『オーブ』引き渡しの朝

不明フーミンは中島の協力を取り付けた後、帰路に着いた。

道中、思い出すのは中島とのやり取りだ。

途中までは不明の思い通りに協力を取り付けられたが、最後に局属冒険者の介入を許してしまった。

不明の手勢を逃がすためだと中島は説明していたが、それを鵜吞みにする不明ではない。


(……私から白木湊を守るため、ですか)


中島は、不明が湊を殺そうとしていることに気づいていた。

湊が死ねば、ようやく進んだ冥層の攻略は停滞し、ダンジョン産業における他国からのリードを失うことになりかねない。

それを許容できない中島は、いざというときは湊を守るために、局属冒険者を不明たちの近くに配置することを決めたのだ。

不明はそれを拒否できない。あくまで表向きは、不明を逃がすための協力だからだ。


(落ちぶれても政治家の端くれ、愛国心は失っていませんか)


―――――だが、まるで『スキル』を理解していない。


不明は中島を心中で嘲る。

所詮はダンジョンを金の生る木としか思わない政治家の発想だ。

不明には、中島が何をしようと湊を殺しきる自信があった。


不明は、東京の郊外にあるレストランの前で足を止める。

店の扉にかけられたclosedの看板を無視し、中へと入る。

閉店後の店にも関わらず、そこには一人の男がいた。


彼の外見は、お世辞にも堅気には見えなかった。

スキンヘッドの頭には、所狭しとタトゥーが刻まれており、不機嫌そうな表情によって模様は歪んでいた。

威圧感のある男に怯えることも無く、不明はにこやかに笑った。


「明日、決行ですよ。仲間たちにもそう伝えてください」

「………分かっている」


男は低く、唸るように返した。

その様子に、不明は軽く首をかしげる。


「おや?明日はいよいよあなたの肩を射抜いた男に一矢報いるチャンスですよ?嬉しくないのですか?」

「―――っ、そもそもお前のせいであの男と戦う羽目になったんだろうが!」


不明の微笑みに我慢できなくなった男は、大口を開けて叫ぶ。

男の感情に反応し、その身から漏れ出た魔力が、店内の家具を吹き飛ばした。

魔力に物理的な干渉力は無い。

例外があるとすれば、魔力を変換する『スキル』を持つ場合のみだ。


暴風に晒されても、不明の余裕は消えない。

不明は男が決して自分を害さないと知っているからだ。


「いいのですか?私が死ねば、あなたはこの国で永住することになりますよ?」

「――――ふざけやがって!!」


男は母国語で吠える。

男は、東亜連国の出身だった。


東亜連国では、一般人がスキルを覚えることは許されない。

ダンジョンは軍の管理下にあり、『オーブ』一つであっても、売買すれば死刑になる。

冒険者という制度も無く、スキルを覚えるのは、ダンジョンに潜る軍人だけだ。


男は軍人ではない。

男は金貸しをしていた。

ある日、首が回らなくなった債務者がどういう伝か借金代わりに渡してきた『オーブ』を使い、スキルを覚えたのだ。


彼には才能があった。高い魔素許容量と膨大な魔力を持っていた。

彼は、スキルを手にした瞬間、強大な力を手に入れた。

だがそれでも、『国』に勝てると思うほど思い上がってはいなかった。


このまま国に残れば、いずれ管理下から消えた『オーブ』に気づいた軍が『オーブ』の行方を捜し、男に行き着く。そうなれば待っているのは死刑だ。

だから彼とその仲間たちは不明を頼り、他国への逃亡を企てた。


しかし目的地は日本では無かった。

ダンジョンを多く有する日本もまた、スキルを保有する犯罪者への対策網が整っており、魔法系スキルを保有する密入国者が暮らしていくのは不可能といえる。


彼の目的地は、南アジアの小国だった。

ダンジョン発生時の災害から未だ立ち直れていない小国に渡り、裏社会の王として君臨するつもりだったのだ。

だが不明に連れてこられたのは日本。

彼の助けが無ければ、出国することも身をひそめることもできない。


「大体約束は一度の協力だけだったはずだ!俺たちは血で払っただろうが!」


すでに、日本に渡った彼の仲間の半分は死ぬか警察に捕まっている。

それで十分だと男は主張するが、不明は軽く首を振った。


「ですが、失敗した。そうでしょう?一度した約束は最後まで遂げてもらわなくては」

「………約束は忘れていないだろうな。この件が終われば、俺を出国させろ!今度こそ目的地にな!」

「もちろん。私は約束を守る男です。安心してください、鱗武リンウ様」


苦々しく眉をしかめる鱗武は、ずきりと疼く肩の痛みを思い出す。

矢傷は今も、肩に残っている。


(あのガキを殺した後はこいつもだ!俺をコケにしやがって……!)


