【迷宮管理局】
俺達が潜っている【渋谷ダンジョン】は、地面に空いた大穴から伸びるダンジョンだ。
モンスターの地上進出を防ぐため、地上には防壁が築かれ、ダンジョンを管理するための建造物が築かれた。
その建造物を運営するのは、政府機関である【迷宮管理局】だ。
日本国内のダンジョンの管理を担っており、元は小さな一部門だったが、今や省庁に匹敵するほどの権限を手に入れている。
ダンジョンから出た俺達を迎え入れるのは、分厚い金属の防壁であり、それを越えた先にあるのが、【迷宮管理局】の渋谷支部だ。
制服を着た局員がカウンターに並び、『オーブ』や『素材』の売却を担当している。
ダンジョンに潜るためには【迷宮管理局】の認可も必要であり、初々しい高校生ほどの少年たちが列になっている姿も春の風物詩だ。
多くの冒険者たちが行きかう場所でもあり、売店や食堂もあるため、喧騒が絶えることは無い。
初めてここに来た時は、雰囲気に気圧されたものだが、今となっては慣れたものだ。
相変わらず目立つ玲へと向けられる視線と隣に立つ俺へと向けられる探るような視線にも少し慣れてきた。
「湊先輩、私は素材を売却してきます」
「もちろん、50階層までの素材だけです」と耳元で小さく付け加えた。
「分かった、任せる」
俺はあらかじめ【物体収納】からバックパックに移しておいた素材やオーブが入った袋を渡す。
ちなみに【迷宮管理局】では、新たに見つけた素材やオーブは売らない。
なぜなら買いたたかれるからだ。
新素材、オーブの有用性は高い。
新素材は、新技術に繋がる可能性があるため、企業や研究機関に安くても1000万円、上を見ればきりがないほど高額で売却できる。
オーブに関しては、買い取るのが大金を稼ぐ冒険者である場合が多くなるので、億単位の値段で取引されることもある。
しかし新素材、オーブは、【迷宮管理局】では『
これは、冒険者からすればありえない価格だ。
だが【迷宮管理局】への売却にも利点はある。それは売却価格がある程度安定していることだ。そのため、一般的な素材やオーブは【迷宮管理局】へ、希少なものを売りたい場合はオークションにかけるか企業やクランに直接売り込むのが普通になっていた。
玲が売却に行ってくれたので、俺は手持ち無沙汰になった。
端により、スマホを取り出す。
俺が考えているのは、【ディガー】の素材と『オーブ』の売却手段だ。
どちらも市場に出回ったことのない超お宝。
売却手段も売却先も、数えきれないほどあるため、悩んでいた。
(俺はどっちもいらないし、玲とか【オリオン】が欲しいならそっち優先でもいいかな)
まあ、そのあたりは後ほど玲と話し合おう。
2人のパーティーで取った戦利品だ。所有権は玲にもある。
(どうなっても大金ゲットだな)
俺は興奮を押し殺す。
玲の意見だが、お金を持っている男は魅力的らしい。
俺も貧乏大学生を卒業できるわけだし、奮発しておしゃれして、班目さんをデートに誘おう。
ついでに、しばらく出来ていなかった装備の更新をしてもいいかもしれない。
これも全部玲のお陰だ。
【ディガー】を上回る敏捷と厚い毛皮と骨を断ち切る剣技、今思い出してもほれぼれする強さだ。
彼女の力がなかったら、冥層で狩りなんて出来なかった。
それに、行動に『戦う』というコマンドが増えたことで、探索も移動も俺一人の時よりも遥かに速くなった。
出来ればこれからもパーティーを組みたい。彼女と冥層を探索していくうちにその気持ちは強くなっていった。
(だけど、難しいよなー、クラン所属の玲とフリーの俺が組むのもあんまりよくないだろうし)
それに玲は人気配信者だ。
今回、俺が彼女の視聴者に歓迎されたのはゲストだったからだ。
それでも、俺を嫌うようなコメントはあったし、正式にパーティーを組むとなれば、色々と影響も出るだろう。
それを【オリオン】が認めるはずもない。
