第46話 私も知ってる

 ベルトコンベヤが一つのビー玉を運んできた。

 透明な球体の中に青い螺旋状の模様が入った硝子の球。手に入れようと思えば何処でも買えるような代物であり、この国においても珍しくない。子供時代に持っていた人間も決して少なくないだろう──アキと環もその一人だ。

 二人はベルトコンベヤの上のトレーを見下ろすと、アキが先にビー玉に手を伸ばした。


「小さい頃、同じの持ってました。これは私の物じゃないと思うんですけど」

「奇遇だな。俺も昔、似たような物を持っていたことがある」

「おもちゃ箱をひっくり返した時なんかにこういうのが出てくるじゃないですか。お気に入りでも何でもないけど、底に入ってるような感じ」


 アキは昔、おもちゃ箱を持っていた。

 近所の子供に譲ったり、児童館や学校のバザーに出品したりと年々中身は数を減らし、最後にはベッドの上に一つぬいぐるみが残った程度。17歳にもなるとどんなものを持っていたのか大まかにしか思い出せない。

 それでもビー玉を持っていたことだけは記憶している──具体的にビー玉を使って何をして遊んだか、誰が買ってくれたのか、はたまた拾ってきた物なのか。もしかしたら学習机の引き出しの中に入っていたものかもしれない。

 これは偏見かもしれないが、小さな子供はこうした名前のない思い出の品を複数持っている気がする。環もまたアキと同じことを考えていた。

 アキにとっては環がビー玉のような玩具を持っていることが少々意外だったが、誰しも子供時代を過ごして現在があるというものだ。


「先輩は何処でこれを買いましたか?私の場合は多分、雑貨屋に行った時に親の買い物のついでに買ってもらった物だと思うんですけど……うーん。どうでしょうね、記憶が曖昧なんです。でも必ず家には持ち帰ったですよ」

「俺は外で拾ったな。家の前に落ちていた」

「ああ、そういうこともありますね。名前を書けるものじゃないですしね」


 おぼろげな記憶だが、アキは12歳前後まで親が出かける時には何処へでも連れ回されていた記憶がある。当時はその所為で友達と一緒に遊べないという不満があったものの親としては恐らく防犯目的で自分を連れて行ったのだろう。家からそう離れていない距離であっても親は必ずアキを連れて行った。

 それでも子供時代のアキがそれを理解出来るわけもなく、親は不機嫌になったアキに安いおもちゃを買い与えることがあった──これはその時に与えられた物の内の一つだろうか?

 一方でアキは環の言うビー玉の入手経路のことも十分に理解出来た。公園やマンションの通路などにはたまに子供にとって宝のような物が落ちてい。

 アキも親に内緒で何かの部品や、綺麗な物を何度か持ち帰った。おはじきにヘアピン、色ガラスに透き通ったBB弾。今思えば邪魔にしかならないガラクタなのだが……このようなエピソードが環にも有ると思うと何となく親しみを感じる。


「どうやって手に入れたかは思い出せないんですけど、これを友達に自慢しようとしたことははっきり覚えてますよ」

「俺も同じだ。勿論、幼少期の話だが……」


 ──夢だったのかもしれない。

 これは真顔でする話なのか。環は顎に手を当てやや斜め上の方に視線を向けながらいかにも思考中の素振りを見せている。

 綺麗な物や珍しい物を友達に自慢したがるのは何処のセクターの子供も共通なのだろうか?──アキはいくら少年時代と言えども環のような人物がおもちゃを友達に自慢する様子が思い浮かばなかった。

 本人にとっては恥ずかしい過去ではないようだが、何よりギャップが激しい。アキは数度手元のビー玉と環の横顔を往復するように視線を送る。今回は二度見では済まなかったのだ。


「分かってますよ。でも結局家の何処を探してもビー玉が見つからなかったんですよね。先輩の方はどうでしたか?無事に自慢出来ましたか?」

「いや、出来なかった。家に帰るまでに落としたらしい」

「家の前で拾ったんですよね?」

「確かに服のポケットには入れた。それから机の引き出しに保管した」


 これだけ小さな物を子供が紛失せずに保管するのは難しいかもしれない。然しアキにも環にも子供なりにしっかりとビー玉を握り、自分なりの「安全」な保管場所にそれを取っておいた記憶が存在している。

 アキの場合は自分の不在時におもちゃを捨てたのではないかと親を問い詰めたが、両親は揃ってアキのおもちゃには手を付けていないと否定した。実際プライベートはかなり尊重されていた方だと今になって感じる。子供部屋を荒らされたり、引き出しからおもちゃ箱に至るまで両親はアキの世界に手を付けたことはなかったのだ。

 環の場合はビー玉一つにそこまでの執着心は無かった。無くしてしまったのならそれっきり。元から自分の物ですら無いのだから。

 

「うーん……考えられる可能性としては短い時間で無くしてしまったか、そもそもこんなビー玉手に入れてないのかもしれません」

「俺も一度はそう思ったんだが、やはり持って帰った記憶を否定出来なくてな」


 アキは環に一度ビー玉を手渡した。覚えがあるなら一度近くで見た方がいいだろう。環は右手でビー玉を摘まむと部屋の照明に透かし、白く光る輪郭と球体の内部に座す螺旋模様をじいっと眺める──そしてこれと全く同じものを持っていたという確信を得る。二十年以上前の話だが、何故かこんなくだらない事柄に対し確信を持ってしまっている。他により価値の有る遊び道具を沢山持っていた筈なのに。


「手元に現物が無いから当時は誰にも話さなかったが」

「はい」

「後日、友人から全く同じ経験を聞かされてな」


 当時、環は友人からその話を聞かされた時に食らいつくようにしてビー玉の特徴を訪ねていた。友人には困惑気味に「まさかお前が落とした物じゃないだろうな」と要らぬ心配をかけたが、幼いこともありとても偶然とは思えなかった。

 アキの言う通り子供は綺麗なもの、特に光物には目が無いように思う。成長してから近所の子供にあげてしまったとはいえ環にも以前は宝物があった。大きさや数に個人差はあれど──誰もが一度は通る道なのだろう。


「怖い事を言っていいですか?」

「何だ」

「実は……私の場合『つい最近まで持ってたんだ!』って友達に自慢したんです。現物が手元に無いのにですよ。威張りたい年頃でしてね。情けない話ですけど」

「……それで結果は?」

「友達みんなが同じことを言ったんです。皆つい最近まで持ってたんだって。拾った場所の記憶とかはバラバラだったんですけどね。ああ、こんなに皆が拾っている物なら珍しくも何ともないんだな~って子供ながらガッカリした記憶があります」


 当時は呆れちゃったけど、今考えるとまあまあ怖いことですよね。

 アキは苦笑しているが、環には全く笑えなかった。恐怖と言うほどでは無いのだが、何とも言えない気味の悪さがある──紛失したという主張を確かめる術がなく、いくら子供と言えどビー玉一つに嘘を吐く必要がまるでないだろう。

 そもそもアキと環の故郷とでは文化も距離も遠くかけ離れている。更に言えば、二人が子供時代を過ごした年代も異なっている。その上で両者とその友人達が似た経験をしているのはどうにも引っかかった。

 ビー玉を拾ったか否か──そんなことを解き明かしたところで何にもならないのは承知の上ではあるのだが。

 環はぼんやりと施設内の知人達の顔を思い浮かべた。

 誰にでも子供時代は存在している。今度それとなく誰かにビー玉について聞いてみようか……。

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