第29話 人間至上主義

 アキと環は死体と接することにもすっかり慣れきっていた。

 ベルトコンベヤには身体の部位がいくつか捥げているような状態の遺体から、見るからに不審死を遂げたと思われる不自然な状態の遺体まで様々有った。時折傷一つなく眠るように亡くなっている遺体も有るが、かえってそちらの方が心臓に悪かった。以前行った誕生日会のように、生きた人間は騒動を引き連れてやってくるものだと二人して何となく身構えている。

 遺体は衣服が無事に残っていたり、肩掛け鞄を着用した状態であることも多い。ポケットから財布や身分証の類が出てくることもあり、そういったものが有れば特に二人の間でしばし話題のタネになっていた。

 例に漏れず、今日もベルトコンベヤに流れてきた一体の遺体が二人の注目を集める。遠くから見ても綺麗な状態にアキは背伸びをし、眼前に遺体が来るまでつま先立ちを維持する。

 どうせ傍まで来るのだから大人しく待っていればいいのにと思わなくもないが──環は特に何も言わず、一歩ベルトコンベヤの前に踏み出した。本人が意識しているかは定かではないが、すっかり彼女とのやり取りに慣れている。

 

「これ人間ですよね?いや、肌も目も人間のものですけど。どう考えても髪の毛と同化してるようにしか見えません。作り物に見えますか?」


 ベルトコンベヤに乗せられたうつ伏せの遺体はアキよりもずっと小柄なものであった。環はアキの助けを必要としていなかったが、彼女が既に身体の下に手を入れていたため二人で遺体を仰向けに起こす──そこには身長からイメージした通りの子供のあどけない顔立ちがあった。

 開いたままの瞳の色は黄色、 鮮やかな緑色の髪……そしてその髪を掻き分けるようにして咲いている黄色い花。これはキンシバイだ。アキは以前住んでいたマンションへの帰り道に歩道の脇の植え込みで何度か目にしたことが有った。梅雨頃に咲き出し、本格的に夏を迎えるぐらいには花を散らせてしまう植物。その花が子供の髪の中で咲いている。髪を指で掻き分けてみると、髪の緑と全く同じ色をした葉も当然のように茂っている。葉も花はまだ枯れていない、人間本体も膝や腕に擦り傷がある程度で傷は少なく亡くなったにしても極最近……遺体には死後硬直すら起きていない。

 状態保存技術が存在することはアキも授業で知っていたが、この遺体にそれが施されたかまでは分からなかった。第一それが出来るのであれば今までここへ流れてきた遺体に処置がされていないのは不自然だ。


「これは紛れもない人間だ。この国では判断が異なるかもしれないが」

「十数年生きてきて頭に花が咲いている人なんて見たことありませんけど」


 子供の服装は薄汚れた灰色のワンピースに砂に塗れた白いスニーカー。靴下は履いておらず、今にも紐が千切れてしまいそうなポシェットを下げている。肌の色自体は国内では珍しくないもので、目立つのは日焼け程度のものである。

 アキが子供の頭に顔を近付け匂いを嗅いでみると植物らしい青臭い匂いが鼻を突く。そのまま一枚髪の中から葉を千切ってみても、やはり本物の植物といって差し支えない瑞々しい感触が指に伝わってくる。

 もしこんな人が国内に生きていたら……自分はまだ長年生きているとはいえないが、それでも町でも学校でもこのような人間を見たことがない。国はきっと放っておかないだろう。特異な身体的特徴を持つ人間が保護された、といった例を聞いたことが無いからだ。

 この施設で以前アイビーに覆われた不審死体を扱ったことはあれど、あのケースは「浸食されていた」と言った方がいいだろう。こちらは植物が髪だけに留まり、この少女に何か不利益をもたらしているようには見えない。それどころかよく見ると花や葉を巻き込むようにしてヘアゴムで一部の髪を束ねている様子から、むしろ共生しているようである。


「それは政府の問題だ。人間による人間の為の政治をすると決めたんだろう」

「そのスローガンは聞いたことがあります。でもそれって宇宙戦争の為のものじゃないんですか?人間至上主義っていうか」

「開戦以前から存在するスローガンだ。お前は何の為に国境警備課が存在するか考えたことはあるか?」


 いえ、全く。

 国境警備課というのは役人の役職の一種だ。義務教育中の子供達が試験の為に役職と内容を覚える為、名前と仕事だけは何となく知っている団体。アキの中でもその程度の認識である。読んで字のごとく国境周辺を周り、国外で発生する問題に対処している部署であろうが……荒野を担当する者もいれば、海や森を担当する者もいる。

