第26話 誕生日会、来てくれるよね?

 アキと環は長らくご馳走というものを見ていない。施設で働き始めてからは一度もたりとも口にしていない。両者とも金銭的に問題が無くなったとて、機会が無ければ豪華な食事に手を伸ばそうとは思えなかった。

 少なくともアキは外食をしたことが無かったわけではないのだが、食事の後に自室に戻り入浴し……といった日常の工程に非日常が塗り潰されるような感覚がどうにも好きになれなかった。普段より良い食事をしているのだから精神的にはずっと楽になっているはずだというのに、何故か普段以上に翌日の仕事に懸けるモチベーションが落ちるのだ。

 ──さて、二人が同時に食事について考えたのには理由が有る。

 ベルトコンベヤが食事を運んできたのは一度や二度ではないのだが、今回に至っては今まさに湯気を立てているご馳走であった。デミグラスソースのたっぷりかかったハンバーグ、唐揚げやフライドポテトなどの揚げ物の皿、ほうれん草のキッシュ、チキンソテーのチーズクリームソース、色とりどりのサラダ、シャンパンにジュースの瓶、白いホイップクリームに赤く艶やかな苺……ケーキに備え付けられたチョコレート製のプレートには「エラ、誕生日おめでとう!」の文字。アキと環は思わず無言で互いに顔を見合わせた。


「助けてください!私、事務職員のエラです!助けて……」


 しばらく料理を見つめて黙りこくっていた二人。まだ出来たてといっても過言ではない料理……どうせ生き返るのだから、少し摘まんでもいいのでは?とでも言いたげな視線、これをどう思う?幻覚じゃないか?と言いたげな目が至近距離で交差する。

 然ベルトコンベヤは稼働し続け、料理の列の最後尾に当たるポジションに正座の状態で流れてきたことで状況は一変する。

 不審死体でもなければ、怪物でもない──生身の生きた人間がベルトコンベヤの上に座って運ばれてきたのである。


「えっ!?生身の人間が出てくることなんてあるんですか?」

「あっ、逃げないで……武器なんて持ってないですから!説明、説明をしますから……お願いだからこの部屋から出ないでください」


 ベルトコンベヤの上に乗っている人間は何処にでもいる小柄な女性といった容貌である。肩甲骨のあたりまで伸びた癖のない茶髪に橙の目。少女と言っても差し支えないほどの童顔。施設の正規職員が着用している白いジャケット、黒いスーツのような制服。ここの社員であることは一目瞭然なのだが一つだけ場違いなパーツが張り付いている──彼女の頭にはパーティーグッズの黄色い三角帽子の類が紐で顎に引っかける形で固定されているのだ。

 きっちりと着こなした制服姿に三角帽が乗っている光景は何とも滑稽……なのだが、驚き半分笑い半分といった様子のアキとは対照的に環は冷静であった。

 そっとエラと名乗る職員に手を差し伸べるとベルトコンベヤから降ろす。長いことこれに乗っていたのか、足が痺れているエラは小鹿のような足取りでフラフラとしている。それを見かねたアキと環が両脇を支える形で長机の空いた席に彼女を案内した。


「まず何が有ったか話してほしい。俺は環で、こっちはアキだ」

「ああ、すみません……。仕事中に突然、頭にこの帽子がハマってたんです。それで……職場に突然好物がポンと出てきたのはいいんですけど。職場の人達は皆パニックになって、警備職員の人まで入ってきて……」


 事務員の話を要約するとこうである。

 事務員エラは普段と変わらず、職場で事務作業を行っていた。彼女が頭を掻こうと手を伸ばした際、この三角帽の存在に気付いた。同時に職場の机や床にエラの好物の料理や、バースデーケーキ、シャンパンにジュースといったものが瞬間移動でもしたかのように溢れかえり、紙吹雪に風船といったもので職場が鮮やかに彩られたという──現にこの部屋にも現在進行形でベルトコンベヤの入口から風船や紙吹雪がこの部屋へ吹き込んでいる真っ最中だ。

 当然職場はパニックに陥り、騒ぎを聞きつけた警備職員が突入……慌てて扉や窓から部屋を出ようとした職員が心臓麻痺でも起こしたかのようにその場で亡くなるという珍事が起きたという。当然エラも部屋から抜け出そうとしたものの、彼女の場合は死ぬことがなく代わりに扉を開けた瞬間に室内の別の場所に移動してしまい、出ることが出来ないといった状況に陥っていたという。

