二度目の魔法使い

「早く入れ、バカ……!」


扉を開いた俺は、小声で叫ぶという器用な真似をしながら、乃愛を部屋に招き入れる。

乃愛は「はーい」と軽く返事をし、するりと身体を玄関に潜り込ませる。


扉を支える俺の腕の中に納まるように体勢になり、ふわりとシトラスのような甘い香りが鼻をくすぐる。

俺は慌てて手を離し、乃愛と距離をとる。


そして、悪びれることも無く部屋を物珍しそうに眺めている乃愛を見下ろす。


「……おはよう、乃愛。普通に来てほしかったけどな」

「んー、おはよ。刺激的だったでしょ?」


ちらりと八重歯を覗かせるように笑う彼女の顔に反省は無い。


「そんなものはいらないよ……」

「オトコノコの憧れなんじゃないの?ほら、彼女が起こしに来てくれるってやつ」

「大分ドロドロしてたけどな、乃愛の彼女像」


あれがご近所さんに聞かれていないことを祈るしかない。

だが、いい具合に緊張が解けた。

もしかしてそれを狙ったのだろうかと一瞬思ったが、あの乃愛だ。

そんな訳ないと思いなおす。


「………じゃあ、行くか」


すでに防具と武器の装備を済ませていた俺は、同様に装備を整えている乃愛へと声をかける。

俺達は部屋を出て、2人で下へと向かう。


「玲は?」

「れいちーはもう向かってるよ。今のところ、問題なし」


俺達は今日、【迷宮管理局】の渋谷支部で【状態異常適応】の『オーブ』を引き渡す。

だが俺と玲は別行動だ。

二手に分かれ、渋谷支部に向かう。


「……本当にいるのか、敵なんて」

「分かんないけど、れんれんはそう思ってるんでしょ。だから私は朝早くに起こされたんだし」


れんれん……恋歌さんのことか。

確かに今回の作戦は全て、彼女の発案だ。

彼女はアメリカにオーブが渡ることをよく思わない勢力が、実力で妨害してくると予想している。


(東亜連国か)


俺はアメリカと最後までオークションで競っていた大国を思い浮かべる。

恋歌さんは『敵』の名前を断言しなかったが、今の状況で武力に訴える余裕と動機があるのはあの国ぐらいだろう。


それと同時に思い出すのは、初めて玲とダンジョンに潜った後、襲われた事件だ。

あの襲撃はおそらく、中島支部長の計画だ。

あの時の襲撃者たちは皆、アジア人だった。

それも、希少な『魔法系スキル』を持っていた。

そんな人間、そこいらに転がっているはずがない。


東亜連国と中島支部長、これを結び付けて考えているのは俺だけでは無いだろう。

恐らく恋歌さんもそうだ。だからこそ、乃愛を動かした。

だがその代償に、乃愛は眠そうに小さく欠伸をした。

目元に浮かんだ涙を拭う仕草は、幼げで可愛らしい。


「誰が埋め合わせてくれるのかなぁ~?ねぇ、湊はどう思う?」


言っていることはまるで可愛くないが。


「今度な、俺が出来ること範囲で、命が危なくないやつを」

「………まあいいか」


不服そうに乃愛はそう言った。

一体何をさせるつもりだったのか、恐ろしい。

話をしているうちに、俺たちは一階に辿り着く。

外へと出ると、一台の車が停まっている。

【オリオン】の車だ。

俺と乃愛が乗り込むと、車は走り出した。


「ルートはいかがいたしましょう」


運転手さんがそう問うてくる。

俺は瞳を閉じ、【探知】に意識を集中させる。

波が広がるように俺の感覚が拡張され、周囲の地形、生物の姿が浮かび上がって来る。

周囲には、魔素を吸い込んだ人間が多くいる。


(武器を見せてるやつ、制服のやつは大丈夫だ……こっちは、地形がまずいか)


「その先を右に」


出来るだけ安全なルートを指示し、車はその通りに進んでいく。

そのまま数十分ほど、遠回りもしながら、俺たちは着実に渋谷支部に近づく。

渋谷支部まであと数ブロックというところで、俺たちは車を降りる。

この先は、冒険者が多い。

一般人が減れば、俺の【探知】では、例え敵がいたとしても、見分けることは難しい。

そうなれば、車は逃げ場のない棺桶に変わるし、運転手さんを巻き込んでしまう。

それに俺と乃愛だけなら、小回りも利く。

それを考えての編成なのだろう。

ちなみに玲の方には恋歌さんがついており、前衛後衛ともに化け物という編成となっている。


俺達はダンジョンに潜ろうと渋谷支部に向かう冒険者たちに紛れ、進んでいく。

だが――――


(やっぱ目立つよなぁ)


