稽古
【1】
ベッドの上でハンナは、昨日のことを思い浮かべる。未だに実感がわかない。騎士団長から王命を告げられた時、死を覚悟した。グレーテもミナも父さんも死んだ。私だけが生きていて良い訳はない、これが運命なのだ。そう受け入れるしかないと思った。しかし、一人の若い騎士とクラウスが助けてくれた。
でも、まだ怖い。戦いたくない。
ハンナは歯を噛み、自分を罰するように拳を握る。二人が協力してくれるのだ。何を怖がることがある。
ここから逃げれば、父と正しく向き合えなくなる。一生、父は私の枷になる。それは若い騎士が言った通りだ。
「やるしかないんだ」ハンナは一人呟き、眠りについた。
翌日からクラウスによる訓練が始まった。ゼーフェリンク家騎士団は、一ヶ月で一人前になれと言ってきた。かつて父やクラウスから騎士としての訓練を一通り受け、剣の稽古はずっと続けていたが、にしても難題であった。
思った通り、剣技は褒められたものの、障害物を越えたり、持久力の試験は散々だった。
げえげぇと、地面に唾を吐きながら、堪える。全身から汗が吹き出し、骨や筋肉が軋んだ。辛い。嫌だ。逃げたい。そう思う自分を必死に抑え込む。グレーテやミナは死んだ。自分が逃げたからだ。
『そんなものかハンナ。期待していたのだがな、がっかりだよ』父の声が蘇る。
汗に涙が混じる。苦しかった。これが罰だと分かっていても、辛い物は辛い。
「少し休むぞ」クラウスが言い、ハンナはその場にへたり込んだ。もう動けなかった。その日は、疲れすぎていたのか、神経が興奮していたのか中々寝付けなかった。
翌日、寝不足のまま訓練を行ったが、頭痛と倦怠感で吐いてしまった。我ながら情けなく。涙を流した。
「ペースを上げすぎたかもしれんな……今日は戻って休め。汗を良く拭けよ」
ベッドの中で縮こまると、安堵と後悔が一気に押し寄せてきた。
次の日、奥さんと朝食をとっていると、
「辛い」ぽつり、と本音がこぼれてしまう。
奥さんは何も言わなかった。しかし、家具の隅の影から、
『お姉ちゃんばっかりずるい』
ミナの声が聞こえた気がして、ハッと振り返る。
「ハンナちゃん? 大丈夫」奥さんの声も素通りし、ハンナはスプーンを持ったまま硬直していた。
そうだ。私は生き延びたんだから、やるべきことをやらないといけないんだ。
ハンナは奥さんに頼み、髪を切ってもらうことにした。マガイにもみあげを切られ、不自然なのと、騎士として自覚を持ちたかったからだ。
「このくらいでどう?」
鏡を見ると、襟足が微かにある程度まで髪が切られていた。ハンナは愕然とし、鏡の中の少女を見つめた。鏡の中の少女の瞳は揺れ、呆然としていた。
これが私……
自分の中にあった大切な物が、なくなってしまったような気がした。心にぽっかりと空洞があいたような。
「あ……あ、ありがとうございます」言いつつも、鏡に映る自分が自分とは思えない。
奥さんは何か察したのか、部屋から出ていった。ハンナは床に落ちた髪を拾い、嗚咽した。
小一時間泣いた後、ハンナは稽古を始めることにした。しかし、今まで通りでは足りないというのは分かっていたので、様々な工夫を凝らす。
まず素振りの時間は減らし、より実技に近い稽古を行うようにした。その一つが、丸太に重りを付け、天井からぶら下げた的を叩く稽古だ。丸太は中が空洞になっており、分厚い皮が巻いてある。これは丸太を叩くと、向こう側に飛ばされ、それが重りで戻ってくるという訓練用の器具だ。
丸太は、重りが偏っている為、叩く方向や力加減によって戻ってくるスピードが変わる。丸太が戻ってくる前に、剣を構えられなければ、身体に鈍い痛みが襲う。また、丸太のスピードを見誤れば、身体を容赦なく殴打される。叩き方が悪かったり、手を抜けば、騎士達が声を荒げた。
何回かに一回、騎士たちが重りを変えるため、スピードを覚えることもできず、ひたすら動体視力と剣の腕を磨く。もちろん丸太をずっと叩いていたわけではない。ハンナは他の騎士に頼み、模擬戦を行えるように頼んだ。
ある日、ハンナが稽古場で練習をしていると中年の騎士がやってきた。父に仕えていた騎士で長い付き合いがある。
「ハンナちゃんが稽古場に来ると、空気が締まるね」中年の騎士が言う。
「それじゃ、模擬戦を始めようか」そう言い、木剣を構えると、中年の騎士の雰囲気が一瞬で変わる。
