「生の循環」

 女は青年を親友に会わせると言った。

 施設の代表ともあれば施設というテリトリーの中でも自分のような見ず知らずの人間と二人で行動することは無いだろう。そう思っていたのに。

 前を歩く女──フレデリーク・マリは護衛も付けず青年を連れ、幾つもの階段を降りまた通路を横切った。方向感覚が狂うほどに代わり映えのしない白い施設。彼女の施設なのだから道順が頭に入っているのは当然かもしれないが、一度で道を覚えるのは至難の業だ。青年は早々にルートを覚えることを諦めた。もっとも紙や電子機器を持ち込みメモを取ることも出来ただろうが、堂々と出来る事ではない。ただでさえこの後自分の記憶に手が加えられるかもしれないと言うのに。

 何度か別の場所から異なるエレベーターを乗り継いで辿り着いた地下──エレベーターを降りた先に小部屋と呼べる程度のホール、そしてその先に一つ扉があるといったシンプルなフロアだ。左右を見渡しても階段や通路の類は無いため、この部屋の為だけに用意された階なのだろうか。

 この施設は下に長く続いている構造らしい。思えばこのフロアに辿り着くまで二人は誰とも擦れ違わなかった。青年が周囲を警戒している矢先、フレデリークは靴音を鳴らし扉の元へと歩み寄る。


「足元に気を付けるように。平らな靴で来るようにと言ったのは正しかったな。まあ、君は元々運動靴かスリッパしか履かないだろうから。要らない心配だったか」


 扉の中で待ち受けていたのはただただ暗い部屋であった。気休め程度に薄暗く照明が付いているだけで、足元は真っ暗闇──否、床が黒く塗られているのかもしれない。一瞬床がガラスで出来ているだとか、大きな穴が有るだとか……或いは目の錯覚を疑ってはみたものの、先を行くフレデリークは迷いなく真っすぐ歩いていく。

 その背中を眺め、数歩遅れて青年も彼女の後を一歩一歩慎重に歩みだした。床とは言われているが、先ほどから靴に伝わる感触があまり良くないとは思っていた。何かの液体で濡れているだとか、床が壊れているというわけではないのだが。何となく靴底から伝わる感触はやや凸凹としていた。ざらついているという表現も適切かもしれない。


「これが何か分かるかね。君のことだから何となく察しは付いているだろうが」


 フレデリークは部屋のある一点で唐突に足を止めた。青年は思わず躓きそうになりつつも何とか持ち堪える。この部屋で前のめりに転ぶことは何となく憚られた──何か足元に剃刀でも敷き詰められているような居心地の悪さを感じていた。

 彼女の問いに青年は首を横に振った。親友の遺体を安置しているのでは、或いは親友の肉体を良からぬ物に改造しているのではないか……そういった類の最悪のケースはいくつか用意して望んではみたものの、現状そのどれもが正解ではない。

 親友の棺は何処にもなく、また逆に生きて自分を出迎える姿も部屋には無いのだ。

 

「私はあの製薬会社から君を引き取った。私は君が欲しかったし、あそこが君に執着するとは思えなかったから。実際その通りになったな。我々は良い取引が出来たと思う」


 フレデリークは制服のポケットに手を突っ込み、天井を仰いだ。

 心底愉快そうに、友人に笑い話を話すようにしてた青年の過去をなぞっていく。

 何者かが大規模な製薬会社に青年の存在をリークし、星間就労違反法を理由に彼の職場を潰させたのだ。それは製薬会社にとっても有益な情報、彼等にとって青年達の研究は「害」であり、略奪しなければならないものだった。少なくとも世に出れば自分達の立場が揺らぎかねない。

 企業だけでなく国……監察局が動いたのは偶然かもしれないが、それでも区画を統治する一組織が武力を用いれば中小企業の命など呆気なく散るだろう。

 強制執行の後に残された命があるとすれば大抵碌な目に遭わない──この青年が正にそうだ。職場と親友を失い、禁忌を犯した企業の元従業員という肩書だけが残っている。この女は青年をそうした地獄から掬い上げた人間である。

