穴登り

(誰かいるな)


俺は大穴の上にいる二つの気配を捉えた。

公式さんから聞いた話と照らし合わせれば、この二つの気配が救助なのだろう。

なら、さっさと上ったほうがよさそうだ。


「登れそう?」


大穴に階段なんて親切なものはついていない。

自力でよじ登るしかないのだが……。


「登り切ります」


玲は真っ直ぐに俺の目を見てそう言った。

だけど、彼女の端正な顔には隠し切れない疲労が滲んでいるし、全身は痛々しいほど汚れている。

ここまで来ただけで限界だろう。


(配信に乗るのは困るけど……切らないって約束したし)


仕方がない。俺は割り切り、『スキル』を使うことにした。


『スキル』、それはダンジョンで手に入る『スキルオーブ』を飲み込むことで覚えることが出来る超能力のようなものだ。

スキルは時に冒険者にとっての切り札となる。


「【物体収納】」


俺はスキル名を唱える。

俺の前方の地面に、蜃気楼のように一辺2メートルほどの箱が生まれる。


「これは……収納系のスキルですか……!」


玲はかなり驚いた様子で息を呑む。


『まじか!』

『流石にいいスキル持ってんな!』

『億越えスキルってやつだろ』

『初めて見た!』

『見せてよかったん?』

『俺氏、冒険者。羨ましすぎて血の涙でそう』


「やっぱり珍しいんだ、これ」

「当たり前です。【物体収納】が宿ったスキルオーブは一つ一億越えで取引されるほどですから。実際には欲しがる冒険者が多すぎて、その取引に辿り着ける人も稀ですけど」


えぇー、そんなレベルなんだ……。

知らずに使ったのを後悔しそうだ。


「どうして急に出したんですか?」


玲は箱の取っ手をつんつんと突いている。

さらりと流れる黒髪をかきあげると、不思議そうな表情が露わになる。


「これがいるでしょ」


箱を空けると、中からロープを取り出す。


「どうしてですか?」

「え、だって縛らないと落ちちゃうじゃん」


きょとん、とした顔をしていた玲だが、ロープの使い道に気づいて顔を真っ赤にする。


「い、いい、要らないです!ていうか、自力で登れますから!」

「いや、無理でしょ。結構長いよ、この大穴」

「なら、ちょっと休憩できれば」

「それも無理。ゆっくりしてたらモンスターが来るから」

「~~~~~~~~ッ!!」


反論を失くした玲は、ぱくぱくと口を動かすだけの人形になってしまった。

俺は彼女に背を向けてしゃがみ込む。


「ほら、早く」

「………ぅうううっ!?わ、分かりました。配信切って来るので待っててください!」


『異議あり!!』

『そんなんなしよ!』

『おんぶされてる玲様みたい!』

『二人っきりはだめー!!!』


「うるさい!もういいでしょう、後は穴を登るだけなんだから!」


流れるコメントを無視して玲はドローンの電源を切った。

沈黙したドローンをポーチに仕舞い、早足で俺の元に戻って来た。

俺を見下ろすその表情は影になっているけど、赤くなっていると分かるほどで、普段の無気力そうな目は、恥ずかしさからか鋭さを宿している。

率直に言って、ちょっと怖い。

顔立ちが美人系だからか、威圧感があるが、それを言ったら爆発しそうだから言わなかった。


「……では、よろしくお願いいたします……!」


玲は覚悟を決めて俺の背に体を預ける。


「はい、よ――――ッ!?」


(やっわ……!)


同時に俺は背に押し付けられた感触に全ての語彙を失った。

とにかくすごい。存在感が凄い。

服越しなのに、こんなにわかるんだ……すげえ。


長い黒髪が首元をくすぐり、変な声が出そうだ。

バニラのような甘い香りもするし、俺は変な気になる前にさっさと立ち上がった。

玲を支えるために足に手を回す。

やはりこちらも柔らかい。

手の平から二の腕にかけて、女性らしい肌の感触と自分のものでは無い体温を感じる。


「………えっと、ロープ、腰あたりに回して」

「……はい。こんな感じで」

「あ、うん。多分大丈夫、だと思う」


配信が止まっていてよかったと、心の底から思う。

もしカメラが回っていたら、真っ赤な顔をした情けない男の顔が一生残る所だった。

これ、思ったよりも恥ずかしい。

ダンジョンの中だからか、妙な背徳感があるし、ロープを結ぼうと動かす度、玲が息を呑む艶やかな声が耳元でして、そのたびに顔に熱が集まる。


「じゃあ、登るよ」

「はい。お願いします」


俺は大穴の淵に手をかけ、登っていく。

動く度に押し付けられる感触を意識しないように、無心で次の足場を探す。

だというのに、そんな俺の苦労も知らず、玲は首元に回した手に力を込め、ぎゅっと強く抱き着いて来る。


「ちょっ、玲、もうちょっと離れられる?」

「何言ってるんですか?離れないように結んだんじゃないですか」

「いや、そうだけど……!」


そうだけどそうじゃない。

言葉にしにくいことだけに、困っていると、くすくすと、玲は耳元でこらえ切れないように笑った。

……こいつ、意外と余裕だな。


「なんだ。湊、先輩も恥ずかしいんじゃないですか」


「……そりゃそうだろ」

「平気そうに言ってきたので、慣れてるのかなって」

「女子をおんぶするのは初めてだよ」

「ふぅん」


離れろと言ったのに、玲はますますくっついて来る。

首元に当たる吐息で、彼女の呼吸を肌で感じられる。


「じゃあ、お互いに初めてですね」


耳元でぼそりと呟かれた言葉に、勘弁してくれと俺は心の底から思った。

それから大穴の上に辿り着くまでの10分ほど。どこまでも熱く、甘い彼女の身体に俺は理性の限界を試され続けた。

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