第31話 環の面談

「アキちゃんがいると思った?残念、今日は俺です。いやあ、久しいねえタマキくん。元気にしてた?ああ、面談が終わったら俺帰るから普通に仕事してね~」


 長年、同じ職場に勤めていると「珍しいこと」は頻繁に起きる。

 これは紛れもない矛盾だ。というのも例えば週二日のシフトで働くアルバイトと週五日のシフトで働くパートを比較した時、停電や変な客に遭遇する機会は後者が圧倒的に多いだろう。同じ場所に長期間滞在しているのだから当然だ。

 その珍事にも慣れてきた環でも今回は少し毛色が異なると感じていた。何故なら二つ立て続けに珍しいことが起きているから──今日はアキが非番である。毎日休まずここに来るアキが前々から休日を申請していたという。当然環はそれを本人から事前に聞かされていたし、一人抜けた程度で忙しくなる職場でもないからと二つ返事で快諾した。一日と言わず二日三日と休んできても構わないと付け加えたが、アキは大した用事ではないと翌日には戻ってくると話していた。

 さて、もう一つの珍事は環の目の前でパイプ椅子に座っているこの男だ。

 白衣のようなコート風の制服を羽織った男……リナルドは研究職の社員で、環は男と面識がある。赤毛に淀んだ海のような紺色の瞳。へらへらとした笑みが顔に張り付いた若い男……とは言っても環よりは年上でどちらかというと代表と年が近い。一歩近付くと制服に染みついた煙草の匂いがするほどのチェーンスモーカー。

 環は深く溜息を吐きながら自席に腰を掛ける。


「アキからは事前に休む旨を聞いている」

「へえ!君たち意外と仲良いんだな。仲良きことは美しきかな……」

「本題に入れ、本題に。何をしに来た」


 先日の誕生日会で出会った事務職員のエラや警備職員とはまた別物だ。一般的な社員やアルバイトであれば彼等と出会う機会はほとんど無いに等しいであろう。環はここに来た経緯が特殊だったため、彼等とは頻繁に顔を合わせる羽目になった。

 男は長机に肘を突き、アキが置いていった紙コップの束から一つを抜き取ると卓上の電気ケトルから白湯を注いだ。見下されている、というよりかは単にこの男が礼儀知らずである方が正しいのだが……この姿勢に関してはどの地域でも好印象は持たられないだろうと環は一人で納得する。


「何って面談だよ、見れば分かるだろ?代表のお使いで来てるんだ。相変わらず人使いが荒いねえ、あっ!これ撮影されてるよね?うわあ、減給されたらどうしよ」

「例の事務職員から様子ぐらい聞いたんじゃないのか」

「あ~エラちゃん?その日のうちに代表直々に呼び出してたね。あの誕生日会事件の後じゃ戻りづらいだろうし、配置転換になるかもなあ」


 面談──と称した尋問だと環は思う。

 かつて自らがこの施設へ送られてきたばかりの頃。早朝に自室から別室に呼び出され、そこで研究職員達から「取材」を受けた。武器を持ち武装した警備職員が部屋の入口に数人立ち、常にこちらを監視する厳戒態勢の中で行われた。

 聞かれるのは大半前職の話や素性の事であった。こちらには守り抜かねばならない秘密も無かったため、警備職員の武器が振り下ろされる機会も無かった。自分で無ければ自白剤でも飲まされていたのかもしれないが、この宇宙にそれほど高潔な人間が多いとは思わない。

 その面談の担当者の中にいたのがこの男だ。この男は今のように初対面から鬱陶しく絡んできた軽薄な印象しかなく、環にとってそれ以上でも以下でもない。研究職になるほどの人間なのだから頭の方は良いのだろう……恐らく。

 リナルドは「君たちいつもこんな修行者みたいな生活しているの?」と白湯を啜りながら日常会話のワンフレーズのようにエラの処遇に触れた。誕生日会に参加した時から何となく予想は出来ていたが、何事もなく日常へ帰っていくことは出来なかったらしい。後日直属の上司に呼び出されいくつか話を聞かれるだろうとは考えていたが、まさか代表本人が呼びだすとは。

 直接殺人を犯したわけでもなく、むしろ彼女は特殊事件の被害者である──そして紛れもない人間。リナルドの話の通りならばエラは健在であるのだろうが、あれから職場に居辛くなっていることは第三者の立場からでも想像に難くない。


「彼女は無事だよ。まあ、ビビってたけどね。想像出来るでしょ?突然大企業のトップに呼び出しくらうなんて誰でも怖いさ。俺はあの子と廊下ですれ違っただけだよ。話題になってたってのもあるけど見慣れない制服の子が挙動不審な様子で歩いてたら気になるじゃない?」

「そうか」

「タマキくん本当に喋んないねえ。まあ、特に何も聞き出せなかったんだろうね。だからこうやって俺に見て来いって言うんだろうし」


 フレデリークを前にしてあの職員が堂々と胸を張っている様はとても想像が出来ない。自分なら未だしも彼女は……メインは特殊事件の事だろうが、あの女はきっと自分の様子も尋ねただろう。何となくエラは自分とフレデリーク両方に気遣って、或いは緊張し碌に話せていない気がする。

 とはいえこの作業に割り当てられてからこうして面談が行われることは初めてであった。アキが休日を申請する度にリナルドをはじめとした研究職員達が訪ねてくるというのなら今後シフトの相談をされた際に快く承諾することは出来ない。


「安心しなよ、そう毎回来ないさ。俺にだって仕事が有るし。一応これも仕事だけど普段の作業にこれが乗っかってるんだよ?」

「何も言っていないが」

「大丈夫大丈夫、代表にはなーんも変わりありませんでしたって報告しとくさ。大体君のことなら彼女の方がよく分かってるんじゃないかい?ただならぬ仲ってやつだろう。ま、気に入られちゃってんだね。代表癖は強いけど美人だし……喜べよ、うん」


 お前の仕事内容など知ったことか。

 自分の心境を読まれたような心地がしてどうにも気分が悪い。フレデリークと対面するよりかは幾らかマシではあるものの、あの女の息がかかった人間が送られてきて観察されるイベントというのは気持ちのいいものではない。普段から部屋の様子は撮影されているのだろうが、直接生活に手を加えられるというのは自分がペットか何かに成り下がったような心地がする。

 環の気持ちを余所にリナルドはさっさと紙コップの中に残った白湯を飲み干すと勢いよく立ち上がりひらひらと手を振って去っていく。別れの挨拶をする気はハナから無いが、そもそも声をかける気力も残っていなかった。

 ただ人が訪ねてきて応対しただけだというのに。下手をすれば普段の作業内容と比べても格段に楽なはずだというのに──疲労感でいればアキに恋愛話をせがまれている時に近い物を感じる。どっと疲れたというやつだ。

 これで漸く一息つける。一人の部屋で椅子の背凭れに身体を預けようとした矢先、ベルトコンベヤが変わらない音を立て始めた。

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