第25話 一つきりのパイをめぐって

 アキと環はベルトコンベヤの前に立っていた。

 アキは髪いじりに飽き、環はぼうっと座っているのに飽きた。こうして二人が揃って退屈するほど時間を持て余すことは中々無いことであり、有ったとして両者が同じ場所に立っているのは珍しい。パーソナルスペースが広い質なのか、環はアキの傍に仕事以外ではそれほど寄り付くことがなかった。これは他者に対しても変わらず、あからさまに嫌悪感を示しているというよりは一定の距離を保ちつつ犬が飼い主の傍に居るような自然な行いであった。本能かもしれない。

 退屈な二人の前で音を立ててようやくベルトコンベヤが稼働する──アキは待っていたと言わんばかりに身を乗り出し、環の目も心なしか光が灯っているように見える。


「これは新聞ですかね?うちは数年前に取るのやめたんですよね」

「今は必ずしも紙で読む必要が無いからな」

「日付が読めませんね。汚れが酷くてさっぱりです」


 ベルトコンベヤが運んできたのは白いプラスチック製のトレーであった。アキはトレーを手に取ると自分よりも詳しそうな環に差し出す。

 トレーの上には新聞の切れ端──とは言っても記事が丸々一つ、それとコラムと裏面にジュースの広告が読み取れる程度の面積が雑に折られた状態で乗っている。所々擦れて千切れたり、泥に汚れている部分もあるが、異臭がするわけでも濡れているわけでもない。これだけを見れば街中に落ちているゴミと大差はない。貧民街をぶらりと歩くとこういうものが背景の一部になっている。

 問題は記事の中身だ。もっとも記録を提出するだけなら今目視で確認した損傷の具合を報告すればいいのだが。

 まず指で日付の部分を擦ったが汚れが落ちる気配はなく、これ以上続けると記事が破けそうである。環は一度記載された日付の部分から離れ、辛うじて読める記事……見出しの方から時期を割り出すことにした。


「これは他所の製薬会社が強制執行された時のニュースだな。それほど大規模な所じゃないが」

「社会の授業でやったかもしれません。企業が法を犯した時にってのは分かるんですけど……コレは違法就労?星間就労法違反?」

「貸してやるから少し読んでみるといい」


 環はこの企業について覚えがあったが、今になってこのような形で過去が追いかけてくるとは思いもしなかった。然しこの件に関しては誌面で語られる事象だけで留まる話ではないからこそ、怒りも悲しみも驚きも湧いてこない。目の前の無関係な若者に過去を説いて同情を誘う真似をするほども気力も無かった。

 アキがずっと背伸びをして手元の新聞の文字を読もうとしていることに気付き、 環は一度トレーをアキに手渡してやる。 

 星間就労法違反──労働に関する法の中の一つ。恐らく大学で社会の勉強でもするか、経営者にでもならない限りは大半の人間が知らないまま埋もれる法の知識。区によっては雇用すると違法になる異民族がいるものの、それはあくまで区の罰則。これは国の法だ。然しながら大半の住民はこの法を学び、仮に経営者にでもなったところで生かす機会が無いだろう。


「異星人を雇ったから潰されたってことですか!なるほど……って異星人がこの星に来てるんですか?」

「厳密には何処の星から来ているかが問題なんだが」

「あー国によってはアウトみたいな?でも普通に暮らしてて異星人って感じの人見たことないですし、そんな状態であの星はダメでこの星はOKだとか判断する必要があるんでしょうか……」


 アキはこの星に異星人が居ることに然程驚いていなかった。勿論伏兵がいるという可能性もあるのだが、誰も居ないとは言っていないのだ。そもそもどのような姿形をしているかも知らない。これはアキだけでなく、一般国民は何となく何処かにはいるのだろうという意識が根付いている。

 というのもネットが普及している現状、陰謀論や噂の類は瞬く間に広まり「彼等無くして近年の技術発展はあり得ない」という論調が強まっていた。何の根拠もない話ではあるのだが、そうした噂が広まるほど人が人を見限っているように思えてならない。だからと言って何が出来るわけでもない、というのがアキの意見である。

 人間でさえ種類が有るのだから、当然異星人にも種類があるだろう──これに関してもアキは柔軟に受け入れた。然しながら異なる人種を雇用する行為が、企業が一つ消し飛ぶほどの罰に値するだろうか?──どうにもピンと来ない。アキは一度新聞を環に手渡した後、腕を組みいかにも考え込んでいるといった様子で言葉を続けた。


「敵対している星だからダメとかなんですかね。思想や宗教の問題でしょうか。それにしたってそんなことで企業一つを潰すってのはやり過ぎだと思うんです。不法移民の取り締まりなんてもっとガバガバですよ」