「今日もお世話になります」一言だけ言い、構える。
習った技術を全て使うが、全てはじき返され、そらされる。そして、何度も叩かれる。しかし、その打ち込みは軽い。
「思い切り叩いてください」ハンナは頭を垂れ、頼む。
「良いのか。クラウス?」中年の騎士は、指南役に尋ねる。
「う……うむ」クラウスは言葉を濁す。
「お願いします!」
「分かった。普段通りにやるよ」そう言って、騎士は木剣を振る。
ばしっ、と言う音がし、まず感じたのは熱。そして、身体の髄まで響く痛み。歯噛みし、耐える。涙が零れそうになる。
「大丈夫かい?」
「大丈夫です。もう一度、模擬戦をお願いします」そう言って、ハンナは木剣を構える。
そんな風に日々が過ぎていく。
何度も丸太が身体を打つ。打つ。打つ。打つ。丸太を打ち返す。
何度も木剣で殴られる。殴られる。殴られる。殴られる。殴り返す。
着実に実力がついてくる。しかし、日に日にクラウスの顔は曇るばかりだった。私が弱いからだ。ハンナは自分を恥じた。そして、練習をさらに増やし、内容にも工夫を加えるようにした。
丸太を打つと、音で当たりが良いか分かるようになる。模擬戦での立ち位置や、刃の確度や向きが自然と身についてくる。スピード重視で軽く打ち、相手の隙を作る術や、重い一撃で相手の体幹を崩す術を身体に叩き込んでいく。今まで頭で考えていた駆け引きを、自然とできるようにする。
一か月、ひたすら稽古を行い、技術を磨いた。指紋がすり減り、手の豆がつぶれ硬くなり、体中が痣だらけになる。奥さんに心配されるがそれでも続ける。
騎士とも五分五分で戦えるようにもなり始めた。それでも夜、枕元に彼らはやってきた。
『お姉ちゃんばっかりずるい』
『あんただけ逃げた』
『全く、不甲斐ない娘だ。お前は私の娘ではない!』
ハンナは布団にくるまり、耳を押える。千切れた部分から血が滴るような錯覚。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
私が弱いから、私の努力が足りないから。
そう言えば、今日の夕食の時、奥さんが、
「やっぱり戦地に行く日付を少し伸ばしましょうよ」
クラウスは、「うむ……」とまた曇った表情を見せた。
ハンナは何も言えず、うつむく。私が弱いから、私の努力が足りないから。
ハンナは夕食の記憶を頭から振り払い、枕に頭を押し付ける。それでも闇はいつまでもハンナを責め続けた。
【2】
連日の訓練は体がもたないため、同時にマガイに対する戦法も学ぶ。
《祝福》には、様々な能力がある。しかし、第一段階の能力は、ほとんどの者が同じだと言われている。それはマガイの驚異的な再生能力を奪う力だ。ハンナに目覚めた力も、多くのものと同じように、再生能力を奪うものだった。
ただ《祝福》の力は個人差がある。再生能力を完全に奪える者も居れば、ほんのわずかしか奪えない者も居る。ハンナの《祝福》は余りに弱く、現状ではないにも等しい。
「《祝福》の力が弱い以上、再生不可能な状態に物理的に追い込むしかない。つまり、剣を適切に使い、斬撃を行う」
クラウスは木剣を振るい、
「斬りながら、薙ぎ、遠くへ飛ばす。これを繰り返し、再生不可能な状態に細分化、それらが合体しないように距離を開けさせる」
硬質化した部分を避けて、マガイを一刀両断し、その破片を離れ離れにすることで再生を阻害する。なるほど、大した戦術じゃないか。ハンナは心の中でぼやき、聞こえないようにため息をついた。
「また、マガイは強い光に弱い。その為、朝から日中にかけては活動しない。逆に夜は活発になる。そこで」
クラウスは掌に収まるサイズの鉄の玉を何個か懐から取り出す。
「これは東洋で爆竹と呼ばれている非殺傷性の爆弾だ。強い閃光と衝撃を発生させる。これで夜間もマガイを撃退、威嚇できる。ま、斃たおせはしないがな」
ハンナは一つ受け取り、火打石で導火線に火をつけ、宙に放る。数秒後、白い閃光と共に耳をつんざく爆音がした。
これの投げ方も覚えなければな、と思い、無意識の内に大きなため息が零れた。
白銀の大剣よ、舞え 賢川侑威 @kawaibabu
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