってな」


これは……俺を慰めているのだろうか。

だがそれは、酷い暴論だ。


「………そう思えるなら、悩まないでしょう」


俺はそう言い返す。

そう言うと、サイラスは大きな手で胸を叩き、神に誓う修道士のように静かに言葉を紡いだ。


「ならオレを見てろ。オレはお前が売った『オーブ』と『情報』で、冥層に行く。そんでオレは吐いて捨てるほど人を助ける。これからのオレが助けた奴らがお前が助けた奴らだ!」


一瞬、彼の言葉の意味が分からなかったが、理解するにつれてその無茶苦茶な言葉に、笑みがこぼれた。


「………はっ、何ですか、それ。あなたはあなただ」

「そうかもな!……なあ、ミナトシラキ、自分の手で何かしてやりたいと思うなら、冒険者を続けろ!そして強くなってこんなバカげたことをしでかした奴をぶっ飛ばしに行け!死んだやつらのためにな」

「……ええ、そうします」

「………じゃあな、また会おう」


そう言って、サイラスたちは去っていった。

中島たちも彼に続いて去っていく。

会議室の中は、【オリオン】のメンバーたちばかり。

俺は椅子に座り、大きく息を吐いた。


「終わったな………」

「はい、湊先輩もお疲れ―――湊先輩、その、大丈夫ですか?」

「え?」

「その、涙が……」


玲に言われ、自分が涙を流していることに気づく。


「あ、あれ、何でだ」


「………疲れてるのよ。ワタシたちは後処理があるからもう行くわ。ゆっくりしていきなさい」


恋歌さんは、柔らかく微笑み、つぼみさんと一緒に部屋を出た。

会議室には、俺と玲だけが残された。

立ち上がった玲は、迷うように視線を彷徨わせた後、柔らかく俺の頭に手を回し、抱き締める。

俺は温かな胸元に抱え込まれ、彼女は慣れない手つきでおずおずと頭を撫でる。


「悪い、みっともないよな………」

「………いえ、緊張が解けただけです。あんなひどい事件に巻き込まれたんですから」


そうだ、本当にひどい事件だ。

俺は恐怖を抱いていた。

恐ろしかった、あんな化け物のような魔法使いが俺や玲たちを狙っていることに。

そしてその標的の中に無関係な市民が入っていることに。

あまりに理不尽で強大な敵への恐れと怒りが俺の心の中で渦巻いていた。


「………玲、俺、ちゃんと強くなるよ」

「………はい、私も強くなります。もう湊先輩が不安にならなくて済むように」


俺は甘かった。

冥層を探索するのに、俺の強さなんて要らないと思った。

玲をサポートできるぐらいでちょうどいいと。

だけど、それはダンジョンの中だけの話で、地上にもモンスターはいる。

強くならなければ。そんなモンスターたちから仲間を守るためにも。


この日、俺の『日常』はまた少し物騒になった。

やるべきことは多い。

装備の更新や俺自身の強化など、日々は慌ただしく過ぎていく。

そして季節が巡るころ、俺たちは次なる試練の挑む。

51階層の攻略、そして、竜と人が入り乱れる灼熱の夏が、すぐそこに迫っていた。

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