第30話 監察局

 ベルトコンベヤがトレーを運んでくる時、内容物は小型であることが大半だ。

 掌から落としたらどこかへ行ってしまいそうなものであったり、虫や鼠の死骸といった生物の類も大半はトレーに乗ってくる。そのため環は遠くからトレーが運ばれてくるとつい身構えてしまう──そもそもこのベルトコンベヤが従業員に対し、有益な効果を齎す物品を運んでくる事の方が稀なのだが。

 それでも彼にとって容器付きというだけで虫が出てくる可能性が高いだけ、十分に恐ろしいものであった。そして今日もトレーが流れてきた時、環はアキの背後に立っていた。アキに言えば笑われる自覚はあるものの、環は他者が最初に内容物を確認し、事前情報を得ていた方がいくらか精神的なダメージが少ないと信じている。


「ただの布切れですね。爆発したり、光ったりとかはしないと思います」


 アキの言葉に環は彼女の隣に立つように前方へ一歩踏み出す。

 トレーの中には所々まばらに汚れた白い布切れが一枚置かれていた。酸化し黒ずんだ血液で疎らに汚れ、かえって元々の白さが際立っている。丁度環の掌と同じぐらいの大きいとは言えない布の欠片だ。

 アキはトレーから布を摘み上げ目を凝らすと血痕の下に線上の模様を発見した。模様──これは刺繡だ。白い布地と銀糸の組み合わせで至近距離まで近付けないと気付かない意匠ではあるものの手が込んでいる。


「元々は上等な衣服だったんでしょうかね。随分と丈夫そうですけど。血に汚れてますし、引き千切れてるって時点で穏やかじゃないですね。もしかして富裕層狙いの犯罪の証拠品だったり?」

「これは監察局の制服だな。役人の中でも珍しいぞ」


 アキの指に摘ままれた布地が空調の風を前に鈍く揺れる。

 自らが所有する私服は夏服でなくとも風を受けると情けなくペラペラと揺れるような安価な粗悪品が大半である。ただ摘まんでいるだけでも自分には縁遠いものだと思い知らされるようで、アキは何となくトレーの上に布切れを戻した。


「監察……」

「思い出さなくていいぞ。滅多にお目にかかることは無いからな」

「道理でしっかり習ったことがないなと」

「国が組織団体に強制執行をやる時に出てくる連中と言えば分かるか」


 環の横顔には相も変わらず色が無い。これといった動作も無い。

 今さらりととんでもないことを言わなかった……?

 学校に通える子供であれば役人の仕事を一時期暗記させられる事だろう。例に漏れずアキもそこに含まれる。国防、治安維持、国境警備──大半が戦闘に携わる事だった記憶がある。戦争をする際の仲介をするのも役人、またアキの地元が襲撃を受けた際にマンションを封鎖していたのも役人である。調べれば小難しい名称が幾つも出てくるのだろうが、義務教育の試験では点繋ぎや選択問題が良いところで時期を過ぎれば頭から抜けてしまう。役人を志望しているなら別問題ではあるのだが。

 そのような認識だからこそ監察局と言われてもピンとこないのが正直なところである──最初から覚えなくていいというあたり、すっかり自分の扱いを心得ているようだ。強制執行の件と併せ、漸くアキの中で点と点が繋がっていく。


「監察局の中でも役割があるようだが。平和的なのと平和的じゃないものが」

「これは平和的じゃない方なんですか?」

「ああ。後者は普通血痕が付くような仕事をしないから」


 厳密には刺繍が若干異なるものになっている──環は掌の上に布を乗せ、指でなぞりながら呟く。

 アキをはじめとする一般市民のイメージはこうだ。

 この国の政府と呼ばれるもの、その頂を国民は知らない。何となく各局の長が、区画の統治者達が定期的に議会でも開いているんじゃないか……実際行われてはいる。定例行事自体は存在するのだが、その彼等を統括する存在を知らないのだ。

  政府が存在し、その手足となる部署がある──そこで働くのが役人達。そして各区画を治める組織団体の統治者がいる……アキや環は民間企業の末端の所属だ。

 その中で「国の形を維持する」最たるものが監察局。見定め、監視し、害を除去する者。普通に暮らしている分には一生接することは無いだろう。現在の政府の樹立と同時に作られたのが監察局であり、彼等は監視者の代理人であるとされる──監視者はこの国で言うところの「王」なのだろうか?