 相手にするのは必ずしも密入国目的の難民だけでなく自然も含まれるという。アキはそれについて何となく自然災害や野生動物の類であると考えていたが、具体的な事は分からず終いのまま高校に進学し、それっきりである。

 

「いるんだ、こういうのが」

「えっとだからその……植物の生えた人間が?センスは無いけど、そこそこ文化的な生活を送っていそうな服装じゃないですか」

「虫も獣もいる。動物的なものが全てではないが、こういう知的生命体は複数存在している。こいつは比較的俺達に近いが、血が濃いとそうもいかないだろう」


 アキはぱちぱちと瞬きをし、遺体と環の横顔を交互に眺めた。

 それから少し間をおいて子供のポシェットに手を伸ばすと留め具を外してみる。継ぎ接ぎの目立つそれは到底何処かの製品とは思えないが、それでもこの国の貧民街レベルの生活は送っていそうな風貌だとアキは思う。実際に貧民街にこのような子供が混じっていたとして、頭に花さえ咲いていなけば容易に見過ごされているかもしれない。

 環が冗談を言うとは思えないが、彼の顔はいたって真剣──普段と変わらない調子で講義は続く。確かに聞いた覚えはある話だ。親が子供に向けて寝物語にする程度の話で国民の多くが一種の迷信として抱えるテーマに過ぎないが……国外には他の知的生命体のコミュニティがあること、それらが以前人間社会の脅威になったこと。

 遠い昔、国はその脅威を遠方に追いやったこと──最早、一つの童話になってしまった出来事で誰もがまともに取り合わない。


「だったら何処から来たんです?突然変異なら国の中でも起きるでしょう。それを国が放っておくわけないですし。不審死体でこういうもありましたけど、この子は植物共生してるっぽいじゃないですか」

「星の外から」

「外から」

「手段は星によりけりだろうが、いることにはいる」


 情勢を考えるとこれは旧時代の訪問者の末裔であるかもしれない。

 意味不明、理解不能──今の自分の頭上には疑問符が五つぐらい浮かんでいるかもしれない。情報量に頭がパンクするというのはこういう状況を指すのだろうか。環は作家ではないが、これは小説や漫画を描く上でやってはいけないことだ。利き手を気遣う気持ちがあるのなら、ある程度小出しにしなければいけないことである……彼は時折こうして自分を置き去りにしがちだ。こればかりは慣れるしかないだろう。

 現在の政府が樹立する以前、この国に区画の概念は存在しなかった。人種に関しても寛容であり、現在のように法で雁字搦めになっているわけでもなかったという──これは最早歴史の話だ。アキは勿論、年長者達も知らない時代の話である。

 

「政府が人間以外に社会活動どころか人権を認めてないっていうのは知ってます。それで大昔にやってきた異星人と、今来てる異星人が二ついるってことですよね?」

「そうだ。それから侵攻している星も一つじゃないし、星も一つじゃないからな。場合に至っては技術者として雇うこともある」

「友好的な所もあるんですか。何というかダブルスタンダードじゃないですか」

「都合のいい人間至上主義」

「そう、それです」


 現政府が生まれる原因が有ったのは確かだ。

 政府の事はよくよく考えると何も知らない。人間至上主義。国外の勢力、そして星外の勢力と対立しながら……それでいて技術を求め、人でないと定義した者を雇っている。己に都合の良い勢力にだけ自由を認めているのだろうか。疑問だが、ただ生活を送ることであれば考えない事柄には他ならない。

 自分が彼等の立場であればこんな国には来たくはない。旧時代にどういうわけか、この星に来てしまったなら。それはある種逃れられない宿命なのかもしれないが。人間至上主義が罷り通っている現状、今目の前に横たわっている遺体のように人間以外の全ては碌な目に遭わないだろう。


「過去にこの国で一体何が起きたんでしょうね」

「それは俺も知らないことだ」

「前提を知らないからどう良くなったのかまるで実感が湧かないんですよね」

 

 思い返せばこの子供は一人で国境付近まで近付いてきたのだろうか?

 仮に保護者等がいたとして、険しい道を乗り越られたとは思えない。役人が彼等を捕えたとしてもこの施設に直接送られてくるとは考え難い。それでも人ではない子供が「平等」に運ばれてきたことだけは事実である。不審死した遺体も、不審死以外の死因で亡くなったであろう遺体も皆自分と変わらない人であった。

 アキの疑問は尽きない。狭い部屋にいながら、風呂敷は延々と広がり続けていく。

 子供の髪は花に混じり、二人をよそに変わらず空調の風にそよいでいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る