第44話 夢中の行進

 退勤まであと一分。ここまで来ればいつもは何も流れてこない。アキは伸びをし、環はパイプ椅子にだらしなく腰掛け、壁掛け時計の秒針を目で追っていた。

 ──そんな時、ガチャリと音を立てて部屋のドアが開いた。

 こんなことはアキが働き始めてから初めての経験だ。廊下から勢いよく飛び込んできたのは白い制服姿の小柄な女性……ここまで走って来たのか息を切らし、苦しそうにぜえぜえと声を上げている。


「……私を匿ってくれない?というか今、外出ない方がいいよ?」

「えっ」

「貴方なら分かると思うけど。このフロアで『行進』が始まったよ。はあ……今から45分は帰れないね。死にながら帰るっていうなら話は別だけど」


 やや癖のあるベージュのショートカット。制服的には警備職員だろうか。女性というにはまだ若い、環よりかはアキに年が近そうな人だ。

 女性は荒い呼吸を整えながら胸のあたりを押えつつパイプ椅子の一つに腰かける。

 環は何かしら事情を知っているらしい──女性は入室して真っ先に環に声をかけたそして環もまた彼女が口にした「行進」というキーワードにぴくりと反応し、何度か頷いてみせる。

 一連の様子から察するにアルバイトに対して話せない、と言った内容でもないのだろう……然しながら45分帰れないとは一体どういうことなのか?


「アレは既定のルートを45分練り歩くだけじゃないのか?」

「そうね、本来はそう。ここまで言えば何となく想像はつくでしょ。今日は定期放出の日でしょ、その行進を新人が横切ったの。それでルートが変わっちゃった」

「ご愁傷様」

「待ってください、話に全然ついて行けないんですけど……」


 二人の視線がアキに注がれる。

 二人はここでようやくアキを置き去りにして話を進めていることに気が付いた。


「貴女とは初対面だったね。私はロラ、見ての通り警備職員。ああ……行進の話からした方がいい?二人ともドアの透過機能って使ったことある?こっちに来て」


 女性は何とか呼吸を落ち着けることが出来た様子。パイプ椅子からゆっくりと立ち上がると名乗り、所属を明かした後にアキに握手を求めてきた。そこそこ友好的な人のようだ。アキはロラの手を握り返し、自らも名を名乗る──環に関しては前々からロラとは顔見知りなのだろう。アキにはよく分からないアイコンタクトをして、こちらはこちらで話が済んだようである。

 自己紹介の後、ロラはアキと環に仕事場のドアの前に集まるように促し、ドアの脇にある蓋を外した──これまで気にはなっていたが、使う事のなかったボタン類だ。アキは何となくこれらを空調か換気扇の電源か何かだろうと思ってはいたもののロラ曰くこれは『透過機能』なるものらしい。

 ざっくりと言えばボタン一つでドアの向こう側の景色が見える。マジックミラーのような機能らしいのだが……女性が説明してくれているこの技術の開発元の組織の話やこれが多く取り入れられている施設やセクターの知識は全く頭に入ってこない。

 環に何故説明してくれなかったのかと尋ねると「何も聞かれなかったから」とぽつりと答えた。これはいつも通りだ。


「直接見せて大丈夫なのか?」

「別にグロくはないからいいでしょ。さあ、目を凝らしてアキさん。これが私達の残業の理由だよ。これから45分、たっぷり見ようじゃない」


 ドアの前に並ぶ三人。ロラはボタンの中の一つに指を載せるといつでも押せると言わんばかりに二人に視線を送った──断る理由も特に無いし、ここから透過機能を使わないで済むビジョンも見えない。アキが頷くとロラはほぼ同時にボタンを押した。

 ──途端にただの白いドアが、扉だった箇所が透き通ったガラスのように澄んでいく。ドアが一瞬にして透明になった技術にも驚きだが、アキは外の光景に思わず口を開けたまま固まってしまった。

 ……ドアの外、廊下にぎっしりと間隔を詰めてパステルカラーの衣装を着た人々が練り歩いているのだ。妖精のような蝶の翅が生えたもの、触角のカチューシャをするもの、顔中に顔を塗りたくったもの、スパンコールや宝石で飾られた衣装。何方かと言えばピンクやイエローといった暖色寄りの色合いだ。

 大半は人間の子供や、若い男女の姿をしている。人種は様々だ。 ……誰もかれもが張り付いたような笑顔で、大きく身体を揺らすような動作を伴いながら演奏をしているようだ。花やキラキラとした粉を撒くもの、ステップを踏むもの。

 そして人間どころか、馬まで混ざっていること──何度目を凝らしても所謂ユニコーンと呼ばれる架空の生物が廊下を歩いている。それもピンクの体毛、白いたてがみを編み込み、リボンでお洒落をしている有様だ。 