(そもそも玲にその気持ちがなかったら意味ないし)
思考がぐるぐると回り、纏まらない。
そもそも、まずは今回の成果を売ることからだ。
俺は大きく息を吐いて全てを忘れることにした。
すると、玲がこちらに向かってきているのに気づいた。
その背後には、制服姿の【迷宮管理局】の局員もいる。
玲の表情は険しい。
俺は面倒ごとの気配を感じた。
「湊先輩、局員の方が話があるそうです」
「白木湊様。少々お時間をいただけないでしょうか」
丁寧に、されど有無を言わせぬ口調で頭を下げる局員に、俺は小さく頷いた。
□□□
「おい、あれ」
「局員?呼び出しかよ。久しぶりに見たぜ」
「何したんだろうな」
「さあな」
「………あいつ、冥層冒険者か」
「横のは南玲だな」
「あいつら組んでんのかよ」
「だったら羨ましいわ」
「すごいスタイルだな、おい。同じパーティーなんて我慢できねえだろ」
めちゃくちゃ目立ってる。
ひそひそと囁かれる言葉を、【探知】のスキルが反射的に拾う。
そして最後の奴、正解だ。
探索中も何度も視線が引き寄せられるし、玲の距離が近いから偶に当たるのだ。
男子大学生にはいろいろきつい。
「何の話だと思う?」
「………冥層のこと以外、無いと思います」
「だよな」
どういう話だろうか。
素材や『オーブ』を買い取りたいという話だと予想しているが、玲の警戒した表情が気になる。
「まずは白木様からお願いいたします」
局員は、支部の中でもひときわ豪華な扉を示す。
俺と玲、別々なのか?
冥層のことを聞きたいなら、一緒の方が都合がいいと思うのだが。
「えっと、分かり「いえ、同時でお願いします。あまり時間が取れないので」」
「………分かりました。少々お待ちを」
僅かな間の後、局員は扉の奥へと消えていった。
残された俺と玲は視線を合わせる。
「どうした?」
「いえ、恐らくその方がいいと思ったので」
ほんの数十秒で局員は戻って来た。
2人同時で構わないようだ。俺たちは扉の奥へと通された。
その部屋は応接室のようだ。
淡い照明に照らされる内装は華美なものが多い。
その部屋の中で待っていたのは一人の男だ。
総白髪をオールバックに撫でつけているが、老人というわけではない。
40代後半から50代前半ほどだろう、姿勢のいい立ち姿と皺の刻まれた顔立ちは、息苦しい緊張感を醸し出している。
「初めましてだな、白木湊君、南玲君。座ってくれ」
彼の声は想像通り、低く、重かった。
着席を促された俺達は彼の対面に腰掛けた。
「私は【迷宮管理局】渋谷支部の支部長をしている中島量吾というものだ。普段君たち冒険者と接する機会はないから聞きなじみは無いだろうが、この【渋谷ダンジョン】の責任者ということになっている」
想像以上のお偉いさんだった。
そんな人に名前を憶えられていると思うと、変な汗が出てくる。
「私たちが呼ばれたということは、『冥層』のことでしょうか」
お偉いさんにも怯むことなく、玲は単刀直入に問うた。
中島支部長は鷹揚に頷く。
「そうだ。君たちの成した『偉業』に私もその上も大変満足している。なにせ、世界で初めて『冥層』探索を成功させたわけだからね」
彼の表情には喜色が滲んでいる。
『冥層』攻略は、【迷宮管理局】の最優先目標だ。
長らく停滞していたその目標が、自分の管理するダンジョンで進んだ。
それは中島支部長にとっても、利益があったのだろうと、部外者の俺でもわかる。
だが、それを伝えるためだけで呼ばれたはずがない。
玲も同様のことを思い、重ねて質問をする。
「………率直に聞きますが、素材とオーブの売却の件でしょうか?」
「そうだ」
中島支部長は即答した。
玲は驚いたように軽く目を見開く。
「私も率直に言おう。素材とオーブ、共に【迷宮管理局】に売却してほしい」
「それは……」
俺は眉をしかめる。
玲は冷めた視線を中島支部長に注いでいる。
