入団試験②
薄暗い森の中、彼女は静かに目を閉じていた。
この試験は『ダンジョン探索』を模している。
オリオン入団という蜜を参加者たちは取り合う。
これはいわば、探索の成果、貴重な『オーブ』や素材に値するだろう。
そして自身の力を示すため、戦う参加者同士は、ダンジョンのモンスターともいえる。
積極的に戦えば、危険が増えるが、戦わなければ試験に落ちるかもしれない。
二者択一を迫るこの構図は、成果のために、どこまでリスクを負うのかを浮き彫りにする。
貴重なアイテムであっても、危険なモンスターが守っているのなら退くのかどうか。あるいは挑むのか。
どちらが正しいというわけではない。自分の実力に相談し、決めればいいことである。
湊や雪奈という『レアモンスター』を狙い敗れた者は、その点では失格と言える。
彼らは身の丈以上の相手に挑んだのだから。
そしてダンジョンならば、あれがいる。
階層という生体系の頂点に立つ存在、時に理不尽な力で冒険者を蹂躙するその怪物。
探索という予定調和を打ち砕くその存在を、人々は『ボスモンスター』と呼ぶ。
暗い森の奥で彼女は目を開く。
碧眼には隠し切れない殺意が爛爛と灯り、高揚から歪められた頬からは、鋭い犬歯が覗いていた。
「時間だね」
ボスモンスターが解き放たれた。
□□□
「ふっ!」
「………っ!」
俺は迫る穂先を鉈で受け止める。
重く鋭い一撃に、肺の中の空気を一気に吐き出す。
流れるように繋がれる斬撃に、俺は後退するしかない。
「どうした?こんなものかい、【冥層冒険者】!」
失望したと言いたげな声音で、赤崎は槍を振るう。
「………期待に沿えなくて悪いね」
「全くだ。君がある程度は戦えないと、僕の評価も上がらない」
話ながら、じりじりと後退する。
赤崎は逃がすまいと距離を詰める。
「とはいえ、嬲る趣味も無いからね。さっさと終わってくれ」
赤崎は刺突の構えを取る。
あからさまな必殺の動きに、俺は反射的に鉈を盾のように構える。
放たれた刺突は素直な軌道で俺の胴体を狙う。
「【変速】」
だが刺突の速度が、突如加速する。
急な変化に対応できなかった俺は、無防備にその一撃を胴体で受けてしまった。
「――――ぐッ!?」
切れ味鈍化の魔法が掛けられているため、体が切り裂かれることは無かった。しかし、防具の上からとはいえ、鉄の塊を勢いよく叩きつけられたため、堪えることも出来ずに吹き飛ばされる。
樹の幹に背を強かに打ち付け、俺は息を吐いた。
「これが推薦組とはね……【オリオン】が君に力を求めているわけではないと分かっているけど、流石にこれは無いだろう」
――――本気でまずい。
俺は周囲を見渡すが、利用できそうなものは無い。
【隠密】は、相手に認識されている状態では使用できない。
相手もそれが分かっているのか、俺から視線を外す気配はない。
「………いいのか、俺ばっかり見てても。奇襲されても知らないぞ」
「……僕も探知系スキルは持っているからね。君ほどではないけど、気配には敏感だよ」
「そうか、それはよかったな!」
俺は隠していた投擲用のナイフを取り出し、投げつける。
赤崎はつまらなそうにナイフを槍の柄で弾いた。
「こんなものが通じると?悪あがきはやめてくれ」
俺は赤崎の言葉を無視して、思いっきり腕を引っ張る。
無手の俺の動きを見て、赤崎は怪訝そうな顔をしていたが、その瞬間、赤崎は足元を掬われ、大きく尻もちをついた。
何が起きているのか分からない。そう言いたげな彼の顔に、袋を投げる。
赤崎は反射的に顔に迫る物体を手で弾く。
その反応速度は流石だが、口を解かれていた袋は中身をまき散らす。
「――――ッ、あぁあああ!?なんだこれはぁ!!」
「唐辛子の粉末だよ。モンスター用に用意してたものだ」
俺の笛と同じ、モンスターを遠ざけるための小道具の一つだが、配信では見せたことはない。
隙をつけば引っかかると思っていた。
俺はロープにかけた【隠密】を解く。
これは、吹き飛ばされた瞬間に【物体収納】から取り出していたものだ。
俺の【隠密】は熟練度Aだ。Aまで上がれば、本来、自身にしか使えない【隠密】を他者や物にも付与できるようになる。
赤崎は俺に注意し過ぎるあまり、俺の手元にあるロープに気づかなかった。
だから俺はロープに【隠密】をかけられたのだ。
【隠密】をかけたロープを、ナイフの投擲と同時に放ち、赤崎の足元に巻き付ける。