 このことに関しては蘇生するのだからといった様子で誰も気に留めている様子はないものの、環に関しては漠然と施設の中で死んだのか否かを気にしていた。


「特殊事件ってやつですか?宇宙戦争始まってから多いらしいですね」

「認定するのは役人だろう。それで」

「はい、部屋にどんどん人が押し寄せてきて……もし原因が私ならこの人たちを巻き込みたくない、別の場所へと思ったんです。それで気付いたらこんなところにいて……ああ、だから逃げないでって言ったんですよ!どんな方法でも部屋から出ようとすることがトリガーになるみたいなので」

「それってここにも警備職員の人が押しかけて来るんじゃないですか?」

「それは一応安心していい。一通り確認作業が入るだろうから」


 アキの言う特殊事件というものは不審死と同様にちょうど宇宙戦争が始まった時期から齎された概念であった。一般的には「突然不可解なことが起きる」といったもので必ずしも負傷者や損害が出るわけではなく、稀に人間にとって有益な事象を引き起こすこともあった。大抵の場合は「そこにあるはずのない物が出現する」「人が消える」といったもので、これらは一般人にも馴染み深い。直接体験せずとも、テレビ番組の特殊映像スペシャルやオカルト雑誌の特集などで目にしている人も多いだろう。例に漏れず特殊事件の概要については三者も知っていた。

 何処か怯えたような落ち着かない様子のエラを横目にアキは立ち上がるとベルトコンベヤの傍まで行き、彼女の好物だという料理をいくつか運んで席まで戻ってくる。ご丁寧に食器やトレーまで付いていたから二往復で済んだ。彼女が飲食するかは分からないが、一先ず全員分ガラスのコップにジュースを注いで配ってやる。中身はオレンジジュースのようだ。

 エラと環は手を付ける様子は無いが、死んでも生き返ると分かっている以上……とりあえず試してみようとアキは揚げ物の盛り合わせに手を伸ばす。何本か口にフライドポテトを放り、続けて唐揚げを口にするアキ──程よい塩味に出来立ての温かさ。アキは黙って二人に手で食べるように促した。


「わあ、アキさん勇気ありますね……でもなんだかお腹空いちゃったな……。ずっとバタバタしてましたから。誰も食べないならキッシュをいただこうかな……」

「チョコプレートの文字を見ても、これってエラさんの為に出てきた料理なんでしょう?多分。だったら遠慮なく食べちゃっていいと思うんですよね。今日が誕生日なんだとしたら尚更ですよ」

「職場で迎える誕生日……慣れたけど、こう虚しいんですよね。成人するとただ年を取るだけで、家族も一言話題にするぐらいで。家族と仲が悪いわけじゃないですけど両親は仕事でそれぞれ違う区にいるから揃ってお祝いなんて中々できないんです。盛大に祝うってイメージも無いですし……結婚とかしたら違うのかもしれませんけど」

「う~ん……でも今度は子供の誕生日が優先になって親はそれほどじゃないですか?うちはそうでしたよ。今思えば両親の誕生日も祝ってあげればよかったなって」


 特殊事件の真っ只中。殺風景な部屋の中、和気藹々とした空気が流れている。 

 弾む会話と同時進行。流れるようにしてエラはキッシュを切り、アキはケーキを切り分ける。環も最初は本当に手を付けるのかと訝しげに眺めていたが、早々に折れたのかサラダを分け始める。「本日の主役」のエラの元にハンバーグとチキンソテーを並べてやる環にエラは三等分を提案し、結局三人の前にほぼほぼ同量の肉料理が並んだ──エラは遠慮したが、ケーキに乗っていたチョコレートのプレートを二人に勧められやや照れくさそうに受け取った。


「誕生日おめでとうございます」

「あ、ありがとうございます!」

「おめでとう。それで、空気をぶち壊すようで悪いんだが」


 事件の相談ですね。

 ジュースでの乾杯の後、アキとエラの声が重なる。環はナイフでハンバーグを切りながらこくりと頷いた。二人は変わらず飲食を続けながら、普段の日常会話のように話の続きを促した。


「警備職員は恐らくここには突入してこない。パーティーの参加者に加えられる可能性が有るなら少なからず様子見だろう。少なからず一日は」

「私達ここで軟禁されるんですかね。私は楽しいからいいですけど」

「突然飛んできた以上、最初は違う場所にあったんだろうし……何か外れる条件があるとは思うんです。でも少なからず部屋から出るのはダメってことしか。後は私を捕まえようとした警備職員の方が倒れて……」

「非協力的な態度もダメらしいですね」

「とんでもないな」


 このケーキ中々いけますよ!ハンバーグも美味しいです!