【迷宮管理局】に売却しても損しかない。それが分かっているのに平然と提案してきた彼に、僅かな苛立ちも感じた。
だがそれは向こうも分かったのか、静かに言葉を続ける。
「売却額について不満があるのは分かる。だが、その損を呑んでも余りあるメリットを私は提供できると考えている」
「それは、何ですか」
「安全だ」
思いもよらない言葉に、俺は息を呑んだ。
だが玲は思い当たる節があるのか、黙ったままだ。
「これは本来部外秘なのだが、海外からの入国者、それもダンジョン経験者の入国が増えている。合法非合法問わずにね。狙いは十中八九君たちの持つ『冥層』の戦利品だ」
そう言う噂があることは、先ほど戦利品の売却方法を調べているうちに知ったが、それを支部長という政府関係者に伝えられた衝撃は大きい。
彼らが俺達と交渉に来たというのならいいのだが、もし奪うつもりなら……。
俺がその考えに達したことを見透かしたように、中島支部長は言葉を差し込む。
「早々に手放すに越したことはないだろう。確かに君たちにとっては大金を手にするチャンスではあるが、唯一無二の品というわけでもあるまい。また『冥層』を探索して手に入れればいい話なのだからな」
「ですが、それを【迷宮管理局】に売る必要はありません。『不明物』としてではなく、正当な対価で買い取っていただけるのですか?」
「いや、それは制度上できない」
つまり、一律百万円での買取ということだ。
その言葉に玲も怒りをあらわにした。
「それは、あまりに身勝手な言い分です」
「そんなことは無いと思うがね。もし売却してくれるのなら、この騒動が落ち着くまでの間、君たちの身の安全は【迷宮管理局】の支部長として守ると誓おう。特に白木君、フリーの君には今最も必要な手助けだと思っているよ」
「……それは、脅しのように聞こえるのですが」
玲は鋭い視線で中島支部長を睨む。
端正な顔立ちの美少女の怒り顔は、凄まじい威圧感があるのだが、この手の交渉は相手の方が一枚上手だった。
「そんなつもりはない。だが、我々【迷宮管理局】も組織として利益のない行動は出来ないんだよ。私が何の対価も得ずに君たちを助ければ、納得しない局員も出るだろう。それは分かってほしい」
「それで、どうだろうか」と彼は静かに俺達に問うてくる。
「「………」」
俺達は答えに困り、互いに顔を見合わせる。
大金と命にかかわることだ。即答は出来なかった。
「私は、湊先輩の決定に従います」
「俺は……」
「今ここで答えが出ないのなら、持ち帰ってくれてもいい。だが、時間の余裕は無いと思うがね」
「………分かりました」
結局、俺は答えを出せなかった。
「わざわざ呼び出してしまい、すまなかったね。特に南君、君は予定があったようだが?」
「……まだ余裕はありますので」
「そうか。……そういえば、私も配信を見させてもらったよ。南君の強さは流石だったし、白木君、君の技術にはさらに感嘆させられた」
「は、はぁ、ありがとうございます」
「そこでどうだろうか?雑談程度に考えてほしいのだが、うちの『局属冒険者』への指導をして欲しいんだ」
「―――ッ、それは!?」
玲は今日一番の驚愕を瞳に宿し、身を乗り出す。
それを見る中島支部長の視線は冷たく、礼を欠いた玲を咎めるようだった。
「それでだ、白木君。どうだろうか?もちろん十分な報酬は支払わせてもらうよ。そうだね、額としては5000万ほどだ」
5000万!?命の危険も無いただの指導だけでその金額は破格だろう。
それに教える相手も『局属冒険者』だ。『局属冒険者』というのは【迷宮管理局】に専属で雇われている冒険者のことであり、身元もしっかりしている。
揉め事になることも無いだろう。
俺としては悪い話には思えないのだが、先ほどの玲の反応が気になる。
そして中島支部長が見せた冷徹な表情も……。
「ありがたい話ですが、俺には荷が重いので」
「………そうか。この話は急いで結論を出す必要は無い。気が変わったら言ってくれ」