後はそれを引っ張るだけで、赤崎は見えないロープに足元を掬われるというわけだ。
今、赤崎の意識は俺から逸れている。
俺は【隠密】を発動させ、姿を消す。
(もっと早くから使っておけばよかったな)
試験が長期化することを考え、魔力を節約しておきたかったのだが、使い時を間違えた。
(後悔は後だ。今はとりあえず――――)
「―――っ、どこに行った!?」
赤崎は真っ赤になった目から涙を流しながら、槍を構える。
油断なく周囲を睨んでいるが、その五感もスキルも俺を捉えることはない。
俺は木の上に飛び乗り、念のため数十メートル以上の距離を取る。
ここまで離れれば、数多の枝や葉が重なり合い、例え【隠密】が無くても俺を見つけることはできない。
そして俺は【物体収納】を発動させ、木の上に小さな箱を生み出す。
中には、俺の主武器である【7連式速射ボウガン】が入っている。
俺はそれを、赤崎に向けて構える。
今が彼を狩る最大の好機。
意識が研ぎ澄まされる。心から雑念が消え、照準の先に映る彼の中心に狙いを定める。
矢を放つその瞬間、俺は空中から凄まじい速度で迫る存在に気づいた。
俺は慌てて引き金から手を離す。
この動きは知っている。だが、まさか――――
「――――ッ、ようやく目が、あの男、どこに―――ッ!?」
赤らんだ眼を擦っていた赤崎はとっさに、槍を盾のように掲げる。
そして、激突した。
「うぉっ……!?」
「………へえ、受け止めるんだ、やるね」
甲高い金属音と共に、赤崎の身体が沈む。
細く白い腕が、赤崎の筋肉質な肉体を押さえつけるその光景は、出来の悪い嘘のようであり、俺達試験参加者にとっては文字通りの悪夢だ。
(柊乃愛……!?)
金糸のような髪が、光の加減で煌びやかに輝く。
物語の姫のように可憐な顔は、殺意と凶悪な笑みに彩られ、危うい魅力を漂わせていた。
【オリオン】有数の武闘派であり、玲に並ぶ実力者がすぐそこにいる。
俺達の敵として。
俺は【隠密】をかけたまま、全力で二人から離れる。
背後から鳴り響く剣戟音を聞きながら、俺は思考を回転させる。
(ダンジョン探索を模したこの試験……乃愛の役割はボスモンスター、あるいはイレギュラーだ。それはいい―――)
――――問題は、俺に気づいているのか。
(適当に森をうろついて赤崎を見つけた可能性は低い。となれば、どこからか見ていた)
乃愛は何らかの空中を移動するスキルを持っている。
それを使い、俺の【探知】の範囲圏外である遥か上空から俺を見ていたとすれば?
(野外演習場の結界の頂点は、俺のスキル範囲外だ。可能性はある)
なら、今俺がすべきは、一刻も早く身を隠すことだ。
【隠密】は、物理的に姿を消すスキルではない。
認識阻害により、相手に気づかれなくなるスキルだ。
そのため、相手に存在を疑われている状態では、見つかりやすくなり、その場にいると確信されてしまえば、【隠密】は解ける。
また、【隠密】状態では、姿や足音、匂いといった視覚、聴覚、嗅覚による索敵からは逃れられるが、触覚は誤魔化せない。
つまり、直接触られたり、魔法による広域の探知には無力だ。
(赤崎は俺を見つけられないから問題ない。乃愛はスキルが分からないから、距離を取らないと危険か)
十分な距離を取り、俺はボウガンを構える。
赤崎と乃愛の戦いは、直接見えないが、【探知】のお陰で把握できている。
射線も、【射撃軌道操作】を使えば、確保できる。
(まず狙うのは、乃愛だ)
だが引き金を引く直前、俺は再び【探知】の範囲外からこちらに迫る存在に気づく。
平野方面からだ。
(他の参加者か……先に片付けて―――!?)
次の瞬間、その存在から膨大な魔力が噴き出した。
それは、冷気へと変わり、森の一部を覆い尽くす。
急速に気温が低下し、木々には霜が降る。
(【氷魔法】……冷気が絡みついてくる)
一週間前の記憶がよみがえる。
マンションで襲撃された際のことを思い出す。
空間を自身の魔力で埋め尽くすことで、異物を浮かび上がらせる索敵方法。
魔法の感覚は、五感ではなく、魔法使い独特の第六感とでも言うべき感覚。
【隠密】の対象外だ。
「……見つけた」
涼やかな声が、静かな冬を越えて耳朶をくすぐる。
彼女は真っ直ぐにこちらを見ていた。
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