 製薬会社に捕虜として監禁されていた時から名前こそ、テレパシストを通じて聞いてはいたものの面と向かってその事実を本人から知らされることなるとは。


「こうして昔話をするのには訳があってね。君の親友はあの後どうしたと思う?勿論、私達は殺してなんかいない。そう、我々は彼女を見つけただけだ。」


 青年はいくらかこの国に慣れていた。殺伐としていて、善人と言えるような人間に出会えたことはそう多くない。ぼんやりしているとすぐ足元を掬われる。友人、親友、恋人。時に家族になったとしても常に互いに一枚壁を張って接しているような猜疑心の強さ。それがいつの間にか自分の中にも培われたようだ。あらかじめ相手に「底」を用意しているから、いざ残酷な事実を突き付けられた時に感情を抑えることが出来る。この国の人間達はそうして過ごしているような気がする。

 その思いとは裏腹に震える青年を前にしてフレデリークは軽くぱちんと指を鳴らした。それと同時に照明がいくらか明るくなり、目が眩む。


「運んでくるのにも骨が折れたよ。大変だったのは転送だけじゃない。転送にかかる人員が膨大かつ、転送作業に関わった人間の記憶を抹消するならそれにもコストと時間がね。だけどそれをするだけの価値があったのさ。君の友達には」


 部屋の面積は把握しきれなかった。作り自体は商業施設の巨大な地下駐車場を複数繋げ更に広大にしたような無機質かつ色の無いものであったが……いくら地下のフロアとはいえ、ここまで広々とした空間というものは中々お目にかかる機会はない。兵器の格納庫と言われても納得してしまう雰囲気だ。手が届く距離にはないものの壁の材質はコンクリートのように思えたが、より強固な素材かもしれない。

 そして内装がいくらか明らかになった時、青年は自分達が踏んでいる床がフローリングや大理石といった平らなものではないことに気が付いた。それどころか下の階に人が落下しない程度の穴ではあるものの所々に隙間が空いている。明るさに目が慣れてくるとそれが一枚の黒い板ではないことを理解する──箱の中に管や配線をぎっしりと敷き詰めたような床だ。更には所々ざらつきがあり、凸凹としていて一枚の板と呼べるかすら分からない。そのような管を穴の上に束ねるようにして掛け、その上に立たされているだけかもしれない。


「ご友人は満身創痍の身体を引き摺り、遂には膝を付いた。命を手放しても夢だけは終ぞ離せなかったようだ」

「これが彼女だと言うのか?」

「そう。聞こえてこないか?ここにいると私も時折彼女の夢を見るよ。彼女とは会ったことも話したことも無いのにね。あの日転送に携わった職員も何人か死んだけど、その場で生き返ったよ。これが彼女の願いなのだろうね」


 二人の間に言葉は要らなかった。

 女も青年も共に自分達の足元に横たわるものを知っている。青年の探し求めていた親友であり、これは不審死の亜種とも呼べる個体だ。この国に住んでいれば不幸にも遭遇することがあるかもしれない存在──宇宙人の用いる適性兵器は原因不明の不審死を齎すが、同時にこうした変質を遂げる者がいる。その変容も十人十色だ。そしてその変化者もまた不審死を媒介することがある。まったく無害である場合もあれば、傍に立つだけで生物を殺める個体や環境を変える個体もいるだろう。

 そうした特殊事例の克服までは至らずとも、この国は早期に特殊事例対策局なる部署を立ち上げていた。襲撃が起きればその区画を封鎖し、その中にこのような者がいれば捕える。住民達を隔離するのも役人の仕事だ。対応は早いと言っていいだろう。

 ──親友は生きているが、人間としては死んでしまったのだ。

 有益だからこそ残っているのだろう。それでもこうなるのであれば、あの時二人で死んでいた方が余程良かった。自分の死後も恐らく搾取に終わりはない。この企業が滅んだところでまた別の引き取り手が現れる。何処にいたとしてもこうなってしまった以上、この国に親友の居場所は無いと言っていい。


「彼女を介して、命が戻ってくる。まあ、それには一定の法則があるけれど……人間に有るまじき死因を無かったことにする。これは素晴らしいことだよ」


 名前を考えてやるといい。君が一番親しかったんだろう?

 青年は俯き、沈黙から立ち直れないままでいた。この女が親友に手を下さなかったのは事実だろう。それなら親友は人間のままで何処かに転がっていたのだろうから。

 青年が一歩後退った時、靴越しに伝わる夥しい数の凹凸が鱗であることに気が付いた。

 

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