「はあ、先輩は監察局の役人に会ったことがあるんですか?」

「前職の時にな。有ると言えば有るんだが、証拠も無ければ出会った時の記憶も無い」

「何それ。男だったとか女だったとか、どんな武器を持っていたとかあるでしょう」

「情けないことに服の色しか覚えてないんだ」


 何故、環がそうした連中と出会うことになったのかは聞かなかった。

 何らかの審査を受けたか、強制執行の対象となったか。遭遇の理由はいくつか有るだろうが、良し悪し何方でも普通ではないからだ。一般市民の行いからは外れた運命の先にある邂逅と言っていいだろう。

 とはいえこの出会いが自慢話にならないのは事実だ。いたずらに自らの印象を悪くするだけの冗談を言う必要は無い。彼もそれを分かっているはずだ。第一環が自分を笑わせようとして気を遣ったことなど今までに一度としてない。

 嘘にしては釈然としない情報にアキはただ頷くしか出来なかった。確かにこの国には記憶操作を行える技術は存在しているが……出会った時の記憶が無いと言うのは一体どんな状況であろうか。性別も、武器も、口調も様子も覚えていないというのにただ存在だけが己の中に残っているというのは。

 理解は出来ないが、喉に何かが痞えたような気持ち悪さがあるのかもしれない。


「武器の事は覚えていないが、建物一つが吹き飛んだな」

「強制執行の方かあ。なんで生きてるんですか?」

「酷い怪我をした記憶はある。それが目が覚めたら身体が綺麗に治っていた」

「生かすだけの価値が有ると判断されたんでしょうね。他のお仲間は?」


 死んだと思う──というのは憶測である。

 襲撃に遭った際、環は命懸けで親友を一人逃がした記憶がある。それが精一杯で他の事を考える余裕は無かったが、今でも当時の仕事仲間が生きているとは聞かない。あの日床に倒れた人々は自分とは異なり、そのまま死を迎えたと考えるのが自然だった。自分の身ですらも複数箇所、身体に穴が空いたような……凄惨な負傷の記憶がある。早急に手当てが行われるならば未だしも、その場に捨て置いたままで生き残れるとは到底思えなかった。

 一歩間違えれば犯罪者とも捉えられる告白をした自分に対しても、アキの様子は変わらないままだ。むしろ強制執行の後を生き抜いていることに驚きを隠せないといった様子で話の続きをせがんでくる。


「何で傷付けられたのか、何が行われたのか分からないのが気持ち悪い」

「まあ、それでも今ここに生きていられるんですから。その幸運に感謝した方がいいですよ。てっきり政府に目を付けられたら社会的にも死を迎えるものだとばかり思っていましたけど、アルバイトとはいえ意外と温情があるんですね」


 アキのその言葉には環も頷く他なかった。

 自分がどのような思惑で生かされているかは皆目見当が付かないが、それでも結局政府も二企業も自分を生かす選択をしたことは確かだ。彼等の技術をもってすれば自分の命など容易く散らすことが出来るというのにわざわざ跡が残らないほど丁寧な治療を行った上で現在に至っている──襲撃当日の記憶が切り抜かれているあたり、その処置の全てが良いものであるとは言えないのだが。

 彼女の指摘は最もだ。悪趣味な人間であれば治療を終えた後、国の何処かへ手ぶらで放る事も出来ただろう。国外の荒野でもいい。それを企業が引き取り、非正規雇用とはいえ役割を与えていることは驚きに値する。


「まあ、なんだ。監察局の役人をここまでやる奴がいるってのは気分がいい」

「バケモノでしょうね、絶対」

「人間じゃないかもしれないな」


 アキが環を見上げると彼の握る布切れの裏に干からびた肉片のようなものがこびり付いていることに気付いた。彼も長い事触っていればその凹凸の存在には気が付いているだろう。

 代理人とは組織にとって枷であり、死神のような存在である。環の個人的な見解であれば指標や抑止力、或いは一種の自然災害のようだと思う。対峙したなら大抵の場合、降伏することになるだろう──戦う前から勝敗の分かっている試合に臨むのは国外の蛮族程度のものであると仕事仲間がかつて冗談を言っていた。昼休憩の途中にニュースを観ながら。

 その時は他人事で笑い話だったのに。皮肉なものである。

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