【天への大穴】

湊と玲は、平原と森の境を進んでいく。

湊が言うには、この階層はいくつかのエリアで構成されており、エリアの狭間は比較的安全だ。

だがそれでも、急に道を外れたり、止まったりすることは多かった。


玲にはその行動の意味は分からなかったし、湊も説明はしなかったが、きっとモンスターを避けているのだろうと推測できた。

だがそれでも、全てのモンスターと出会わないことは不可能だ。


それは、突然森から飛び出してきた。

雨音に紛れ、足音に玲が気づいた時にはすぐ真横にいた。


湊は玲の腕を引っ張り、位置を変わる。

腰から引き抜いた鉈を振り下ろし、爪を迎え撃つ。


雨の中、火花が散り、掻き消される。

お互いに後退し、一瞬の間が空く。

玲はそのモンスターの姿を見た。


長い爪に瘦せ型の身体。

黒い体毛に覆われた姿は、熊と狼を混ぜたもののように見えた。


明らかに危険なモンスター。

玲は加勢しようと立ち上がる。

次の瞬間、湊は懐から笛を取り出し、吹いた。


ビィイイイイ、という甲高い音が、響き渡る。


「何を!?」


『うるさっ!』

『なになに?』

『一瞬で全然わからん!』

『モンスターだよ!襲われた!』

『カメラも追えてないじゃん』


皆、湊の行動に困惑する。

だがモンスターは忌々しそうにぐるりと低く鳴き、森の中に姿を消した。


「ほら、急ぐよ」


湊は玲の手を取り、駆け出した。


「今のモンスター、どうして逃げたんですか?」


繋がれて手の大きさに意識を取られながらも、玲は気になっていたことを聞く。


「警戒心が強いから」

「……はい?」

「えっと、あの場所は平原に近いから、音に誘われて平原のモンスターが寄ってくることを警戒したんだ」

「それだけで逃げるってわかるんですか?」

「分かるよ。あのモンスター、痩せてたでしょ?多分森での縄張り争いに負けたんだろう。弱ってるから確実に勝てる俺達を狙った。でも、他のモンスターには勝てないし、そんなリスクを冒すほどには飢えてない」


もうちょっと飢えてたら襲ってきただろうけど、と湊は何でもないように答える。


「それを一瞬で見極めて、笛を吹いたんですか」


信じられない、という思いで玲は言う。

それをするには、モンスターの生態を把握し、なおかつ個体の状態を見極める目が必要になる。

それは、モンスターを討伐し、成果物を収集、売却することを生業とする冒険者の在りかたとは異なる能力だ。

言うなれば、『狩人』。


「モンスターも動物だから無駄に戦ったりしないし、種類によっては共存もできる」

「ダンジョンのモンスターは本能的に人間を襲う、というのが定説で、生態系を構築するという話は聞いたことが無いのですが」


『俺も冒険者だけど、あいつらダンジョンを徘徊して人間を襲うだけじゃん』

『有名な学者も通常の動物とは違う思考回路で動いてるって言ってなかったっけ?』

『どうなんだろ?何時間か前にいた学者さんいないの?』

『あの自称学者な』

『まだいるんじゃない?』

『いるよ。コメントで言ってるのは轟先生の「モンスターと通常生物の差異」って論文だよね。確かにモンスターは人を襲う本能が強いって結論付けられてるけど、下層に行くにつれて地上の生物と似通った習性が見られるようになるとも言われてるから、全く違うと断言するものでは無いね』

『おぉー、まじ学者だったんだ』

『ただのマニアかもよ』


「あー、コメントの人がほとんど言ったけど、冥層のモンスターはほとんど動物とおんなじだと思うよ。人を優先的に狙ってるけど、絶対に殺すって殺意はないし、リスクを感じたら退く」


『へぇー、確かに野生動物っぽいな』

『あの顔怖い獣型も実際逃げたしね』

『実際ダンジョン潜ったことあるやつからしたら、冥層は違い過ぎる』

『なんでそうなるんだろ?モンスターが賢くなるからとか?』


「俺の持論だけど、広くなるからじゃないか?」

「………広いってダンジョンがですか?」

「そうそう。上層や下層って狭いんだよ。だからモンスター同士の縄張りがかち合ってるから生態系も何もないし、モンスターも殺気立ってる」


『冥層見ただけだけど広いよな』

『水平線まであるもんね』

『家主さんの言う通りだとしたら、学術的に大きな発見ですね』


「そうなの?あんまりわかんないけど。とか言ってる間に到着です」

「え?」


『え?』

『もう着いたん?』

『はやない?冥層の常識は知らんけど』


「広いって言っても直径10kmぐらいだからね」

「そうはいっても早すぎますけど………」


流石に呆れを滲ませながら玲は言った。

これが常識でないことは流石にわかる。


50階層との連結路は巨大な大穴である。

通称【天への大穴】。

名前の由来はこの大穴を降りて生きて帰るものはいないからだ。

それを下から見上げている。

ただの暗い大穴だが、玲は感慨深そうにじっと見つめる。


「ふふっ」


湊は面白そうに玲を見る。


「………何ですか」


玲は頬を赤らめながら、じとりと湊を見る。


「いやあ、他の景色には興味無さそうだったのに、こんなただの大穴に見惚れるなんて変わってるなぁと思って」

「うっ……だって、私にとっては冥層の象徴みたいなものですから」


『あー、わかるなあ』

『どの冒険者もこの『大穴』越えに憧れるもんだしな』

『変な雨降る人食い森よりは冥層!って感じあるよな』

『照れてる玲ちゃん、可愛すぎる』


「それに、また来れるか分かりませんから」


愁いの帯びた表情で、玲は言った。

彼女は今日一日で冥層の恐ろしさを嫌というほど知った。

今の自分にはまだ早すぎる。

いや、再び来れる日はこないのではないだろうか。

そう思えるほど、玲は何もできなかった。


(だからこそ、彼は何なのかしら)


玲は大穴を見上げる湊を見る。

あまりに異質な冒険者。

彼は玲の前で戦うことは無く、階層を案内しただけだが、その行動の背後には玲には見通せない経験と知識があった。


(知りたいけど、教えてはくれないわよね)


それでもこの出会いは、長く停滞していたダンジョン攻略が変わる契機になる。

そんな予感を玲は抱いていた。


(でも、繋がりは出来た)


玲は、助けてもらったお礼を個人的に返すと約束している。

それは確かな縁だ。

また会って、話をすることも出来るだろう。

それを楽しみにしている自分を、いつもの冷静沈着な顔の下に押し込めて、玲は無表情を装った。

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