 アキは学校の芸術鑑賞会でミュージカルを見に行った時の事を思い出していた。


「この人達、誰なんですか?そして……なんで馬が?」

「何とも言い難いでしょ。私達はこれを『行進』って呼んでるんだけど。それの核になる奴が違う階にいるの。曜日を決めて定期的に行進させてるんだよね」

「それはエンタメの為に?それとも一種の福利厚生ですか?」

「まさか。行進をさせないと大暴れするからに決まってるでしょ」


 環は二人の隣で腕組みをしたまま外を眺めている。彼の場合は初見でもこんな調子かもしれないが、相変わらず動揺している気配は全くない。

 ロラは環よりいくらか丁寧な人間だって──彼女はこの「行進」の正体について粗方アキに嚙み砕いて説明しようと努力してくれた。

第一にこの「行進」は変異体の影響であること。普段であれば定期的に規定の曜日、規定のフロアを45分歩かせるように調整しているらしい……その方法というのが「普段は寝かせず、夢を見せないでおく」というものらしくアキはそれが何となく拷問のように感じたが、一先ず頷いておいた。

 アキが入社してから今までもずっとこの行進は行われていたが、気付くことがなかったのは「行進を横切らない、行進の邪魔をしない」というルールが厳守されていたからだという。それが破られた今日、この一団は別のフロアを歩き始めたということらしい。ロラは元々このフロアの警備をしていたのだが、そのミスについては通信機で聞いたのだそうだ。

 ──そしてずっと寝かせないとどうなる?という質問に対し「暴れる」という回答になるらしい。口ぶりからして、ロラや施設はそれを経験しているのかもしれない。


「アレは遠いセクターの郊外に湧いたらしいよ。役人達が駆除しようとしてたのは知ってる。それで手酷い被害を受けたこともね」

「やっぱり異星人の襲撃の後に?練り歩くだけなら放っておけばいいのでは?」

「あいつらには実体があるし、何よりあいつらが通った後は花びらだらけになって掃除が大変なの。そして何よりうるさい。ここは一部屋一部屋の防音設備がしっかりしているけど、一般住宅となるとそうはいかないでしょ。深夜にアレが出たらどう思う?」

「確かに最悪ですね。で、どんな曲なんですか?」

「……聞くに堪えないハッピーな曲とだけ。一応45分きっかりにスタート地点に戻ってあいつら自体は消えるんだけど」


 アキが行列に目を凝らすと確かに様々な楽器のような物を持った人間を複数確認できる──楽器と断言出来ないのは、それらが既存の楽器を模った花や葉で編んだものであるためだ。まるで妖精の世界に迷い込んでしまったかのような小物たち。相当な資金力を持つ劇団に匹敵する小道具だ。然し、実際あれらから音が出ているという。一体どのような原理なのだろうか。考えるだけ無駄だろうか。

 一体、外ではどんな曲が演奏されているんだろう──アキは好奇心からドアに手を伸ばしたくなったが、ドアノブは先程からロラが握ったまま。もしかしたら自分が乱心してドアを開ける可能性を考慮してなのかもしれない。

 アキは黙ってドアの向こうへと視線を戻した。


「そしてアレはね、うちが大金を叩いて買ったものでもあるの」

「えっ!わざわざなんでこんな災害を引き込んだんですか?」

「博物館でも作ろうとしてるんじゃないか」

「それを言うなら動物園でしょ。わざわざあんなものを引き取って利益が出るとは思えないよ。再生事業には無関係じゃない。お陰様で面倒なルールや雑用が増えてるっていうのに……」


 環が投げやりになる気持ちも出来る。

 少なくともこの場における三人の気持ちは一つだ。災害博物館でも作るのか?或いは軍事利用でもするつもりなのか?──三人は「分からない」で意見を一致させるとアキや環と比べていくらか多忙なロラの愚痴を聞くフェーズに入っていった。


「エイリアンや国外の知的生命体を捕獲したって企業もあるぐらいだし、代表が変な物を引き取ってくるのは別にいいの。普段はマニュアルに沿って対応するから死んだりしないし、今だってこうして死なないで済んでる。ただひたすらに面倒なだけだよ。それだって手当て付くからいいけどね」

「は、はあ」

「マニュアルは作るまでが大変なの」


 ロラが背後を振り返った時、隣にいると思っていた二人は床に腰を下ろしていた。45分間立ちっぱなしというのは流石に苦行だったか──ロラは溜息を吐くと勢いよく白い床の上に腰を下ろし、胡坐をかいた。

 まだ終了までには余裕が有る。アキは床に手を付くと三人分の白湯を取りにゆっくりと立ち上がった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る