 このような会話を挟みながら……スローペースで特殊事件からの脱出の糸口を求め、議論は進む。アキは正直、見ず知らずの他人の誕生日会とはいえ最近あった出来事の中では現在が一番楽しいとすら思っていた。少なくとも今年にあった出来事の中ではトップかもしれない。

 深刻な表情をしているのは環であり(それでも普段と比べ穏やかな表情をしているが)、今ではエラの強張った表情もすっかり解れている。日常会話のノリで恐ろしい現象が語られたところで誰も怯えることはなかった。


「俺達に出来ることがあるとすれば」

「現状何も起きてないし、料理を完食することですかね?」

「そ、それなら出来ますよ!お二人を巻き込んだ責任がありますし……そんなことでいいならいくらでもお力になります!」


 それから三者は他愛のない会話を続けた。環が誕生日を祝われたのは成人してからであること、アキはホールケーキを初めて食べたこと、エラが誰かに誕生日を祝われるのが学生時代ぶりであること……話題は一貫して誕生日であったが、つい数十分前に出会った者同士でありながら会話はテンポよく進んだ。

 そうこうしているうちに三者の皿は空になっていた。空いたコップに各々飲み物を注ぐエラ、椅子に凭れて食休みに入るアキ、環は不要な皿を重ねる作業に入っている。


「しかしよく食べたな」

「身体も何ともないですし、本当何だったんでしょうね。『誕生日パーティー』が割り込んできたものなら、無視して他のモノが流れてきてもいいはずなのにうんともすんとも言わないじゃないですか」


 ふと環の手が止まる。皿を片付けようにも片付ける場所が無いのだ。

 ──これはベルトコンベヤに戻すべきだろうか?

 ここが飲食店であれば今頃は従業員が不要な皿を回収に来るのだろうが……この料理は突如としてここに現れたものだ。出前のように部屋の外に積み上げておくという手もあるし、アキであれば持ち帰って使うと言い出すかもしれない。行き場を失った手は台布巾を手に取り、長机を拭くことで一先ず収まった。


「あの……見ず知らずの私の為に本当にありがとうございました!特殊事件でしょうし、不謹慎かもしれないけど……それでも誕生日祝ってもらうのが久々で……久しぶりに家族の料理の味を食べた気もするしで。大満足です!」


 そうか、それは良かった。

 アキも何かを言いかけたかもしれない。環がそう言葉に出した途端、二人の目の前でふっとエラの姿が消えた──文字通り、最初からいなかったかのように。

 彼女だけでなく風船や紙吹雪、使用済みの皿やコップ、フォークといった食器類もまた忽然と部屋から姿を消していた。アキは何かに化かされていたのではないだろうかと思わず腹部を摩ってみるものの、満腹感は消えていない上に食後の倦怠感といったものもしっかり残っている。


「満足することがトリガーだったのか?」

「一先ず私達は解放されたんでしょうけど……。エラさん、ちゃんと生きてますよね?処分受けたりしないといいですけど」


 環は何も言えなかった。

 もし彼女が施設内で死んでいたとしても、恐らくは自分達と同じメカニズムで帰ってくるだろう。そうでなければ恐らく死んでいる。

 ──或いはどこかに生きて飛ばされていたとして。環はエラが解雇や謹慎といった処分を受けるとは思えなかった。


「経験則だが、処分は無いだろうな」

「はあ、意外と優しいんですね。事故みたいなものだからでしょうか。企業だし、悪評を嫌っているとか?」

「そんなところだ」


 環はアキの言葉にぎこちなく頷いた。

 アキの想像以上に今後のエラの人生は過酷なものになるかもしれない。下手をすれば、部屋を抜けた先で死んでしまっていた方がマシと思えるほどに。もし遠方に飛ばされたとしてもエラは当然、施設に戻ってくるだろう。そして施設もまた彼女を受け入れるという確信がある。待ち受けるのはモルモットとして囲われる人生だ。

 職場で不可思議な現象に見舞われたからといって、それを理由に退職しようとは到底思えないであろう──本来ならばそうすべきだと。彼女が消えると分かっていればそう助言した。

 嘘は吐いていない。 環の頭には漠然とフレデリークの顔が浮かんでいた。

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