「理由自体もどうでもいいんだろう。これは競争の促進じゃないか?」

「と言いますと?」

「潰す口実を欲しがっているということだ」


 アキの疑問は一瞬にして解決した。解決と言えるかは分からないが、環の言うようにいくら考えてもそこに意味を見出せなかったのだ。この国には自分のような一般人には理解の及ばない……基準の分からない法律が星の数ほど存在する。大半の場合はそんな法律とは無縁のまま死んでいくから意識することもないのだが、このような生活をしているならば話は別だ。一つ一つ粗探しをするのも悪くない暇つぶしかもしれない。

 然し、アキはその後に続く環の言葉をよく理解出来なかった。

 競争の促進?──企業間が製品の性能や価格で日夜切磋琢磨、もとい競争をしているという話は何となくイメージが出来る。義務教育でもふわっと教えられる概念だ。そこに「潰す」という物騒なワードが加わり、雲行きは更に怪しくなっていく。

 環が指差した箇所には黒く印刷された写真……何らかの施設が半壊した状態で聳えていた。跡形もなく完膚なきまでにというほどではないものの、建造物としての骨格がむき出しになったそれは廃墟と言われれば納得するほど痛々しい風景だ。


「同じ商品を作る企業がいくつかあったとして、国の恩恵を受けられるのは一つだ。具体的にはいくつか部門があるようだが」

「私の地元の組織や、この企業もその一つですね」


 アキの理解が一つずつ追いついていく。

 組織・団体・企業。国に認められればあらゆる恩恵を受けることが出来る。優れた者に多く資源を与え発展を促進すると言えば聞こえは良いが、こうしている今も周囲には無数の組織が犇めき合っている。普段は考えもしないことではあるが、いざ意識してみると恐ろしく感じるのは自らが今安全圏の中にいるからであろうか。


「優れたものを作って順位が入れ替わるだけなら健全な競争なんじゃ?」

「それで先程の話になるんだ。密偵を送り込むなり、盗聴器を仕掛けるなりして徹底的に相手の粗を探すんだろう。この国の情報屋の多さにも頷ける」

「あーそれで役人が出てきて……」

「抵抗も虚しく終わりだな」


 コレは下から上へはほぼあり得ない──長年同じ企業が同じ椅子にずっと座っていられる絡繰り。圧倒的な財力、人手から繰り出される監視能力は如何なるものだろうか。さりげなく手元に戻ってきた記事に再び目を通す。

 記事の製薬会社が有る区を統括する組織もまた製薬会社……何らかの禁忌を犯したのか、単に競争相手を減らしたかったのか。真意は分からないが、アキのような学生の目にも妙に生々しい事情が見え隠れして気分のいいものではない。


「こういうの細々とやってるだけでも目を付けられるんですかね?椅子を奪おうとさえしなければ問題は無さそうじゃないですか。でもこの会社は見た感じそこまで大きいようにも思えませんし」

「潰すことだけがメリットじゃないからな。国に申請する必要こそあるが、設備や技術を奪うことも可能だろう。優れた人員がいるなら拾ったっていい」

「ちょっと野蛮すぎません?言いがかりを付けて潰すなんて。それに乗る国も国ですよ」

「仰る通りだが、国も何でもかんでも動くわけじゃない」


 まるで賊ではないか。企業の皮を被っていながらしていることは何ら賊と変わらないのではないだろうか。

 貧民街の破落戸に勝るとも劣らない野蛮さだ。最も手段こそ直接的な暴力でなく、何枚もの書類や契約を挟んだ上品な手段ではあるのだろうが……結局略奪には変わらない。それに応える国にも疑問がある。このような立場になっていなければ、潰される企業の中の当事者にでもなっていなければ死ぬまで考えもしなかったことではあるけれども。

 なら一体どうしているのかとでも言いたげな目で見つめるアキ。記事から顔を上げ、トレーごとベルトコンベヤに戻しながら続きを促す。

 

「そうした場合は戦争だ。これも書類を出して日時や人員、場所や使用兵器などのルールを指定してやるんだがな。如何せん金がかかり、印象の問題もある。始まる前に何かを何処かに移転される可能性だってあるな」

「戦力の誇示にしたって今時じゃないですもんね」


 書類仕事ばっかりじゃないか。アキの表情が忽ち呆れの表情に染まっていく。

 野蛮ではあるのだが、その何をするにも書類を書いて申請を行っていると考えると何だかおかしい。そう思うのは不謹慎だろうか。環はそういった倫理観について厳しい人間だとは思っていないものの、口に出すことはしなかった。

 アキが横目で環を確認すると自分とは対照的に彼はベルトコンベヤから再びトレーを取り上げ、何処か暗い表情で記事に視線を落としている。表情の変化に乏しいのはいつものことだが、今日は何処となくその顔に影を落としているように見える。

 流そう、と環が言った。

 ふらふらとした足取りでアキをその場に置いて環は自分の席へと戻っていく。いつものことではあるが、アキの目には彼の後姿が普段よりもいくらか草臥れているように映った。

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