そうして、俺達と中島支部長の話し合いは終わった。
支部を出て、俺はようやく息を吐いた。
気付けば空はもう夕焼けに染まっている。
隣を歩く玲は、ずっと静かだ。
俯いており、表情は見えない。
「玲?どうした?」
「……………」
「玲?」
「ありえません!」
「うおっ!?」
急に大声を上げて玲に俺は驚く。
顔を上げた玲の表情は、苛立ちで歪んでいた。
ちょっと、いや結構怖い。
「えっと、中島支部長のことか?」
「当たり前でしょう、何ですかあの交渉は?あり得ません」
「えっと、具体的には?」
「あれはただの脅しです」
玲の過激な言葉に、俺は驚く。
「そもそも、【迷宮管理局】には、冒険者を支援、保護する役割もあります。対価が無ければ助けないなんて言い分は滅茶苦茶です」
「………それは確かにな」
「それに最後の『局属冒険者』への指導依頼、あれも問題です」
「そうなのか?」
まるでぴんときていない俺へと、玲は鋭い視線を向ける。
……これは、俺に怒ってますね。
俺が視線を逸らすと、玲ははあ、と大きくため息を吐く。
「あれは名前を変えた情報収集ですよ。指導という名目で湊先輩の持っている技術と情報を抜き取ろうとしてたんです」
「まじで?」
「はい。5000万は詐欺です」
「でも、俺が教えなかったらいいんじゃないか?」
「………これだから素人は……」
「ひ、ひどっ!」
「『局属冒険者』に美人局をさせて寝室で情報を抜き取る、契約書で縛る、方法はいくらでもあります。特に湊先輩には前者が効きそうですよね」
「おい、偏見だぞ!俺はそんなのには引っかからない自信があるね」
「………はあ。女性経験のない人ほど、根拠のない自身に溢れてますよね」
「………べ、別に無いわけじゃない!そんなに言うなら証拠だせよ!」
「………言ってもいいんですか?」
「え、なに、コワイ」
これ以上踏み込んだら、心に深い傷を負うと俺の勘が告げていた。
「ま、まあ、それはいいんだよ。………というか、そんなことするのか、【迷宮管理局】って」
俺は驚き半分、失望半分で呟いた。
「………【迷宮管理局】はダンジョンと冒険者を管理、保護する機関ですけど、ダンジョン産業の発展と共に省庁にも匹敵する権限と財力を持つようになりました。だから【迷宮管理局】は天下り先にもなっていて、上層部は大体官僚上がりか元政治家、秘書あたりです。彼らはダンジョンは金の生る木としか思ってませんし、冒険者は替えの聞く採掘者でしかありません。だから彼らに冒険者の権利を守る意識はありません」
「中島支部長もか?」
「そうですね。あれでもましな方ですけど。酷いのなら、国のために情報提供をするのは国民の義務だと平気で言ってくるのもいますから」
日本でも大手のクラン【オリオン】に属する玲は、【迷宮管理局】とも接する機会が多かったのだろう。
過去のことを思い出しているのか、玲は不快そうだ。
「じゃあ、あれも嘘なのか?海外から不法入国してる奴らが俺らを狙ってるってやつ」
「………全てが嘘ではないと思います。ですが、すぐに動くことは無いと思うので、早々に売却してしまいましょう」
「そうだな。………そのことで話し合いたかったんだ。よかったら【オリオン】で買い取らないか?」
「いいんですか?」
「当たり前だろ。所有権は玲も持ってんだから」
「………多分、オークションにかけた方が高く売れると思いますけど」
「それを待つのは危険って話だろ。さっさと売れるなら売っておきたい」
「分かりました。帰って聞いてみます。明日には結論も出るかと」
話がまとまったので、俺は玲と別れて家に戻る。
………そういえば、これからの話をするのを忘れていた。
まあ、明日でもいいだろう。今日は色々あって疲れたからな。
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