俺の顔が知られているというのもある。

だが乃愛への注目の方が高い。

深くフードを被っており、目元は隠れているが、口元だけでも可愛い子だと本能的にわかる。

人を惹きつける美貌は、玲と同様だ。

だが乃愛のフードから零れた鮮やかな金髪を見て、頬を引き攣らせて離れていく冒険者も多かった。


「………何かしたのか?」

「え、何が?」


きょとんとした乃愛の顔。

本当に心当たりがないのだろうか。

怖いから追及しなかったが、乃愛は屈強な冒険者に恐れられていると俺は知った。


そしてしばらく、進んでいく。

すでに【迷宮管理局】の渋谷支部が見える距離まで来た。

巨大で武骨な建造物は、ダンジョンを封じる蓋だ。

その建物の前には、大きな広場がある。

何事も無くここまで来れてしまった。広場を越えれば、渋谷支部の中だ。

……もしかして、妨害は入らないのか?

それならいいのだが。


「ねぇ、『オーブ』はどっちが持ってるの?」

「いうわけ無いだろ。知ってるのは俺と玲だけだ」


オークションでは、物品の受け渡しはその物品の所有者が行わなければならないと定められている。

これは過去に、高価なアイテムの所有者を殺し、所有者に成りすました犯罪者が代理人を名乗り、金を奪い取った事件があったため、定められたそうだ。

このような事件のリスクは、武力を生業とする冒険者の間では残念ながら起こりやすい。

必要な制度だが、今回ばかりは煩わしい。


【状態異常適応】の『オーブ』の所有者は、俺と玲の二人。

だから俺と玲は二手に分かれ、どちらが『オーブ』を持っているのか分からないようにした上で、同時に渋谷支部に向かっているのだ。

……【迷宮管理局】が信用出来れば、俺と【隠密A】で隠した玲の二人で中に入り、『オーブ』を渡すという手段が取れたのだが、今から行く渋谷支部の支部長は、かつて俺を襲撃した最有力の容疑者だ。

彼も、彼の部下である局属冒険者も信用できない。

まして敵と繋がっている疑いがある以上、何が仕掛けられているか分からない建物内部はまずい。

俺達があえて戦力を分け、見つかるように動いているのは、外で敵の主力をつり出し、殲滅するという狙いもある。


「………湊、周囲は?」

「冒険者が多いから確かなことは言えないが……下層レベルの冒険者は近くにはいない」


遠距離からの射線は、俺が警戒している。

近づかれても、乃愛なら返り討ちにできる程度の奴らしか、周囲にはいない。


「れいちーの方だとヤマ張ったのかな」

「分からないが、俺らは進むぞ。止まれば『オーブ』を持ってないと思われる」

「そーだね。れんれんもいるなら大丈夫か」


このまま何事も無く進めば、俺たちは入り口で玲たちを待って、合流し次第、4人で中に入ることになるだろう。

俺達は再び足を進めようとした。瞬間、渋谷支部の裏側で膨大な魔力が渦を巻いた。


「「――――!!」」


肌を突き刺す圧力、そしてその一瞬後に吹き付ける暴風に、俺たちは視線を細める。

広場にいた冒険者たちも、俺達も呆気にとられる。

今も周囲に暴風をまき散らしているのは、巨大な竜巻だった。

いったいどれほどの魔力を注ぎ込めばあれほどの大魔法を発動できるのだろうか。

俺は術者の魔力量を想像し、ぞっと肩を震わせる。


――――超級の魔法使いがいる、それも玲たちの方に


「乃愛!空から行け!」


俺の言葉と同時に、乃愛は石畳を割る勢いで宙へと跳んだ。

そして空中を踏みしめ、竜巻の元へと向かう。

俺は、【隠密】を発動させ、乃愛の後を追った。


俺が玲を助けに行けば、玲が『オーブ』を持っていると知らせるようなもの。

つい先ほど乃愛に言った言葉だが、状況が変わった。


恐らく俺も玲も乃愛も恋歌さんも油断していた。

敵を、以前俺を襲ったレベルを上限で考えていた。

まぎれも無い強者、しかしその上澄みである彼女達ならば、容易く屠れる程度の敵だと。


(甘かった……!こいつは普通の魔法使いじゃない!)


『オーブ』どうこうという話ではない。

2人が危ない。

俺は瓦礫を巻き込み、今もなお巨大化を続ける竜巻の元へと向かった。

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