鱗武の殺意を受けても不明は、何も読めない薄ら笑いを浮かべていた。


□□□


『オーブ』引き渡し日、東京は異様な雰囲気に包まれていた。

出勤する会社員や学生たちは、駅や交差点付近で何度も警察を見かけることに気づく。

【迷宮管理局】に近づけば近づくほど、空気は張り詰める。

警察だけではなく、冒険者らしき者たちが、万全の装備を整え、主要な道を警戒している。

彼らは腕に、【迷宮管理局】の腕章をつけている。

『局属冒険者』たちだ。

警察と局属冒険者で二重の円を描くように渋谷支部を警戒している。

当初は、警察と局属冒険者の区別なく警備体制を敷く手はずだったが、昨夜、渋谷支部長中島が、連携に慣れない者たちを混ぜれば、混乱を招くと主張し、今のような形となった。


中島は、自身の執務室の窓から街を見下ろし、視界に警察車両が無いことに満足そうに頷いた。

その時、執務室の扉が突然開いた。


「アメリカの奴らがついたってよ、随分早起きだよなぁ」

「………本田、ノックをしろ」


まるで友人に接するように気楽な口調で中島に話しかけたのは、とても局員とは思えない男だった。

雑に刈った短髪に、手入れのされていない無精ひげ。

服装は、下層のモンスターの素材で作られた防具であり、他の局属冒険者と同じように腕章をつけている。


男は名を、本田重利ホンダシゲトシという。

中島とは大学で知り合い、中島は官僚時代から彼を護衛として雇っていた。

今は渋谷支部の局属冒険者のトップとして、局属冒険者をまとめている。


「アメリカ側に妨害は入れなかったようだな」

「だな。俺らで抑えとけってことだろうよ。いやあ、ありゃ無理だぜ?」

「お前でもか」

「当たり前だろ、勝ち筋ゼロだぜ。あの金髪の弓兵女にも勝てねえさ」

「奴らは気にするな。もし動こうとすれば外務省の兵隊共が止めるだろう」


アメリカの【ADS】の遣いとして来た以上、彼らは動けない。

彼らの役割はあくまで、『オーブ』を受け取った後の『オーブ』の防衛だ。

受け取るまでは静観するほかない。


「お前は不明の手勢を警戒しろ。もし、白木湊を殺そうとすれば、お前が助けろ」

「まったく、面倒なことばっかり言うよなぁ」


ぼやきながらも、出来ない、とは言わなかった。

その顔には、確かな自信が満ちていた。


「というかよ、そもそも殺せるのか?【オリオン】の【舞姫】やらが護衛につくだろうし、【冥層冒険者】は逃げに徹すれば、捕まえるのは俺でも無理だぜ?」

「そんなことは知るか。私は十分に協力した。その上で不明が失敗するならそれでいい。奴らの責任だ」


中島はどうでもいいと吐き捨てる。

中島の目的は、湊の生存と権力だ。

あわよくば、湊を助け、恩を売りたいとも考えている。

東亜連国とアメリカの勢力争いにも興味はない。ただ、かつて追いやられた政界に戻りたいという欲望が内で渦巻いているだけなのだ。


(そうだ、私には、もっと国のために役立つ地位につく義務がある。断じてダンジョンの支部長如きで終わる器ではない……!)


今回の件に協力したのはあくまで、東亜連国との縁を切らさないためだ。

むしろ、失敗するなら不明主導で失敗してほしいとすら思っていたし、失敗する可能性の方が高いとも思っている。

中島が知る限り、不明は戦えないし、彼の手勢はアジア圏から連れてきた犯罪者共だけ。到底【オリオン】に敵うはずもない。

だが、不明が何の策も無く、挑むとは思えなかった。

それが中島にとっては、ひどく不気味だった。


【迷宮管理局】のオークションでは、代理人を立てることはできない。

詐欺や盗品の販売を阻止するために定められた制度だ。

あと数時間で湊達は『オーブ』を持ってこの場に来る。


一方その頃、その日の主役でもある湊のマンションには、迎えが来ていた。

彼女はサイドで結った金髪を軽やかに揺らし、湊の部屋の前で立ち止まる。

すう、と息を吸って、艶やかな唇を開く。


「湊ぉ、どうして開けてくれないのぉ?私とは遊びだったんだーー!」


朝っぱらからご近所の評判を叩き落とそうとする悪戯猫の来訪に、湊は慌てて扉を開いた。

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